03

ぺらりと箱から落ちた写真には、生前のイスナと同じ制服を身に纏った複数の男女が写っている。


「…そうか……イスナは、よい仲間に恵まれていたのだな」


人ならざるが故に、一箇所で誰とも同じ時を生きる事ができないソラは、絆を結ぶことができる人間を羨ましく思うと同時に自分がどうしようもなく冷酷で無機質の存在のように感じて、にわかに泣きたくなった。


「私も、願わくば、他人との繋がりを編んでみたいものだ…」


【っ…それはそうと、なあ俺この顔、見たことあるぜ】


「……ふうん、どこで見たんだ?」


あきらかに傷ついた表情をしたソラの意識を逸らすべく、啓司は何とか話題の糸を引っ張り出すことに成功した。


【えーと、たしかテレビだっけなあ。この人…藤咲ふじさき可耶子かやこっていって、結構有名人なんだぜ】


「そうなのか。……ふむ、イスナと共に写っているということは…」


写真を拾ったソラは、目を閉じると写真が保持する記憶に意識を集中する。

深淵の闇路を同化して進み、幾枝幾重に分化した回路を通過、やがて雑多な情報が犇めく箱に辿り着いた。

──求める情報は、この先だ。

記憶の断片が写真のような切り抜きで降り注ぐなか、件の箱に触れた瞬間にソラの意識は真っ逆さまに吸い込まれていった。


+++


『泣くな、イスナ。こうなることは、最初から判っていたことだろう……』


『かあさん…でも、でも私は、納得できないよ!』


半身、左の肩口から心臓部にかけてを深く噛まれた血まみれの女性が、浅い呼吸の元で傍らにしがみつく少女を見据えている。


『私は、死ぬだろう。でも、それを怨んではいけないよ。私らは人に感謝される反面…同じだけ恨みも買っているのさ……』


『かあさん……いやだ、かあさん!! どうしてあなたが殺されなければならないの?! 許さない、母さんを死なせた堕落者アン・シーリーを、私は一生許さないから!!』


息絶えて冷たくなった母親の傍らで泣き叫ぶ少女イスナの事情をやや離れた場所から垣間見ていたソラは、母子を襲った宿命の深さを改めて思い知った。

それから、イスナは遺言に則り母親・可耶子の亡骸を荼毘に付して奥多摩の菩提寺に納骨した。

記憶の闇の中───やがて記憶は、陽炎のように消えていく。


+++


目蓋を閉じ、僅かに色褪せた写真を握り締めたまま静止していたソラが、おもむろに息を吐き出す。

心配一色で見守っていた啓司は、ようやく顔を上げたソラにまなじりを下げた。


【おう、やっと戻ってきたか。どうだ、なにか分かったのか?】


「ああ。写真の女性はイスナの実母だ。彼女もまた…堕ちし者アン・シーリーとの闘いで命を落としている」


【彼女“も”?】


「…そうか、お前には話していなかったか。イスナはな…堕落者アン・シーリーにやられて…私が遭遇した時には既に虫の息だった」


【なに…っ】


「なんの因果か、母子が同じ原因で命を落とすなど、尋常ではないだろう? 私は、この因果を断ち切るために…イスナと出会ったのやもしれんな」


悟った顔で長い睫毛を伏せるソラのその横顔、細い肩が今すぐにでも消え失せてしまうような焦燥に駆られて、啓司はソラの手を握りとる。

そして、そのままやや強引に洗面所の鏡の前に連れていった。


「おい、今度はなんだ急に…」


【なあ…。お前のことだからさ、今の体がダメになったら使い捨てる気だろ】


(なんだコイツ、さてはまた読んだな?)


「さあ…どう、だろうな」


【そんなの絶対にダメだ。俺、お前にはずっとここに居てもらいてぇんだよ…】


啓司の唐突な行動の理由を察して眉間にシワを寄せるが、ぶつかるようにしてしがみ付いてきた彼の肩が震えているのを見てとってソラは文句を飲み下した。


「物好きめ…。こんな異形に情をかけたら、懐かれても知らんぞ?」


引き留められるほど好かれている、と錯覚しそうで思わず声が震える。

新しい心臓が激しく早鐘を打ち鳴らすので、息が詰まって胸がひどく苦しい。


【人間だろうが異形だろうが、お前なら何でも構うもんか…。むしろ、はぐれたら探し回るからな…】


残置物のセミダブルベッドに追いやられて座ったソラの膝に、ふいに茶色の毛玉がよじ登る。

登ってきたのは、熟睡していたはずのワタリギツネの仔だった。


【ゴロゴロ…ゴロゴロゴロゴロ…】


小さい欠伸をしてから、ワタリギツネの仔はソラの掌に顔を擦り付けて甘える仕種をする。


【ほら、このチビもお前には居なくなって欲しくないってよ】


喉を鳴らしながら膝の上で寛ぐワタリギツネの仔をあやすソラの傍らに、べったりと啓司が寄り添う。かとなく漂う甘い雰囲気に頬を掻いて後込むソラに、啓司は優しく唇を寄せた。


【んぶ…っ!?】


…のだが、彼の顔面にめり込んだのは残念ながらワタリギツネの仔の肉球だった。

きゃっきゃと笑い転げつつ器用に逃げ回るワタリギツネの仔を怒り心頭で追いまわす啓司を眺めながら、ソラはホッと短い溜息をつく。

藤咲可耶子の死を知らないというのならば、彼の身に禍事が降り掛かったのも恐らく同時期なのだろう。

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