第6話 出現
「ユキナぁぁ――!」
叫べども、ユキナが去っていく。
「ユキナ……」
テルルは膝をつき、うなだれる。
心は到底耐えきれぬほどの喪失感でいっぱいだった。
テルルはなんとなくわかっていた。
最後にユキナが何について謝罪をしていたのか、を。
だからこそ、今のユキナの気持ちもしっかりと伝わってきていた。
そう、彼女は今まで、テルルを好いてくれていたのである。
「ユキナ……!」
テルルは立ち上がる。
「僕だって……僕だって好きでいたんだよ……」
テルルは両手の拳を握りしめる。
胸が痛みを発し続ける。
ユキナがそばにいてくれたから、今まで自分は……。
「ユキナ、やっぱり嫌だ……!」
テルルはユキナの去った方角を、見つめる。
ユキナが死んでいなくなった世界なんて、想像したくない。
是が非でも、ユキナは死なせない。
そのために力が必要だと言うのなら――。
「――グルァぁぁ!」
その時だった。
背後から、テルルを強い衝撃が襲った。
魔物であった。
突貫してきたのは、体長2メートルほどもあるワイルドベア。
このせせらぎは魔物を遠ざける『守護石』が置かれた古い橋のそばを流れている。
が一方で森にも近く、まれに魔物が窺ってくることくらいはテルルも承知していた。
普段なら橋の上に逃げられた。
しかし、今はショックのあまり、周りに気を配る余裕がなかったのだった。
テルルは悲鳴を上げることすらできずに大きく吹き飛ばされ、せせらぎの中をゴロゴロと転がった。
対岸でびしょ濡れのままぐったりとし、意識を失う。
「グルアァァ……」
ワイルドベアが反撃を警戒しながら、テルルに近づいてくる。
一歩、二歩、三歩。
「グルル……!?」
四肢が全てせせらぎに浸かったところで、ワイルドベアの動きが止まった。
一歩後退り、一層警戒した唸り声を上げ始める。
そう、テルルが立ち上がっていたからである。
「……まさか15年も出られぬとは」
体当たりを受けた後とは思えぬほどに平然とテルルは呟いた。
そのままテルルは首を回し、体を曲げ伸ばししながら、具合を確かめる。
ワイルドベアがそばにいることを忘れたかのように。
「グルアァァ……!」
ワイルドベアが唸りながら、近寄ってくる。
久しぶりの獲物である。
ワイルドベアも当然のように執着した。
「――やかましい。我が誰かわからぬか」
テルルがワイルドベアを睨みつけながら、静かに言った。
しかし、ワイルドベアはひるまない。
この人間は、恐れるような凶器を持っていない。
「グルアァ――!」
変わらず無防備なままだったテルルに、ワイルドベアが二度目の体当たりを敢行しようと猛進してきた。
「――フリアエ、来い」
ため息をついたテルルが、なにかに呼びかける。
衣服の下で、テルルの胸元に何かが浮かび上がった。
それは清楚な女の顔であった。
「Οργή της γης, εκρήγνυται εδώ……」
その女が目を閉じたまま、唇を踊らせる。
直後、ドォォン、という耳をつんざくような音とともに、テルルの前で大きな爆発が起きた。
こと魔法においては最強の言語で詠唱された、〈
ワイルドベアはその直撃を浴び、瞬く間に炎の中で灰燼と化していた。
〈
射程 15メートル 再詠唱時間 3分
「やれやれ……ふうぅ」
テルルは大きく伸びをした。
言うまでもない。
今のテルルには、転生してきた魔王が宿っていた。
「二回言うが、まさか15年も己を封じ込めるとは……」
このテルルという男……いや、今はそれどころではないな。
「ふむ……ぎりぎり間に合っているようだ」
魔王は空を見上げ、突き上げるように右手を掲げる。
「……間違いない。いる」
魔王はその手をぐっと握った。
感じとったのである。
勇者、そして聖女の気配を。
「よしよし……」
この15年間のテルルの行動は逐一覚えている。
もちろん、さっきまで目の前にいたユキナという少女に紋章が浮かび、旅立ったことも。
勇者たちのサポートを行う、選ばれし『四紋』。
彼らに紋章が浮かび上がる時期はほぼ同時である。
つまり今は、勇者と聖女が魔王討伐に向けて仲間を集め、準備を始める時期ということ。
少々急がねばならないが、決して手遅れではない。
少なく見積もっても、討伐開始まで半年はあるだろう。
「あの聖女、言いふらしていないといいが……いや、大丈夫か」
魔王はあの頬のキスが昨日のことのように思い出され、無意識に左頬をなでていた。
だが心配は無用そうである。
昨今まで、魔王は人間たちに変わらず憎まれ、恐れられていたのだから。
「さて、善は急げだ」
魔王はその場にあぐらをかいて座ると、『やることチェックリスト』をつくることにした。
□ 家に帰り、今までお世話になったお礼とお別れの挨拶をする
□ アビリティカード集め
□ 聖女の記憶を消す 【最重要】
□ リリスにお土産
「よし、こんなものだな」
旅立つ前に、まずは世話になった人間に丁重な礼をせねばならない。
誤解されそうだが、悪魔だからといって、礼節がないわけではない。
――相手が誰であれ、一宿一飯の世話になれば手厚く礼をせよ――。
いつも口を酸っぱくして配下に言ってきたことである。
さて、次は礼をした後である。
己は勇者パーティに紛れ込まねばならない。
そのためには相応の実力が求められよう。
テルルが15年間いっさいレベル上げをしてこなかっただけに、自分はレベル1で、魔物から手に入れる『アビリティカード』も集まっていない。
これを補強して、自身を勇者たちに売り込めるようにする必要がある。
うまく紛れ込んだならば、後はたやすい。
聖女の記憶を赤子の手をひねるように消し去り、リリスに手土産を買って帰るだけのこと。
「……しかし、困ったやつよ」
魔王はせせらぎを前に屈み、その冷たい水でバシャバシャと顔を洗うと、濡れている衣服を脱いで絞った。
他でもない。
気に掛かっていたのは、このテルルという少年のことである。
自分の好きな女を守ろうとする気概は十分だった。
が、守るにあたっていっさい力に頼らない姿は、魔王の理解を完全に超えていた。
他を傷つけることを、異常なまでに嫌っているのである。
それを避けるためなら、何を差し置いても全力を尽くす。
情けない、とは違う。
もう一度いうが、気概は十分なのである。
なんと言うべきか……言葉が見つからぬな……。
「……まあ、どうでもよいか」
もはや、魔王たる己の感知するところではない。
人間には人間にしかわからぬ事情もあろう。
結局、そのユキナとやらが居るところに向かうことになってしまうが、別にキューピットになろうとして行くのではない。
ただ、方向が同じというだけである。
己はただ、為すべきことを為すのみよ。
――――――――――――――――――――――――
著者より)
魔王は自分のことを『己』と呼びます。
「おれ」でも「おのれ」でも、皆さんの中で合う方でお読みください。
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