第4話 ここへ繋ぎ止めるものでなく
この国では一年中温暖な気候で過ごせるからか、空中庭園で花が絶える事がない。
歌姫の為に集められた腕の良い庭師達が、配置に拘り入れ替えをしたり定期的に世話をしているので、庭園の中を歩いていても、微かに甘い花々の香りと、草葉の瑞々しい匂いで溢れている。
花はそれぞれの歌姫から受け継いだものもあれば、新しい歌姫の為にと植え替えられたものもあり、ストレリチアの場合は小さな噴水の側に設置された、白い小花で出来たアーチだった。
小指の爪程の花弁をそっと手のひらに集めたような繊細な花で、他の花よりずっと甘い芳香がする。
散り際もちらほらと雪が降るように落ちてくるので、苦手にしている白色でありながら、ストレリチアはそれだけは気に入っているらしい。
悪戯にくるりと回りながらアーチをくぐって行くストレリチアを見て、あんまりはしゃぐと転んでころころと下まで落ちちゃいますよ、と、アキレアは呆れて溜息を吐き出しながらそう言った。
抑圧された生活をしているからか、時折、ストレリチアは無邪気な子供のような一面を出す事がある。
今にしたって、アキレアの指摘に腹が立ったのか、リスのようにふくりと頰を膨らませているくらいだ。
それだけ気を許しているのか、それとも、秘密を共有している仲間意識からか……、考えてみても、アキレアにはよくわからない。
この場所は国の中でも一際高い場所に造られた空中庭園であり、彼女が外に出る事は決して許されず、それが叶う日には、顔も知らない結婚相手に嫁ぐ時だけ。
そもそも年頃の男女を一緒に此処へ閉じ込めておくのはどうなのだろうか、とアキレアは思いはしたけれども、以前ストレリチアに聞いた折りには、自嘲するように笑って「お兄様の娘が生まれて次代の歌姫は決まっているのだし、何かあったとしてもそんな事はあの人達にとっては瑣末な事だからでしょうね」と言い、おまけに、「仮にあなたがわたしに何かをしたとしても、わたしの一存であなたの命をどうとでも出来るから……かもしれないわ」などと言っていたのだ。
大人しそうに見えて、彼女は案外強かで苛烈な一面も持ち合わせているし、アキレア自身、声の代わりをするだけで得られる、今までとは比べ物にならない程の暮らしを手放すつもりはない。
それに何より、たった一人でこの空中庭園に閉じ込められている彼女が、これ以上辛い思いをして欲しくはないと思う程度には心を許してしまっているので、どうかしようなどとは更々思わないのだけれども。
『わたしにも、羽があったら良かったわ』
時折強く吹く風がドレスの裾を翻しても気にも留めず、白い小花のアーチの隙間から見える空を眺めたストレリチアが零した言葉に、アキレアは思わず眉を寄せた。
夕暮れに似た色の瞳は、突き抜ける程に青い空を悠々と泳ぐように飛んでいる鳥の群れを、つまらなそうに見つめている。
可哀想、とは言いたくはなくて(だって、まるで自分自身が言われているような気持ちになってしまうから……)、アキレアは頭を肩にくっつける程に傾ける。
視界の隅で揺れる真っ赤な羽耳は、ぱし、ぱし、と不満げに揺れて肩に当たっている。
「それ、嫌味です?」
アキレアの羽は身体を支えられる事はなく、感情に合わせて動く、ただの飾りのようなものだ。
故郷は険しい山々に囲まれた谷にあり、一族の皆は背に生えた大きな翼を使って自由自在に空を飛び、悠々と暮らしていたが、アキレアは彼らを頼らなければまともな暮らしなど到底出来やしなかった。
それが、どんなに惨めで悔しくて、辛い事であったのか。
きっと彼らは知らないし、知ったとしても絶対に理解はしてくれないだろう、とアキレアは思う。
知らず手のひらを真白になるまで握り込むと、ストレリチアはその様子を見かねてか、側に近寄るとそっと包むように手に触れて、力を込めた指先を優しく解いてくれた。
乾いて冷たくなっている自らの手とは違い、彼女の手のひらはしっとりとしていて、あたたかい。
「姫様、これはただの飾りみたいものですよ。この窓から飛び降りたって、落ちていくだけです」
『いいじゃない。小さくたって、羽だもの』
ふふ、と吐息混じりに笑いながら、ストレリチアは羽耳にほっそりとした指を近づける。
痛みなど知る筈もないきめの細かいなめらかな肌、綺麗な形に整えられた爪。
アキレアは暫し彼女の指先に気を取られてその様子を見守っていたが、触れられるか否かの所で慌てて頭を振り、彼女の指先を拒んだ。
彼女はつまらなそうにほんの少しだけ唇を尖らせているけれど、軽く息を吐き出すと、頰に流れた髪を耳にかけながら柔らかく微笑んでいる。
『きっとそれは、あなたには飛び立てる力があって、何処にだって行く事が出来るっていう、証なのよ』
そう、囚人のようにこの空中庭園に閉じ込められて、何処にも行けない彼女は言う。
羨ましい、とは、決して言わない。
彼女は自分がどうしてこの空中庭園に閉じ込められているのかを、知っている。
この先の祝福さえ、彼女は自らの手で選び取る事が出来ない。
それを、確かに理解しているのだ。
痛いほどに。
「……、姫様くらいですよ、そんな事言うの」
自分と同じように何処にも行けないというのに、罪悪感でいっぱいになって閉じこもってしまう彼女のささやかなそんな希望は、けれど、時折アキレアの気持ちを不思議と軽くさせてしまう。
アキレアが困ったように笑うと、ストレリチアは小さく何度か頷いて、いつかあなたの辿り着きたい場所へ届くと良いわね、と笑っている。
せめて、共にいられるこの時だけは、彼女の心が少しでも軽くなりますように、と、アキレアは祈るように目蓋を閉じていた。
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