希望

昼星石夢

希望

「ママ、僕たちはどうなるの」

「坊や、怖がらないで。手を握っていて。パパのいる、なんの苦痛もない、優しい世界へ行くのよ」

 坊やは、ママがそっと触れている、胸元のしるしを不安気に見つめる。

 そのしるしは、もうずっと昔に、存在が否定されて、封印された、思想を表している。

 強い風が唸り声とともに、坊やのいる部屋の窓を殴りつける。横になっているママは、肩を震わせる坊やをそっと抱きしめた。

 部屋の外に目をやったママは、荒れ果てて黄色い土煙の舞う中を、倒れた仲間を踏み越えて彷徨う同胞を、救いを求めて見守った。

『この世界は、卑怯な敵の攻撃により、滅亡の危機に瀕しています』

 攻撃の応酬に使われた兵器は、目に見えず、生命をゆっくりと、確実に、破壊していった。

『我々の星は間もなく終わりを迎えるでしょう。しかし、調査の結果、移住可能な惑星は、我々の技術が到達しうる限りにおいて、見つかりませんでした』

「ママ、聞こえてる、どうして僕らの他に、この宇宙には誰もいないのかな」

「いいえ、見えていないだけよ。でもね、坊や、私たちの星を大事にできないのに、他所の星を大切にできるわけはないわ」

 窓の外で群衆が、奇声を上げながら行進している。きっと敵のいる国でも、同じような光景が広がっているのだろう――。

 ががん、ばこん、と大きな音が響く。部屋が揺れる。天井から砂粒がぽろぽろ落ちる。花瓶が落ちて割れた。窓の外にいる同胞は、いっせいに屈んだけれど、起き上がらない者もいる。

「ママ、お腹すいたね。少しだけ、少しだけ食べようよ」

 坊やは床板をそっと外し、残り僅かな配給品をちぎり取ると、ママの脇に戻り、さらに二つにちぎると、大きいほうをママに渡した。

「またママの特製スープが食べたいな。まん丸の透明なのと、シャキシャキしたのとが、スープに入ってるんだ」

 ママは遠い過去のように思える、懐かしい食卓を思い出していた。あれはうちの本棚から見つけ出した、伝統的な料理だった。穢れない大地で育った食材が必要な……。

 ママは目を細めて窓の外を眺める。坊やは励ますように、ママを見上げる。

「大丈夫だよ、特製スープじゃなくても、パパに教えてもらった方法で、僕がママにご馳走をつくるんだ」

 ママは坊やに向き直り、微笑んで頭を撫でた。

「新しい兵器は平和をもたらさない。僕らに必要なのは戦いじゃない。きっとこの兵器を使う者がどこかに現れるだろう。そうしたら、僕たちも、この子も、醜い世界へ引きずり込まれてしまう。だれも、新しい兵器の恐ろしさを知らないのだから――」

 坊やの目はパパに似たのだと、ママはそっと坊やの目尻を拭う。

『皆さん、落ち着いてください。塀を上らないで。こちらより先は許可証がなければ入れません』

「ああ、五月蠅い。最後ぐらい静かにしてくれ」

 上の部屋から年老いた声が叫ぶ。がたん、となにかを倒した音もする。可哀想に、大切な奥さんを亡くされて、きっと一人で寂しいのだろう。

『我々は敵の愚策により、滅亡する運命にあります。しかし、希望は繋げていかなければなりません。この星でなくても、未来の子ども達のために、我らの種の繁栄のために。この星で頂点に立つ我らの種の存続のため、選ばれし者はその生命の設計図を空へ打ち上げ、その重大な任務の遂行のあと、穏やかな死を迎えます。塀の外側の皆様は、任務成功を祈ってください』

「なにが任務だ、誰に選ばれたんだ」「子どもでも遂行できる任務なら、うちの子どももお願いします」「塀の外側に穏やかな死はないのか」口々に窓の外から声がする。なにかを投げる音がする。空は煙に巻かれ、光が届かない。

「ママ……僕たちに希望はないの……」

「いいえ。希望ならここに――」

 ママは胸元のしるしをおさえた。それから、「ここにも」と、坊やの頬を包んだ。坊やは少しだけ微笑んだ。

「僕たちはまだ苦しむの……」

「いいえ。パパが見守っているから――」

「上のお部屋のおじいさんは」

「奥さんが傍にいる――」

 坊やは安心したように息を吐いた。

 ばたん、と音がして、隣の部屋の窓が開く。毎日なにがあっても、並んだ植木鉢に水をやり、同じ時間に部屋を出る。そして、坊やの部屋の窓をたたく。ママが病気だと知っているから。

「どう、具合は。帰りになにか買ってきてやろう」

「どこへ行くの……」

 坊やが窓に近づき、隣人の、坊やと同じくらい汚れた服を、不思議そうに見つめわたす。

「どこへって、仕事さ、坊やも学校へ行くんだ」

「でも、もう――」

「それでも行くんだ」

 坊やの頭をわしゃわしゃかき回すと、砂埃に消えていった。

「なにも変わらないみたいだね」

 坊やはママのところへ戻り、僅かに羨ましそうな眼差しを、窓外に向けた。「そうね」ママは小さく呟いた。

『まもなく任務が始まります。該当者以外は速やかにご帰宅願います』

「ふざけるな」「子どもがいるのよ、見殺しにするつもり――」慟哭が聞こえる。最後の一声を振り絞るような……。

「ママ、僕らはどこで間違えたのかな――。生まれてこなければよかったのかな……」

「坊や、そんな悲しいことを言わないで。あなたはなにも間違ってなどいないのよ」

 ママはどこにそんな力が残っていたのだろう、坊やがハッと身を引くほど、透き通った声と眼差しで言った。

 どたどた、廊下を走る音がして、ばたん、と乱暴に部屋の扉が突き破られる。

 全身防護服に包まれた集団が、ガスマスク越しに坊やとママに鋭い視線を向け、武器を構える。しかし、目ぼしいものがなかったのか、何も言わずに、仲間と去っていった。

 坊やはママにきつく絡ませた腕を緩め、苦笑いした。ママもこたえて悲しく微笑んだ。

 ドドーンと、また大きな音がする。キャーという悲鳴も聞こえる……。


「お父様、どこへ向かっているの」

「ふむ、私たちに任せられた重要な任務に向かっているのだ」

 幾重ものゲートを通り抜け、何回もチェックを受けながら、長い列はようやく終わりをむかえようとしていた。

 列の終わりでは、なにやら侵襲的なことが行われているようで、小さい者は不安にかられ、尋ねるのだった。

「お父様、あれはお友達だわ。なんだか泣いているみたい――」

「ふむ、あの子の親は我が方の秩序の安定に貢献した。当然だな」

「お父様、あちらは上級生だわ。なんだか悲しそう……」

「ふむ、敵の殲滅に一役買った家のご子息だな、けっこう」

 任務の広間には、遠い敵のいる場所が、火炎と黄色い煙に包まれ、そこにいる者たちの泣き叫ぶ姿が映し出されている。敵の小さい者が必死に叫ぶ先で、大きい者が無残に殺されている。同胞は、動かなくなった大きい者を蹴飛ばして、小さい者の傍にやり、笑っている。

 それから我が方の美しかった頃の大地や、水辺が映し出され、そこに暮らす同胞の笑顔が映り、永遠に、という意味の言葉が表れる。

「お父様、この前言っていた、坊やはどうなったの」

「坊や、はて、なんの話かな」

「お母様と話していたじゃない。坊やのお父様を捕まえたのでしょう」

「ははは、さては盗み聞きしていたな。もう寝なさいと言ったのに」

 小さい者は任務の順番が近づいてきて、気を紛らわすために聞いた。

「坊やは無事だよ、我らは野蛮でないからね。坊やのお父様は牢に繋がれておる」

「それじゃぁ、また会えるのね」

「いやいや、坊やのお父様は、我が方の秩序を乱したのだ。この世界がおわ……おほん、もう会うことはないだろう」

「そう……残念ね」

「悲しむことはない。お前はいい子なのだから」

 小さい者は任務の順番がやってきて、なにやらヒヤリと塗られると、突然小さくした、新しい兵器のような形のものを、体にズボリと刺された。

 小さい者は痛みよりも、衝撃のほうが大きくて呆然としていた。

 小さい兵器を持った者は奥に引っ込んでいった。小さい者は、あの兵器を大きくしたものを、敵の国に発射しているのを見たことがあった。

「さあ、お前は任務を達成した。向こうで待っていなさい」

 小さい者は、友達が入っていった、幕の向こうへ入っていく。少し窮屈な部屋には、まだ誰もいない。奥に扉がある。小さい者は、重い扉を、体を使ってほんの少し開けると、するりと入っていく。

 中は広く、穏やかな音楽が薄暗い照明に漂っている。カプセルがたくさん設置され、中に同胞たちがいる。友達も横になっていた。眠っているようだ――。

 小さい者が、近づこうとすると、大きい音をたてて、カプセルが回転した。そのまま吸い込まれるように、カプセルは口を開けたような床下に消えていった。

「お嬢さん、いけません、いけません」

 係りの者が、小さい者を引っ張って、部屋に戻す。同胞が集まっていた。

 小さい者は係りの者を振り払い、お母様のもとへ走り、抱きついた。

「あなた……、もう、これで――」

 今日初めて声を出したお母様は、かすれた声で、お父様に呟く。

「ああ」

 お父様は、お母様と小さい者を抱き寄せ、なにも言わずにしばらくそうしていた。

 それから、何事もなかったように、小さい者に微笑みかけた。

「さあ、どうしたのだ。任務を達成したというのに。選ばれた者にだけ与えられる、名誉ある特権だぞ」

「どうして新しい兵器を私に使うの」

 一瞬たじろぐお父様にかわり、お母様が明るく答える。

「なにを言うの。我が方の生活は、悪い敵をやっつけるための兵器を応用して、成り立っているのよ」

「そうとも、これこそ賢明な技術応用だ」

「準備が整いました」

 係りの者が重い扉を、仰々しく開く。温かくもどこか突き放すような音色が迎える。

 小さい者は心細い気持ちを、お母様に縋りつくことで抑えていた。

「あれは、なに。お父様、お母様、これからなにが……」

「おほん、なに、最新のアドベンチャーゲームさ。お前が驚くだろう、と秘密にしておったのだ」

 お父様は小さい者に嘘をついた。嘘を見破れるほどには、小さい者に思慮分別がないと勘違いしている。

「そうよ、これはいい子だけ遊べる、特別なゲームなのよ」

 お母様はそう言って、引き攣る顔を、どうにか笑顔にする。「でも……」と言いかける小さい者を、有無を言わせない声が制する。

『皆様、任務遂行誠にお疲れ様でした。我らの星が誕生して五十億年、これほど繫栄した種は他にありません。その中において、崇高な理念と高邁な精神をもつ我らは、最も気高いものであったと言えましょう。世界は闇に包まれようと、希望は繋がってゆきます。我らは決して、消滅などしません。きっとどこか美しき星で、その生命を育んでゆくことでしょう』

「お母様――」

 小さい者は係りの者に抱きかかえられ、カプセルに寝かされた。「お父様、お母様」小さい者は、透明なカプセル越しに叫ぶ。

「大丈夫よ、お母様は隣にいます。ここにいますよ」

 口の動きでそう言っているのがわかる。その隣でお父様も、身を横たえ、小さい者へ穏やかな表情をみせる。

「待って、お父様、お母様……」

 小さい者の視界は一瞬、白い煙に覆われた。それからゆっくりぼやけていく世界に、両親の残像だけが残った――。


「ママ、パパは、どこにいるの……」

 坊やは、聞いてはいけないと知りつつも、いよいよ激しくなる、世界の終わりを告げる混乱を前に、聞かずにはおれない。

「パパは――、パパは真実のために、同胞だけじゃなく、世界の、宇宙の皆のために戦ったのよ、真実を武器に――」

 ママは首から下げたしるしを握りしめる。

『離れてください、任務は成功しました。敵の総攻撃が間もなく始まります。同胞の皆様、偉大なる我が種族は空を越え、宇宙を渡り、繋がっていきます。希望は託されました。発射場に近づかないでください、偉大なるこの星に、万歳、我らに栄光あれ』

 ブーーン、と不気味な羽音のような音が遠くから響く。部屋の骨格が揺れ始めた。

「どうしてパパは僕より皆を選んだの……」

「いいえ、坊や、あなたのためだったのよ」

 ママは不穏な音が近づいても、顔色を変えず、坊やを見つめる。

「あなたにとって恥ずかしくないパパでいたかったのよ……」

 逆の方角から、ドド――ンと、地面を揺らす振動が伝わってくる。坊やは、瞳から水滴がこぼれないように、堪えてママを抱きしめた。

「パパに――、きっと会えるね」

「ええ」

 二人が瞳を閉じた、そのとき、世界は閃光に包まれ、一瞬の無音のうちに、消滅した。

 そしてその星から、細長い隕石型のなにかが、飛び出した。


 地球。この星のある国では今、二つの話題で持ちきりだ。

「大型の隕石が、太平洋に落下した影響による、津波の被害が報告されています。これまでのところ、我が国への影響は小さいとみられるものの、住民には、避難を呼びかけ……」

「アメリカ航空宇宙局の職員が、原因不明の、発熱、眩暈を訴え、複数の職員に同様の症状がみられることから、CDCは集団感染の疑いがあるとして、注意を呼び掛けています」

 大きく取り上げられたのは一つ目で、二つ目は夜中のニュースで一瞬、放送された。

 翌日、別のニュースに話題はさらわれる。

「東京渋谷のスクランブル交差点で、謎の黒い物体が異臭を放っている、との通報を受け、警察が駆けつけた事件で、宇宙航空研究開発機構が調査したところ、太平洋沖で発見された隕石と同じものであると発表されました」

 それから瞬く間に、地球は黄色い雲に覆われ、五メートル先も煙で見えにくくなった。

 人々は世界中でマスクをし、手洗い、消毒で自衛を試みた。

「原因不明の感染症が、世界中を震撼させています。主な症状は、発熱、眩暈、重症になると、幻覚、幻聴が表れ、意味不明な言葉を話す例もあるそうです」

「WHOは会見で、パンデミックを宣言し、ワクチンと治療薬の早期開発と普及に向け、各国と企業に協力を求めています」

 人々は様々な憶測をたくましくした。「これは陰謀だ」「また誰かが変なものを食べたんだ」「地球温暖化」「どこかの研究所から漏れたんだ――」

 地球という星の、各国のリーダーは口を揃えた。

『我々はこの戦いに打ち勝つ。悪を滅ぼし、必ず日常を取り戻す。我々人類は偉大だ、皆さんの協力を要請する――』

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