満月の贈り物

綴。

第1話 満月の贈り物

 私は何だか疲れていた。


 仕事の終わりにお弁当をひとつ買って帰ろう。

 今日は料理もしたくない。


 いつもの商店街を歩いていると、普段見かけない姿があった。

 小さなテーブルに『占い』の文字。


 白く立派な髭をたくわえた老人が座っている。


 私は導かれるように近づいて行った。

「お願いできますか?」

「どうぞ、お座り下さい。」


 老人と向き合う形で、膝の上に鞄を置いて座った。


「手のひらを見せて下さい」

 私が差し出した両方の手のひらを虫眼鏡でしばらく見ていた。


「あぁー、旦那さん大変じゃったのう」

「わかるんですか?」

 私は思わず聞き返した。


「うんうん、最後まで頑張りましたねぇ。旦那さんもあなたも」

 ピ――ンと張った糸がプツリと切れた。

 私の頬を涙が濡らしていく。


 長い闘病を終えて、半年前に亡くなった夫の顔が浮かんだ。


「大丈夫だ、うん、あなたは大丈夫じゃ」

「ホントに?」

 私はもう一度聞き直してみる。


「次の満月の夜に美しい光が降ってくる」

「次の満月ですか」

「ほぅじゃ。ピンク色の満月だのう」


 私は空の月を見上げた。

 まだ小さな三日月だった。


「おいくらですか?」

「いゃ、お代は結構いらんよ」

「でも……」

「頑張ってきたご褒美じゃよ」


 私はお礼を言って、その場を去った。



 あれから、あの『占い』の老人は見かけなくなった。



 私は今日も疲れ果てていた。

 朝のニュースで、今夜は満月だと言っていた。それも少しピンク色に見えるらしい。


 私は楽しみに待っていたのに。

 お弁当をひとつ買って、傘をさして歩く。


(もう、何よ。嘘だったの? そういえばお代も受け取らなかった。騙された。ピンクの満月なんて見えないじゃない! 美しい光なんて降るわけないじゃない!)


 今日もとても疲れていて、まともに仕事ができなかった。

 お気に入りのボールペンも無くしてしまった。



「更年期障害でしょうね……」

 病院では言われた。



 傘に当たる雨の音はあまり好きじゃない。

 傘を持つのが嫌いだから。


 家に付くと明かりが付いていた。

(あれ?)

 鍵を開けて中に入る。


「お母さん、お帰りなさい!」

「ただいま!どうしたの、急に」

 娘の紗友里がエプロンをして出迎えてくれた。

「ホワイトシチューが食べたくなってね、久しぶりに作ったの!」


 紗友里は料理があまり得意ではなかったはずなのに。

「お母さん、お弁当買って来ちゃったよ」

「もー、そんなのばかり食べてちゃダメでしょ!」


 昔、私がよく使っていた言葉。


――ピンポーン――。

「きっと、直己よ」

「こんばんわ!」

「なぁに? ふたりして」

「お邪魔します!」



 久しぶりにテーブルに手料理が並んだ。

 私が買ってきたお弁当はみんなで分けた。


「あぁ、嬉しいね。お父さんがいなくなってから、こんな風に楽しい食事できなかったものね」

「しかも、私の手料理だもんね!」

 紗友里の笑顔がキラキラとしていた。


「ねぇ、お母さん。体しんどいんでしょ?」

「まぁね。更年期障害だって」

「仕方ないよね、年だもん!」

 直己さんが、紗友里の腕を肘でついた。


「お母さんは、看病も頑張ってきたのだから。疲れが溜まってしまってるんですよ」

 直己さんの優しさに微笑んだ。


「あのね、お母さん。このマンションの6階に空き部屋があるの。私たち、引っ越ししてくるから」

「えっ?どうして?」


「デザートとってきますね!」

 直己さんは、ニコニコとしながらケーキを持ってきて、箱を開けた。


 涙がポロポロと溢れた。


「だから、お母さん。仕事無理しないで辞めたら?」

「お母さん、僕もその方が安心できるのでお願いできませんか?」


 私の涙は止まらなかった。

 夫の看病で疲れ果てた体で、お葬式を済ませた。とてもとても疲れていたから、言えなかったんだろう。



「うんうん、そうするね。ありがとう」

 私の言葉に紗友里と直己さんがニッコリと微笑んでくれた。


ケーキに書かれた文字。

『おめでとう! おばぁちゃん!』


「すぐ近くだから、孫のお世話手伝って欲しいの、宜しくね!」


 外は雨が降っている。


 でも今夜はピンク色の満月の夜。


 私たちの上からキラキラとした光がたくさんたくさん降ってきた。



― 了 ―

 一話完結です。

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満月の贈り物 綴。 @HOO-MII

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