第4話 宿った先は誰でしょう



 それから長い歳月が過ぎた、ある日。


「うりゃあぁ――!」


 地上・ミュンヘン王国ナーシィ州西部。

 深い樹海に囲まれたわずかな土地を治めるギューゼルバーン家の庭では、いつものように木剣での打ち合いが行われていた。


「はぁ、はぁ……これでもだめか」


 同家の20歳の長男セフィーロが一本も取れずに打ち負かされ、地面に膝をついていた。


「惜しかった。最後のは右から打ち込めば、まだよかったのだろうが」


 相手をしていたのは、クリーム色の髪をゆったりと後ろに下ろす美しい少女。

 同じ辺境に住む貴族の娘、まもなく16歳になるユキナである。


 ユキナの剣は巧みだった。

 元から器用で、剣の腕に関しては8歳で元騎士団上長であった父を追い抜いたくらいである。

 その後は専属の剣の教師に習い、今の実力に至るまで大成していた。


 その剣の素晴らしさを垣間見たアイゼル・ギューゼルバーン伯は、四人の息子たちにその技術を勉強させるべく、ユキナを雇って週に一度、こうやって剣の鍛錬の依頼をしているのである。


「ポール! やってみせい」


 長男が動けなくなったのを見て取るや、アイゼル伯は18歳の次男の名を呼ぶ。


「おっしゃあ! 待ちかねたぜ」


 髪をツンツンに立てたポールが木剣を受け取り、様になった構えを見せる。


「ポール、こんにちは」


 ユキナは挨拶だけは貴族の娘らしく、薄緑のワンピースの裾をつかんで、優雅にしてみせる。


「ポール様、頑張ってぇ」


 両手を口に当て、脇から声援を飛ばすのは、まだ幼さを残すユキナの妹フゥである。


 彼女は今年10歳になったばかりで、ギューゼルバーン家に遊びに来るのをいつも楽しみにしており、今日も例に漏れずついてきていた。


 なお、フゥは今登場したポールが特別好きなわけではない。

 姉と戦っている相手を応援するよう、母親にしつけられているだけのことである。


「今日こそやっつけてやるぜ!」


「頼もしい言葉だな。かかってくるがいい」


「――いくぜ! くらぇぇぇ」


 力強く踏み込み、ポールが木剣を横薙ぎに振るう。


 ユキナはその剣筋を瞬きせずに見極め、後ろに最低限の距離だけ下がり、躱す。


 ポールは有り余る体力を見せつけるように剣を振るう。

 袈裟、逆袈裟、唐竹割り。

 当たれば骨折でもしてしまいそうな勢いの木剣が、十二段に渡って振るわれる。


 しかしユキナはまるで全てが止まって見えているかのごとく躱し、あるいは受ける。


 ワンピースの裾が乱れぬよう、空いた手で優雅に配慮する余裕すらある。

 最後、ユキナは十二段目受けの返す刀でポールの左胴を打ってみせた。


「うげぇ……」


 ポールは腹を押さえて崩れ落ち、先程のセフィーロと同じ結末になる。


「ポール様、頑張ってぇ」


「今週もだめだぁ……」


 フゥの応援も虚しく、ポールは降参する。


「ポールもまだかすりもせぬか……。ジョニー、やってみよ」


 アイゼル伯は顎をさすりながら、三男の名を呼ぶ。


「任せてくれよ父さん」


「ジョニー様、頑張ってぇ」


 16歳のジョニーが木剣を受け取り、ユキナに挑む。

 しかしジョニーはポールの半分の時間ももたずに同じ姿勢になり、降参した。


「ジョニー様頑張ってぇ」


「む、無理……」


「あれだけ練習しておいてこんなものか……テルル、ついでにやってもらいなさい」

 

 アイゼル家最後は、四男15歳のテルルである。


「は……はい……」


 今までの男子と異なり、テルルはあからさまにやりたくなさそうな表情で、ユキナの正面に立つ。


「テルル、もっとしゃんと構えよ!」


 父の叱責を受け、テルルは唇を噛み締めながら剣を握り直す。


「わーい、テルル! ばーか、ばーか! よわむし~!」


 テルルが出てきた途端、大人しくしていたフゥが嬉々として騒ぎ出す。

 そんなフゥを、ギューゼルバーン家の者たちは笑顔で見つめる。


「テルル、こんにちは」


「ユキナこんにちは」


「今日もやりたくないのか」


 ユキナがくすくす笑いながら訊ねると、テルルは隠す様子もなく頷いた。


「本を読んでいる方が楽しいよ」


「テルルには、強くなりたいという気持ちはないのかな」


 ユキナはその美しい唇から、ため息を漏らす。


「強さなんかいらない。誰かを傷つけるだけだ」


「強さは誰かを守る力にもなるぞ」


 ユキナは一歳だけだが年上らしく、テルルの顔を指すように、すっと木剣を突き出しながら諭そうとする。


「心配ないよ。僕が守りたい人は――」


「……守りたい人は?」


 十分強いからさ、と呟いたテルルの言葉は、ユキナには聞こえなかった。


「まあいいだろう。さ、やろうか」


 ユキナがクリーム色の髪を後ろに払う。


「うん。早く終わりたい」


 テルルは木剣を振りかぶり、どたどたと不格好にユキナに向かって走る。

 だが近づいても、テルルは絶対に振り下ろさない。


 稽古であろうと、誰かを傷つけるような行為はいっさい嫌だからである。

 だから振りかぶったまま、やられたい。


 しかし、ユキナもそれがわかっているから、剣を構えぬままテルルを見つめ、笑っている。

 結局、テルルはどうしようもなくなり、立ち止まることになる。


「ユキナ、早く」


「なにが早くなのだ」


 ユキナはくすくすと笑う。


「もう、ユキナ」


「今日はそれを下ろさないと終わらないぞ?」


 ユキナが意地悪そうに笑ってみせる。


「……ずるいよユキナ。約束だろ」


 テルルが振りかぶったまま、ひそひそ声で悪態をついた。


「ほら、今日は少し進歩しよう。私に打ち込んでみろ」


「嫌だって言ってるだろ」


 大切な人に武器を向けること自体、テルルは信じられないのである。


「テルルの攻撃なんかでは、絶対に傷つかないさ」


「テルルのよわむし~、ばーか、ざこーざこー!」


 そんな二人のコソコソやりとりの横では、誰が教えるのか、フゥが楽しげに罵声を浴びせている。


「テルル、何をしておる! それでもギューゼルバーン家の男子か!」


「………」


 父の怒声(とフゥの罵声)で板挟みになったテルルはどうしようもなくなり、振り下ろした木剣で自分の脚を打ち、うずくまった。

 誰が見てもわかる演技なのだが、周りはやれやれ今日もか、といった顔でテルルを見る。


「全く……! ご用が済んだらテルルには日が暮れるまで薪割りをさせろ!」


 そう言い残し、アイゼル伯は背を向け、その場から立ち去った。

 この言葉が、毎回稽古の終わりを意味していた。


「わーい、テルル終わった! わたしと遊ぼー! 遊ぼー!」


 アイゼル伯の言葉が聞こえた途端、フゥがたたた、とテルルに駆けより、ぎゅっと抱きついた。


 言うまでもないが、フゥの今までの罵声は他でもない。

 テルルが自分の姉と向き合っていることが許せない、幼いヤキモチが形を変えて現れたものであった。


「あいたた、もっと弱く打てばよかった……やぁ、フゥ」


 テルルは苦笑いしながら、早くも自分を引っ張って立たせようとしているフゥを見る。

 ちなみにアイゼル伯の「ご用が済んだら」とは、このフゥの相手をする時間を指している。


「遊ぼー! 何して遊ぶ?」


 フゥはテルルを引っ張り続ける。

 きれいな姉の前から引き離したくて仕方がないのである。


「フゥ、今日もかくれんぼでいい?」


「うんうん! 早く」


「あ、ちょっと待ってね」


 テルルはそんなフゥの頭を撫でると、ユキナに向き合い、軽く睨む。


「ちょっとユキナ。話が違うでしょ」


「ふふふ。来週も覚悟してくるといい」


 ユキナは笑ってその視線を軽くいなすと、テルルとフゥに背を向けた。



 ――――――――――――――――――――


 著者あとがき

 もうお気づきだと思いますが、ユキナはフユナにかなり似た子になります。



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