第24話 気遣い魔王、発案する



「やれやれ……」


 ベッドから、むくり、と起き上がったテルルは、今まで寝ていたとは思えぬきびきびとした動きで小さな窓の前に立つ。

 今日も晴天である。


「簡単に取り返されてしまうのはどうしたものか……」


 苦虫を噛み潰したような表情で、清々しい窓の外を睨む。

 そう、今テルルに宿っているのは、魔王であった。


「ふぅむ……」


 小テーブルに置かれていた瓶の水を飲み干し、口元を手の甲で拭う。

 ベッドの端に腰を下ろし、顎に手を当て、そのままひたすらに顔をしかめ続け……。


「そうか、こうすればよいのだ」


 魔王は発案した。


 部屋に置かれていた黒墨と筆を手に取り、左の手のひらに描く。


「よし……」


 完成した文字を見て、魔王はほくそ笑む。

 そこには、「己彼魔王」と描かれていた。


 己こそ、彼の魔王なり。


「くくく……」


 毎日寝る前に、こう書いておけばよい。

 これなら、起きてテルルに体を乗っ取られていても、もう大丈夫だ。


 これを目にした時の光景がまざまざと魔王の脳裏に浮かんでいた。



 ………………。


 …………。


 ……。



 ――えっ、な、なにこれ!?


 テルルの顔が青ざめていく。


 ――うそ……ぼ、ボク、魔王だったの……!?


 右手を見つめたまま、テルルは膝から崩れ落ちる。

 その顎はガクガクと震え、歯が楽器のように鳴っている。


 ――どうしよう、僕、いったいどうしたら……!



 ……。


 …………。


 ………………。



「くくく……」


 魔王はニヤリとする。


 そこなのである。

 その精神不安定になったスキを狙い、体を取り返せばよいのだ。


「――フハハハハ!!」


 簡単過ぎる。

 己の天才さに、もはや笑いが止まらない。


「よし」


 いつまでも笑ってはいられない。

 次回の対策ができたところで、魔王は身なりを整え、階下へと降りていく。


「あらお客さん早いね。そこに座っといておくれぇ」


 宿の女将が厨房から声を掛けてくる。


「あ、はい」


 魔王はセルフサービスで水瓶から水を汲み、言われた通りに着席し、姿勢正しくして待つ。


「ほれ、たんとお食べ。多めにしといたよ」


 女将がやってきて、どん、とテーブルに湯気の上がる料理を置いた。


「おお……」


 香ばしい香りに包まれた魔王は、感動に言葉を失う。


 そこに置かれたのは、山盛りになった甘辛ソース漬けの羊肉のソテー。

 お椀いっぱいに盛られた白米。

 そして、水に濡れたしゃきしゃき野菜と、たんまり盛られたコーンスープ。


「い、いただこう」


 魔王は手を合わせてしばし感謝を捧げると、箸で羊肉をご飯の上に載せ、そのまま次々と掻き込む。


「むおお」


 魔王はハフハフ言いながらも、高速で掻き込み続ける。


「いくらでもいけるぞ、これ」


 そうやって魔王は5分とかからず、たいらげる。


「なんという旨さ……」


 爪楊枝でしーしーやりながら、魔王は椅子の背もたれに寄りかかり、膨れ上がった腹を撫でる。


「あら、もう食べちゃったのかい」


 近くで他のテーブルの準備をしていた女将が声を掛けてくる。


「感謝するぞ女将」


 地上では、毎日こんなうまいメシを堪能しているというのか。

 知らなかった。


 ……あ、そうだ。


「女将。これをみやげにしたい。来週にでもまた作ってもらえぬか」


「みやげ? これを?」


「身内にも食べさせたい」


 リリス、羊肉はずいぶんと好きだったからな。


「……ふぅん。まあ喜んでもらえてるみたいだからいいけど……バカ! こんなにいらないよ」


 ¥50000を払おうとした魔王は、無下に拒まれていた。


 リリスへの手土産だけにあまり安いものにはできぬという思慮だったが、さすがにそこまでは理解してもらえなかった。




 ◇◆◇◆◇◆◇




「♫~いつかは~るる~」


 雲間から顔を出し、燦々と照らす朝陽がまぶしい。

 街の随所で開かれている朝市の喧騒は魔界にはないもので、なかなかオツなものだ。


「♫~倒してもらえる~だろ~う~♫」


 己は宿を出て、鼻歌を歌いながら街中を歩いていた。

 あ、そうだ、と気づいて、ステータス画面を開く。


「レベル22か……まあ、このテルルにしては前向きに頑張ったといえよう」


 数値の伸びを体感的に確認しながら、つぶやく。

 あのテルルが、まさか己が意図したのと同じ方向に歩んでくれるとは思わなかった。


 背を押してくれたユキナという女には、感謝しておこう。

 まあ『四紋』だから礼を言う機会は必ず来るのだが。


 そうそう、フリアエもレベル20を超え、スキルが強化されていた。



爆光ラ・プラス3〉……直径2メートルの範囲に天界の業火を呼び出し、爆発させる。

 爆発を受けた者に『燃焼』効果を付与 5秒ごとに5回、HPを2%ずつ失わせる


 射程 20メートル 再詠唱時間 2分


死の沼カルダノ3〉……対象の足元を恐怖の沼に変え、溺れさせる。沼の底から死神がやってくる。


 効果時間7分 再使用時間 3分


死体吸収ユークリッド2〉……倒した敵からHP、MP、APを吸収する。

 再使用時間 20秒


〈血塗られた肖像ド・モアブル〉……対象を肖像画の檻の中に捕らえ、望んだ時に一度だけ行動させる。



 継続ダメージが追加になった〈爆光ラ・プラス〉の強化も強力だが、〈死の沼カルダノ〉の強化もさらに破滅的だ。


 新しい〈死の沼カルダノ〉は、沼に嵌った獲物の命を刈り取らんと、3つの魔物のどれかが沼の底からやってくるようになる。


 言っておくが、フリアエに従って沼に沈んだ3つの魔物たちは、どれも生やさしいものではない。


 自分ならどれが来てほしいかな、と己はかつて考えたことがあるが、やはりどれが来ても当たりはなく、全てハズレとしか言いようがない。


 そして新しいスキル、〈血塗られた肖像ド・モアブル


 これは敵性存在をフリアエが感知し、捉えるに値すると判断した場合、彼女が持つ肖像画の中に閉じ込めてしまう能力である。


 もちろん閉じ込めて終わりではない。

 フリアエは好きな時にそれを肖像画の檻の中から出し、従えて行動させることができる。


 なお、行動終了後、対象はその場で消滅するようである。

 このあたりは実は己もよく知らない。


〈血塗られた肖像ド・モアブルのレベルが低いうちは相手が衰弱しないと肖像画の中には取り込めないはずである。

 が、強化が進むと出現したばかりの敵を捉え、いきなり使役してしまうこともある。


 もうわかると思うが、このスキルは終始フリアエの自己判断で行われ、己の指図が入る余地はない。というか、聞いてもらえない。


「さて」


 己は懐から漆黒の刀身をした剣を取り出す。

 倒したマッドホーンの角を加工に出して剣に変えておいたことも、テルルにしては良い仕事をしてくれた。




 ――――――――――――――


 狂気の牛マッドホーン片手半剣バスタードソード


 攻撃力+168

 魔力+83

 すばやさ+24

 回避+8%


 斬撃攻撃時の威力が20%加算される

 魔法攻撃時の威力が5%加算される

 武器重量軽量化 25%


 ――――――――――――――



 装備品の効果に関してはテルルとフリアエ両方に加算されるため、フリアエにも恩恵がある。


「なかなか良い剣ではないか」


 街中なので鞘のまま、握ってみる。


「ふむ……重すぎず、軽すぎず。よくできている」


 ドワーフが打った剣は見事の一言。

 長さも、この体で扱いやすい長さに設計されている。


 早期にこれほどの剣を手に入れられたのは実に運が良い。


「さて。少々急がねばならぬな……」


 剣を仕舞い、歩く速度を上げる。


 己が先ほど、みやげを急いだのは他でもない。

 魔王が抱えていた問題の解決が早くも近づいているのである。


「しかし、まさかこんな早々に接触できようとは」


 今日の魔王は朝から笑顔が絶えない。

 なんと2週間後に王宮で行われる『祝いの会』に、あの聖女がやってくるというのである。


 テルルは行けたら行く的な発想であったが、冗談ではない。


 千載一遇の好機なり。

 是が非でも参加する。


 そして、あの聖女の記憶をサクッと消し去るのである。


 肝心の【討伐証】だが、ウェアウルフごときなら、今のテルルで狩れると断言できよう。


 フリアエを出すまでもない。


「くくく……見ていろ。もう少しだ」


 己は右手を高々と上げ、握りしめた。


 聞けばあの聖女はこの国の王宮に生まれたようである。

 それは魔王としては大変な幸運であった。


 王宮に生まれた人間は、俗世から断絶されて大事に大事に育てられると聞く。


 若い頃は庶民に生まれるのと比して、全くと言っていいほど他人と触れ合わない。

 つまり、聖女が『魔王善人説』を唱えたところで、聞く相手がいないのである。


「リノファとやら。今のうちに、消し去ってくれる」


 もちろん記憶だけです。

 命は奪いません。


 すべては己のために。


「♫~いつかは~るるる~」


 魔王は鼻歌の続きを歌い出した。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る