第5話 ユキナの想い
「いつもいつもすまんな」
「いえ、ちょうどよい気晴らしになっています」
ギューゼルバーン家一階の白い接客室。
ユキナは黒革のソファーに、ワンピースから伸びた脚を揃えて座り、テーブルを挟んでアイゼル伯と向き合っていた。
伯の妻カリスがユキナにバナナの素揚げと紅茶を置いていくが、ユキナはお構いなくと頭を下げ、手は伸ばさない。
「気晴らしか……そう言ってもらえるとありがたい」
アイゼル伯は無精髭の生えた顎を撫でる。
「先々代には『大魔導』の名を持つ魔術師が居たのにな。私も子どもたちも、魔法はおろか、職業すらもらえぬわ」
私も含めて出来の悪い子孫だよ、とアイゼル伯は大口を開けて笑った。
「どうかご悲観されず。息子様たちは日に日に腕が上がっています」
「そうか。【職業持ち】のそなたから見て、筋の良いのは誰だ」
「長男のセフィーロ様ですね」
ユキナは即答した。
「やはりか」
「はい。もう少し剣の腕を積めば剣筋がしっかりされ、騎士団の実技一次試験をパスできるくらいになりましょう」
「ふむ……」
アイゼル伯が眉間にシワを寄せた。
なお、騎士として採用されるためには、実技三次試験までをクリアする必要がある。
「ポール様とジョニー様は雑さが取れてきたらぐっと伸びると思います。セフィーロ様のレベルに至るまで、あと半年ほどお待ちする必要があるかと」
「ほう」
「テルルは……」
そう言って、言葉を濁すユキナを見て、アイゼル伯はガッハッハ、と笑った。
「なにも言葉が出んだろうな」
「……すみません」
ユキナは自分の膝におでこをつけるようにして、頭を下げた。
「いいのだ。あ奴ばかりはどうにもならん」
情けない我が子たちの中でもとりわけひどいな、と笑った。
ギューゼルバーン家は子宝に恵まれ、男が4人生まれた。
アイゼルは内心期待していたが、結局、誰一人として【職業】を持つものはいなかった。
「それより、もうひとつ訊ねてよいか」
「はい、なんなりと」
「ユキナ殿はどの息子なら、嫁に来てくれるかな?」
ニヤリとしながら、アイゼル伯は言った。
「………!」
ユキナはとたんに顔を赤くし、視線を右側の窓へと移した。
アイゼル伯は知っていた。
ユキナが息子の誰かに興味を持ってくれていることを。
そうでなければ、【職業持ち】で引く手あまたのユキナが、わざわざこの家を選んで毎週通ってくれるはずがないのだ。
「ジョニーか?」
アイゼル伯はユキナの表情の変化をじっくり観察しながら、訊ねる。
「違うな。ポールか?」
「………」
「違うか。ではセフィーロか」
「………」
表情の動かぬユキナを見て、アイゼル伯は怪訝そうな顔になる。
「……まさかテルルか?」
「――ち、違います! あんな弱いの、どうして私が……」
ユキナが振り向き、強い口調で反論した。
「ガッハッハ! 済まぬな。気にせんでくれ。嘘でも良いから一度聞いてみたかったのだ」
ユキナはそこで伯の冗談であったことを知る。
真面目に答える必要など、そもそもなかったのだ。
「………」
ユキナはため息をつき、カップの紅色の液面に映る自分を見つめる。
胸が無駄にドキドキと打っているのがわかる。
「時間を取らせたな。カリスが手土産を用意したから持っていってくれ。来週もまた頼む」
話を早めに終えようと気遣い、アイゼル伯が立ち上がる。
アイゼルの半分も齢を重ねていないこの少女だが、いまやアイゼルよりよほど多忙なのである。
それをユキナは、お待ち下さい、と引き止める。
「ギューゼルバーン卿。ちょうど私からも折り入って話がありまして」
「ほうほう」
アイゼル伯は居住まいを正して、ユキナに向き合う。
ユキナはひと呼吸ほど間を置くと、静かに口を開いた。
「実は私、先月の……」
そこまで言って、ユキナは言い淀む。
「先月の?」
「はい、先月の誕生日のあとあたりから……紋章が」
「………なっ」
アイゼル伯の目が見開かれた。
覚悟しておきながらも、ここまでの話とは及びもつかなかった。
◇◆◇◆◇◆◇
その2週間後。
青空の広がる、穏やかな晴れの日。
馬にせせらぎの水を飲ませながら、少女が川辺に立っていた。
クリーム色の髪は耳の高さでポニーテールにされており、赤と白の正装服をまとった姿は堂々としていて、見る者に凛とした印象を与える。
ユキナである。
彼女は家族との別れを済ませ、これからミュンヘン王国王都に向かうのだった。
「……ふぅ」
ユキナは手を頭の上で組み、大きく伸びをした。
その姿勢のまま、あたりを見回し、思い出の場所を目に焼き付ける。
この世界には2種類の人間がいる。
力を持つ者と、持たざる者である。
前者は100人にひとり程度しかいないが、武器を巧みに扱い、あるいは魔法を唱えて魔物を倒す能力を持っている。
彼らを概して『職業持ち』と呼ぶのは、12歳になると職業が与えられるためである。
神はなぜ、『職業持ち』を生み出すのか。
それはこの世の絶対悪の具現である魔王を倒すためと言われている。
魔王はこの世界に蔓延る魔物を統べる絶対悪の化身で、討伐を果たすことで世に安寧の時をもたらすと言われる。
史実によれば、人類は約1500年前に一度だけ魔王討伐に成功したことがある。
その折には魔物たちは鳴りを潜めるようになり、約200年に渡って穏やかな世が過ぎたというのだ。
しかしその後、再起してきた魔王はまるで別人であった。
その力が恐るべきものと化しただけではない。
噂では、敵対勢力であるはずの超一級の天使が寄り添い、新魔王を光の力で護るという。
従来の【光属性】で力押しするやり方では、討伐が困難になったゆえんであろう。
実際、その後の1500年は誰一人として歯が立たず、立て続けに失敗に終わっている。
なお、この新魔王は残虐な心の持ち主として知られる。
かつて、新魔王に敗れた勇者たちを勝利したかのように生還させ、わざとその家族や愛しい人の前で惨殺してみせたことがあるくらいなのである。
これには神々もさすがに嘆いたのであろう。
その後、神は職業を与えられた者のうち、数人に紋章を与えるようになった。
――勇者と聖女、『四紋』を連れ、絶対悪を滅ぼさん――。
世界の果てにあると言われる『神の聖石』に刻まれた言葉である。
つまり紋章を持つ者は魔王討伐の成功を手伝う者――『四紋』のひとりであることを意味している。
また、紋章を持つ者の誕生は同時に、半世紀に一度の勇者、聖女の出生をも意味している。
もちろん、半世紀に一度の魔王討伐も。
「まさか自分が紋章を授かることになるとは……」
ユキナは右手の内側に刻まれた、雪の結晶のような形をしたそれを見やる。
そう、ユキナは神に選ばれた。
今がその時なのだ。
「……そろそろ行くか」
「――ユキナ!」
ユキナが馬にまたがろうとした時、一人の少年が息を切らしてやってきた。
少年は限界を超えて走ってきたようで、ユキナの前で座り込むと、四つん這いになってしばし呼吸を整えていた。
「テルル……」
ユキナは微笑む。
「よかった……もしかしたら、まだここにいるんじゃないかと思って」
顔を上げたテルルは、喘ぎながらも笑ってみせた。
この場所は街道沿いにあり、水遊びできる小川もあり、古来に設置されていた橋の影響で魔物が出づらいことから、子供を遊ばせる場所になっていた。
ユキナとテルルも例外ではなく、幼少の頃から、会話はせずともここで互いに視線を交わし合っていたのだ。
「これから王都へ行くの?」
「そう。テルルともお別れになるな」
ユキナは馬から離れてテルルに向き合うと、肩を軽くすくめ、今気づいたかのように言った。
「行く必要なんかないよ」
テルルはそんなユキナの右手をぎゅっと掴んだ。
「え?」
「ユキナ、このまま僕と逃げよう」
「……逃げる?」
意味がわからないユキナは、目をぱちくりさせる。
「だって魔王討伐に行かされるんでしょ。死んじゃうよ」
「………」
そこでやっと、ユキナはテルルの言葉の意味が理解できた。
「あははは」
手を握られたまま、ユキナが吹き出す。
「……ユキナ?」
「ふふ。その発想はなかった」
切な表情のテルルとは対照的に、ユキナは笑いが止まらなかった。
「もう……ユキナ」
「テルルは本当に優しいのだな」
やっと落ち着いたユキナが、握られていない方の手で、笑いすぎて出た涙を拭う。
「確かに私は死ぬことになるだろうな。魔王討伐なんて失敗ばかりだものな」
「だから言ってるんだよ」
「ふふ。済まない。目先のことばかりに意識がいっていた」
これから初めての街でひとりで暮らすこと、そして仲間となるであろう勇者と聖女たちとうまくやっていけるだろうかという漠然とした不安が、ユキナの心を埋め尽くしていたのである。
「ユキナ、真面目に聞いてよ」
「でもなるほどと思った」
ユキナはまだ、くすくすと笑っていた。
「なにが?」
「テルルは力ではなく、そうやって人を守ろうとするのだなって」
ユキナは難解な謎が解けたような、すっきりした表情を浮かべると、テルルに握られていた手の指を絡ませ、恋人握りにした。
「僕は力なんていらない」
テルルは真剣な表情でユキナを見ている。
「いつもの話になるが、もしこれからの私を守ろうとしてくれるのなら、それは力しかない」
「どうして」
「私は物事から逃げるのは嫌いでな。まっすぐぶつかっていくことしかできない」
「……死ぬとわかっていても行くってこと?」
テルルはその表情を強張らせ、行かせない、とばかりに絡んでいた手に力を込める。
それでも、ユキナは頷いた。
「テルル。気持ちは嬉しい。本当は私もテルルと一緒にいたい」
ユキナは穏やかな笑みを浮かべ、テルルをそっと見つめた。
「それなら――」
「テルル」
ユキナは握り合っていない左手を上げて、テルルの言葉を遮った。
その顔は、一瞬で真剣なものに変わっていた。
「テルル。私は逃げるのは絶対に嫌なのだ」
「ユキナ」
「もし、私に生きていてほしいなら」
「……ほしいなら?」
「テルルが魔王から私を守ってほしい」
ユキナがじっとテルルを見た。
その言葉が心からの想いであることを示すように。
「ユキナ……」
しばし、まっすぐに絡み合う視線。
しかし、ユキナはふっと笑うと、その視線を外した。
「ふふ、無理を言ったな。済まないテルル。今回の勇者様たちが強いことを祈っていてくれ」
ユキナが、絡ませていた手をすっと放した。
「ユキナ! だめだって」
「でもそういうテルルのこと、私は嫌いじゃない」
そろそろお別れしようか、とユキナは馬に跨った。
「待ってよ、ユキナ!」
「テルル、最後に一つ、いいかな」
「………」
ユキナの態度で、テルルはもうなにをしても引き止められないのだと悟った。
「……なに」
「テルルなら知っているだろう。私は自分より強い男性に惹かれることを」
ユキナは馬上からテルルを振り返る。
「何が言いたいの」
「だからごめん、テルル。先に謝っておくよ」
そこまで言うと、ユキナはもう視線を合わせていられず、テルルに背を向けた。
そんな男に惹かれるから、テルルを育てようとした。
剣を握ろうとしないテルルに、稽古と称して何年も辛抱強く関わってきた。
強くなってほしかったから。
「ユキナ……?」
「……もし、私がこの先……」
「この先?」
「………」
――勇者様を好きになってしまったら。
ユキナは言葉を発する代わりに、溢れた涙を拭った。
「ユキナ、なんだよ……」
「最後に……ルルに会えて……嬉し……さよなら……」
涙声になりながらも言ったユキナは、その思いを振り切るように、手綱を引く。
馬は大きく嘶き、テルルの前から勢いよく駆け去っていった。
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