02

【…兄貴を見つけだしたら、そしたらお前は…どうするんだ…?】


「……言うな」


一人きりになるだろ、と言いかけた啓司を無理に撥ねのけて、ソラはきつく掌を握り締める。


「その先は未定だ。だから……いまは、何も聞かないでくれまいか」


そんな話、聞きたくもない。独りになるから、何だというのだ。

そもそも孤独ひとりの人間は他にも五万といるのに、なぜ自分に構うのだろう。

それに些細な情に絆されるようでは、悲願は果たせない。


「別離は確かに悲しいことだ。だが、いつまでも寂しがっていられるほど世界は甘くないのだよ。弱きに選択肢は与えられず、残すは淘汰される道しかない」


【お前……それで寂しくないのかよ】


「それでも仕方あるまい。私個人の感情なんて、悲願の達成に比べたら些末事でしかないんだから」


【おい…ちょっと待て、今んところ訂正しろ…】


しばらく沈黙を保っていた啓司だったが、どうしても聞き捨てならないソラの口ぶりに強烈な苛立ちを覚えてソファから立ち上がる。


「…急に立つやつがあるか、落ちたではないか」


膝から転げ落ち、臀部を強かにぶったソラが抗議の声を上げるが、敢えて啓司は無視を決めて声を張った。


【黙って聞いてりゃ、自分はどうでもいいばっか言いやがって!】


静かな恫喝に顔を上げれば、まっすぐで、怒りを点した眼差しと搗ち合う。

ソラはそこに、いつか見た純粋に怒りだけを点した猛獣の双眸をみた。


「それが私の役目だ」


【うるせえ。俺はお前が悲願とかいうのを果たして消えちまうのはイヤだぜ!】


啓司はソラを縛る「悲願もくてき」が憎くて堪らない。それさえなければ彼女はただの女として伴侶を見つけて、枷なく自由に生きられるのに。

どうして、可能性を、未来を望まないのだろう?


【もっと自分を大事にしろ。お前は物じゃねえんだ】


怒りに伴う熱の籠った眼差し、力強い声に打たれ、ソラはくしゃりと泣きそうな表情をする。


「……それは、誰にも言われたことがなかったな…」


【そうかよ。なら、しっかり覚えとけ】


薄氷うすらいを踏むような、繊細な接し方が歯痒くて啓司は更に苛立った。

部屋の中には後味の悪い、澱んだ雰囲気が冷たく漂っている。ソラも少し元気がないようだ。

これで少しは響いたかと期待しつつ、啓司は横からソラの様子を覗き込む。

だが、彼に待っていたのは怒りの制裁-平手打ちだった。


【ふんぎゃ!】


「貴様は…貴様というヤツは、大人しくしておけば付け上がりおって…そんな、大声で怒鳴らなくてもいいだろ!」


慰めるつもりで激励した(つもり)だった啓司だが、ソラ渾身のビンタ&エルボーによって敢えなく宙を舞う。


「ふん。目には目を、歯には歯をだ。覚えておけ」


部屋の隅まで転がり埃まみれで目を回す啓司を睨みつけると、ソラは形よい唇を一文字に引き結んだ。


【いや、そ…そうじゃなくて俺は慰めようと…】


つん、と背を向けてしまった彼女に、啓司はあわあわと床を這って傍までいくとソラの足首に縋りつく。


【すまん、怒鳴っちまって】


これで想い寄せる女性に嫌われては、元も子もないからだ。 


「まったくだ。会って3日目の生霊に怒鳴り付けられるなんて、思いも寄らなんだ」


【だから悪かったって】


埃を払って立ち上がると、啓司は段ボールから荷物を出しているソラの傍に寄り添った。


【手伝うよ】


「……ありがとう。ぶっ飛ばされても戻って来るだなんて、意外と根性あるのだな」


【そりゃ、な】


好きだし。

でももう、気持ちは口には出さないでおこう。

流されてうやむやにされるくらいなら、静かに想っている方が断然有意義だ。


【お前、危なっかしいから心配なの】


「まったく……過保護なことだ」


ふい、にっこりと微笑んだ表情が大輪の牡丹のように鮮やかで、啓司はまた棒立ちになる。

 

「どうした、まじまじと見て。…私の顔になにか付いてるか?」


【いや、す…すまん。話を続けてくれ】


ぼんやりと返ってきた返事に、ソラはやや小首を傾げて状況を窺う。

どうしようもなく(ソラに)見蕩れていた啓司は決まりが悪くて、ボサ髪をバリバリと掻いた。


「それから先は、時代も国も転々としてきた。この容姿かたちのモデル…イスナと出会ったのは4ヶ月ほど前になる…」


【ふーん、そんなに経ってねえんだな】


「……実は各地を転々としているうちに色々と訳あってだな、それまで使っていた肉体カラダを腐らせてしまったのだ…」


おおよそ頬染める内容には程遠いにも拘わらず恥じらうソラに対し、啓司は絶句する。


【は?……くさ、腐らせただとお?】


「……樺太で堕落者アン・シーリーと悶着した時に…当時使っていた肉体が原型とどめずズタボロに壊れてな」


【いぎゃあああああああああっ、ぜってー想像したくねえ!】


脳裏に海外のスプラッター映画のゾンビが思い浮かぶ。

それをソラで想像し直して……やめた。

原型を留めないとか、絶対にモザイクのかかったスプラッターだ。


【お前なあ…そもそも、自分の体なんだから大事に扱えよ…】


医者の卵のくせにそういうスプラッターものが苦手な啓司は、気分悪そうに口元を押さえて被りを振る。


「当時の私は頓着しなかったからな、派手に壊れて多少形がある程度の、ほぼミンチ肉状態になってしまった…」


【はあ…。もう何言ってもムダか…】


妙にさっぱりハッキリ言いきっているが、考え方や価値観が違う彼女に「人間の価値観」を説いても無駄だと踏んだ啓司は、そのまま話を聞き流すことにした。


「少しはマシになるかと思ってシベリアの永久凍土で休ませていたんだが…うっかりそのまま凍ってしまってな。気づいた時には昨今の地球温暖化の影響で全て腐れてしまった、という訳なのだよ」


【そういうコトを真顔で言うな、真顔で…】


彼女からすればウッカリ案件を笑い話として話しているのかも知れないけれど、悪いが一欠片も笑えない。

配慮も倫理観も感じられないのは、果たして長年人ならざる者として在り続けたせいなのだろうか?


【お前…いい加減ザツすぎ。冷凍食品じゃねえんだぞ?】


肉体からだに戻れなくなった件は、その…反省している。次の依代を捜して長らく彷徨ってこの日本くにの上空に差し掛かった時…業火に燃え盛る屋敷を見つけた。なぜか惹かれて降りた先で、私は呪術師・イスナと出会った…」


逐一感情豊かに憤慨する啓司に目を細めて微笑むと、ソラは寄りかかっていた胸板からゆっくりと離れた。


【お、おい…どうしたんだ?】


境界線を敷かなければ、今まで培ってきた「自分」が消えてしまいそうで、思わず背を向ける。

それでも拙い境界線だが、ないよりはマシだ。


「なにがだ」


【なんで離れるんだよ。そのまま話せばいいだろ…】


益体もない文句に振り向くと、啓司が寂しそうな素振りで俯いていた。

なぜか彼にだけ湧き起こる心地よさと寂寞が、インクのように胸を充たしていく。

久々に他人と交わす感情を介した交流が心地よくて、ソラはゆっくりと数歩の距離を埋めた。


「私は、イスナと約束した。必ず、亡き一族のかたきを探し出して討ち取るとな。これからは……その情報を集めなければ」


これ、と顎で示された先には先頃段ボールから出したばかりの雑多な「霊的な資料」があった。


【イスナだっけか…。肉体からだだけ譲り受けたと思ったら、ずいぶん退っ引きならねえ事情まで引き受けちまったな】


「まあ、駄賃だと思えば良いさ」


顔を顰める啓司を適当に笑ってやり過ごして、ソラはそっと遺品の念珠に触れた。

少なくとも、この雑多な霊的荷物から嫌な気配はしない。染み付いて残った霊力の強度から察するに、件のイスナは相当有能な祓魔師だったのだろう。


【なあ…情報を集めるって言ったな。どうやって調べるんだ、その方法は?】


「さいわい、イスナの死は誰にも伝わっていない。だから後日、彼女の職場に本人として紛れ込むつもりだ。なに、成りすますのは得意なのさ」


【成りすまし…】


若干引いた声を漏らした啓司にまた笑んで、ソラはダンボール箱を床から持ち上げた。



 

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