毎日小説No.4 乗り過ごし
五月雨前線
1話完結
「ん……」
沈んでいた意識が徐々に覚醒していく。俺は閉じられていた瞼をゆっくりと開いた。頭がぼーっとしている。体に力が入らない。ここは自宅の布団の中ではなく電車の中、身に纏っているのはスーツ、本来なら帰宅しているはずの時刻を指している時計……。以上の情報から、仕事終わりの電車の中で寝落ちしてしまったのだという事実に気付いた。
「ふわあああ……ちくしょう、どこだよここ……」
悪態をつきながら周囲を見渡す。乗客は一人も見当たらない。車窓に視線を向けてみたが、真っ暗だ。俺が毎日乗っている電車はローカル路線とはいえ、
ここまで車窓から光が見えないのはどこかおかしい。
今どの辺を走っているのかを確かめるべく、車内の案内表示の電光掲示板に
視線を向ける。しかし、いつもなら〇〇駅や〇〇方面という情報が表示されているはずの掲示板には、何の情報も映し出されていなかった。
「……あれ」
寝ぼけていた体が段々と目覚めていくにつれて、俺はあることに気付いた。
この電車、動いていないじゃないか。
「どうなってんだよ……」
何も映らない電光掲示板、停止している電車。そして、真っ暗な車窓。どう考えてもおかしい。何だ? 一体何が起こっている? まさかこれはあれか、
某ネット掲示板で昔流行していた『きさらぎ駅』的なパターンの怪奇現象
なのか……?
スマホの位置情報を確かめるべくスマホを取り出した俺だったが、充電切れで動かなくなっていたことに気付き、舌打ちした。くそ、ちゃんと家で充電してくればよかった……。
「何をしておる」
その時、背後から声をかけられて俺は飛び上がった。慌てて振り返ると、そこには和服に身を包んだ老人が佇んでいた。年齢は七十代前半、といったところか。痩せた体は紫色の和服に包まれており、年季の入った下駄を履いている。
「え……あの……貴方は……?」
謎の状況、そして謎の人物の登場に混乱しながら言葉を返す俺。老人は一つ小さく咳払いをしてから、「儂は神様じゃ」と名乗った。
「は?」
「だから、儂は神様じゃ」
神様? 何を言ってるんだこのジジイは? 俺が訝しげな視線を向けると、
老人は小さく溜め息をついた。
「神様だなんて到底信じられない、といった目をしておるな」
「そりゃ、信じられるわけないですよ」
「嘆かわしい……これだから最近の若者は」
「何ですかそれ……? 大体貴方は一体誰なんですか? ここはどこなんですか? そもそも」
「千葉竜介二十三歳。職業サラリーマン」
老人は俺の言葉を遮り、俺の本名と年齢を言い放った。
「え?」
「平成十二年七月十一日生まれ、出身は千葉県辰ヶ崎市」
「……嘘だろ」
何で俺の本名や職業、生年月日や出身地まで知っているんだ? 聞くと、「神様だからに決まっとるじゃろう」と老人は自身げに胸を張った。
「神様……? そんな馬鹿な……」
「これでもまだ信じられないのか。まあ何でもよい。それよりもお主、これからどうするつもりじゃ?」
「はい? どうするも何も、家に帰るに決まってるじゃないですか?」
嘆かわしい、とばかりに盛大に溜め息をつく老人。
「……何ですか?」
「お主、自分がどういう状況に置かれているのか分かっていないようじゃな。窓の外を見てみい」
言われて窓の外に視線を向ける。
「どうじゃ」
「どうもこうも、真っ暗です。どこなんですかここ?」
「ここは、現世とあの世との境目じゃ」
「はあああ?」
「事実を言っているだけじゃよ。早く手を打たないと、お主はこのままあの世に連れていかれるじゃろうな」
老人の言葉は到底信じられなかったが、俺は少しずつ恐怖を感じ始めていた。老人の言う通り窓の外は真っ暗だ。物音も一切聞こえてこない。それに、老人の雰囲気が異様というか不気味というか、本当に神様なんじゃないかという思いが徐々に湧いてくる。
「まだ信じられないのか」
「いや……だって……」
「ならば、窓の外を見てみい」
老人に指を差され、窓の外に視線を向けた俺は恐怖のあまり絶叫した。電車の外に、異形の存在が佇んでいたからだ。
身長は目測で百五十センチくらいだろうか? シルエットはさながらゆるキャラの着ぐるみのようだが、白地の体は真っ赤な血に塗れている。そして大きな二つの目は爛々と輝きを放っていた。
「あれはあの世に生きる怪物じゃ。もう少ししたらあの怪物が電車の中に入ってきて、お主の命を奪うじゃろう」
老人の言葉は俺の耳に届かなかった。心霊アトラクションやホラー映画の類が大の苦手である俺は、怪物の姿を見て恥ずかしいことに腰が抜けてしまっていた。ひいい、と情けない悲鳴を上げながら後ずさる俺を見て、老人がにやりと笑う。
「怖いじゃろう? だがあれはまだ序の口じゃ。あの世にはもっと恐ろしい化け物が沢山いる」
「ひいいい……」
「そう怯えるでない。怪物はどこかに行ってしまったようじゃぞ」
恐る恐る目を開けると、先程の怪物の姿はどこにも見当たらなかった。
「怖い怖い怖い……」
「ふむ。お主が化け物だらけのあの世に行かなくて済む方法が一つだけあるが、知りたいか?」
「……え?」
恐怖で震える俺に、目の前の老人が何者かといった疑問を考える余裕は残されていなかった。早くここから逃げたい。早くあの怪物から逃げたい。その思いだけが込み上げてくる。
「し、知りたいです! 教えてください!」
「よかろう。先程も言った通り儂は神様じゃ。儂の力を使えばお主を現世に送り届けることが出来る。ただし……それには条件がある」
「何ですか!」
「お金じゃ。お主が今持っている現金を全て儂に捧げれば、お主を現世に送り届けてやろう」
俺は慌ただしい動作で財布を取り出し、入っていた十万円ほどの現金を老人に手渡した。
「よろしい! では、お主を現世に送ってしんぜよう。目を瞑るがよい」
言われた通り目を瞑ると、目隠しと耳栓、そして手枷と足枷をつけられた。安全に俺を送り届けるために必要な処置らしい。すぐに誰かに持ち上げられるような感覚がして、視覚や聴覚を失われた状態が数十分程続いた。
「着いたぞ」
耳栓を外され、老人の声が聞こえてきた。
「三百秒数えてからゆっくり目を開けるとよい。それより前に目を開けると、あの怪物が現れて食べられてしまうぞ。手枷と足枷はすぐに外れるようになっている。では、さらばじゃ」
それっきり老人の声は聞こえなくなった。俺は恐怖に震えながら三百秒を数え、ゆっくりと目を開いた。
そこは、いつも利用している駅のホームだった。急いで手枷と足枷を外し、時刻を確認する。時刻は午前一時二十五分を指していた。
生き延びた。あの老人のお陰で、俺はあの世に行かずに済んだのだ。感激のあまり俺は声を上げて号泣した。十万円を失ったことなんてどうでもいい。生き延びることが出来ただけで万々歳だ。生き延びた喜びを噛み締めながら、俺は帰路についたのだった。
***
「社長、またやったらしいよ」
「マジ? 今度は誰?」
「若い会社員。すっかり騙されて、十万円くらい社長に払ったらしいよ」
「マジで〜? あんな手に引っかかる人、本当にいるんだ」
「寝落ちしている客をわざと放置して、車庫に電車が辿り着いたら声をかけて自分が神様だって信じ込ませて金を奪うとか、うちの社長マジいかれてるよね〜。勝手に免許証とか見て相手の素性を言い当てて、神様だって信じ込ませるらしいよ。鉄道会社の社長がそんなことしてるって世間が知ったら大炎上だろうなぁ」
「会社のマスコットキャラクターの着ぐるみをペイントして、化け物みたいに
見せてるらしいじゃん。学園祭のお化け屋敷かっての」
「若い男の社員が着ぐるみ動かすために働かされてるんでしょ、可哀想〜」
「あ、でもね、その社長の悪ふざけを手伝った社員は、報酬をもらえるらしいよ。騙された人から奪った金を山分けしてもらえるんだって」
「マジ? 小遣い稼ぎ出来るじゃん! 私もやりたい!」
「あ〜でも、ランダムに選ばれるらしいから、志願するとかは無理っぽい。
てか、お金もらえるとしても深夜に車庫行って客驚かすとかマジで嫌じゃね?」
「確かに嫌かも」
「毎回驚かす手口は変わるらしいし、なんなら自分の会社の社員にもそういう
悪ふざけするらしいよ……!」
「マジ!? 私電車通勤なんだけど」
「私も」
「帰る時に電車を乗り過ごさないようにこれから気をつけよーっと……」
完
毎日小説No.4 乗り過ごし 五月雨前線 @am3160
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