第12話 アマイモンのスムージー
うん——正直怖いけど。あのおっさんのことだし、僕のことをずっと話さなかったのにも、きっと何か理由があるはずだと思うんだ。だから、僕はそれを自分で確かめたい」
としおは机の上で固く拳を握った。
「それに僕だってずっと、守られっぱなしなのも嫌だ! 戦えるなら、自分で戦いたいんだ」
としおの覚悟の灯った面を見て、キーファの銀色の体が満足げに輝いた。
「——そっか。じゃ、ぐずぐずしちゃいられないね。早速だけど、色々手続きを済ませなくちゃいけないから、ついてきて!」
「わ、早速すぎる! ちょっと待ってよ!」
キーファがおもむろに羽を広げて飛び上がったので、としおは慌てて机の上のジュースを飲み干してから、席を立った。
カフェを出たとしおは、キーファの案内の通り廊下を左に曲がった。廊下の立派な石造りの窓からはやはり眩しい光が差し込んでいた。外には広大な自然とその中に埋もれた大きな建物が幾つも見える。ちょうど山肌から崖とその下に広がる光景を見下ろすように作られている窓の向こうで、飛沫で虹を作っている滝が流れ、城郭のような大樹が根差していて、鳥の群れが飛び立っていて、絵画に描かれた楽園さながらの眺めであった。
「本部って言ってたけど、ここって場所的には東京のどっかなの? 気付いたら連れて来られてたからさ。海も見えないってことは、だいぶ遠くに来ちゃったってことだよね」
キーファがとしおの肩の上で答えた。
「忘れてたよ。ここはボク達フォスフォロスの心臓部、“吊り庭”。各地域の支部を取りまとめる本部の他に、聖隷や魔法による怪我人や呪詛の被害に遭った人を収容する施設や、ネフィリムの教育施設や居住区等のあらゆる施設が集約されているんだ。キミからしたら知らない都市に来たように見えるけど一応、東京の地下……っていうことになってて——」
「ことになってる?」
「うん。吊り庭は文字通り東京の地下に存在している空間じゃない。キミたちが普段暮らしている世界とはズレた次元に存在する、魔力で形成された空間。いわゆる結界術の類だね」
「ふ、ふうん……」
理解することはできなかったが、としおはとりあえず頷いた。
「さっきキミが戦った聖隷を倒した時、景色がぼやぼやって揺れて、いつの間にか草原の中から部屋の中に移動してたよね? あれも結界術。ボクたちは、ここやああいう魔力によって構成されていて別次元に存在し、それぞれ異なった景色や性質を持っている異空間を、まとめて結界って呼んでるんだ」
「ああ、そういえばさっきもだし、昨日も公園に行ったはずがいつの間にか……」
としおはパプリカ頭が居た気味の悪い景色を思い出し、頭痛を覚えた。
「そっか。そういえば昨日フリルが言ってたね」
「もしかして、ここも一度入ったら中々出られない、みたいなことある?」
昨日から何度も理不尽な目に遭ってきたとしおは、目の前の出来事をすっかり疑わないと気が済まなくなってしまっていた。
「あ! 当たり前だけど、ここは出入りが出来るから大丈夫だよ! それについては帰る時に話すよ」
「よかったあ。冗談半分で聞いたけど、うんって言われたらどうしようかと思った」
「世の中、そんなに悪いもんじゃないよ」
「カブトムシに人生を説かれるなんて……」
「あ、ここ! このエレベーター乗って」
キーファに言われてとしおが足を止めると、窓と反対側の壁に、立派な石造りで、複雑な紋様が描かれているエレベーターの扉があった。
としおがボタンを押すと、すぐにエレベーターの扉が開いた。誰も乗っておらず、としおは遠慮せずに乗り込んだ。
「あれ、ボタン二個しかない。一階のボタンが点滅してるから、今は一階? こっちはなんて読むの?」
としおが押そうとした下のボタンには、エレベーターの扉の紋様と同じものが刻まれている。
「読み方とかないよ。とりあえずそのよくわかんない模様のボタン押して!」
「う、うん」
キーファに言われるがままとしおが謎の紋様のボタンを押すと、扉はすぐに閉じてエレベーターは下に向かい始めた。
エレベーターの中、キーファはとしおの肩の上で囁いた。
「これから入団する最初の手続きだよ」
「書類書くの?」
「いや、ジュース飲むの」
「は?」
としおが目を丸くするのも束の間、エレベーターが止まって扉が開いた。
扉の外は塔の内側のような空間であった。そこには立派な木の机が置いてあり、その上は分厚い本の山と無造作に伸びた蔓やアロエなどがそれぞれ植えられている植木鉢がほとんど埋め尽くしていた。天井が全く見えぬ程に高く、上を向くと気の遠くなるようなつくりのこの建物は壁一面が棚になっていて、壁面に沿うように螺旋状の木造りの廊下が上の方へ向かってずっと続いている。としおが何より驚いたのは、その壁面の棚に並べられている瓶の中身である。
「何、ここ……」
としおはおそるおそるエレベーターの外へ出た。蓋のついた瓶は規則正しく並べられ、もれなく札が紐で取り付けられていて、その中に漏れなく人の心臓が詰められている。奇妙なことに瓶の中の心臓は生きているように脈打っていて、そしてその全てに植物が寄生するように根差し、とりどりの花を咲かせていた。廊下には何人か白装束の人が歩いていて、瓶の中の心臓の様子を見ては、電話で何やら話をしている。としおは目の前のそのグロテスクな光景に足をすくませた。
「キーファ、何なのここ……まさか聖隷の……」
「やっと来たか」
肩の上のキーファのものではない何者かの声が左側から聞こえた。
「えっと……?」
としおが向いた先には、えらの無いつるんとした顔つきで、ディアボロスと同じように角を生やした吊り目の女性が立っていた。
「私はアマイモン。大地と植物を司る悪魔だよ」
としおは彼女の名前を上手く聞き取れなかった。
「甘いもの? スイーツ?」
キーファは焦って否定した。
「違うよ! アマイモン! 超偉い悪魔だよ!」
「え!? ちょ、早く言ってよ!」
「キミがありえない聞き間違いするからだろう! あの人、ひよっこの僕なんかよ比べ物にならないくらい歳上なんだよ」
小声で焦るとしおの肩の上で、キーファはため息をついた。
「そういえば、悪魔ってことはどうせ百歳とかでも若者扱いなんだろうけど、キーファって今何歳なの?」
「ボク? 十九歳だよ」
「思ってたより微妙な年齢差だった!」
キーファととしおのやり取りを、アマイモンは冷ややかに遮った。
「あのさ、喋ってもいい?」
「あ、すみません……」
としおとキーファはうなだれてアマイモンの言葉を待った。アマイモンは毒々しく胡乱な紫色の瞳を、手に持っていた書類に向けながら話し始めた。
「君がトシヲ・ヤマダだね。日の出地区支部長・ディアボロスから一通り話は聞いた。書類も貰った。今から入団の手続きをする。念のため本人確認するから学生証見して」
「は、はい……」
アマイモンが差し出した左手に、としおは学生証を置いた。
「うん、確認しました。キノコ女——ディアボロスが諸々済ませてるので手続きの必要はありません」
アマイモンはとしおに学生証を返し、としおはそれを受け取った。
「——じゃ、さっさとこれ飲んで」
アマイモンはいつの間にか鮮やかな紅色の液体が入り、ストローをさしたグラスを手に持っていて、としおにそれを差し出した。
「え、いきなりなんですか……」
気味の悪い空間で、得体の知れない飲み物を渡され、としおは怪訝な顔をせざるを得なかった。
「このスムージーには私の魔力が込められている。飲めば魔力が体内を巡って、一瞬で心臓に花が咲く。あんな感じで」
アマイモンは壁面の棚に並ぶ、植物に取り憑かれたまま動いている瓶の中の心臓たちを見て確かにそう言った。
「は!?」
狼狽えるとしおをじれったそうに見ながら、アマイモンはとしおの顔にスムージーを少し近づけた。
「毒とかじゃないし、痛みとかないし、あと超美味しいから安心して。飲め、早く。長年の研究によって開発した、最良の方法なんだから」
「え、えぇ……わかりましたよ」
アマイモンが高位の存在であることは、彼女の背後から湧いている何か根源的な得体の知れない気迫から、としおでさえも理解することが出来る。としおはグラスを受け取って、おそるおそるストローからスムージーを啜った。
「——ウッマ! 何これ」
ひとたび口にした瞬間、としおの口に瑞々しい食感、後を引く酸味と濃厚な甘味が広がり、ほんのりと華やかな香りが巡る。としおは手に持っていたスムージーを無我夢中で吸い、アマイモンは得意げにその様子を見ていた。
「私の魔力には中毒性があるからね。二度と飲めない味だ、しかと覚えておくがいいよ」
としおは一息もつかずに一瞬で、アマイモンのスムージーを飲み干してしまった。
「はい。儀式は終了。アレ、見てて」
アマイモンはこの塔の一番下、としおたちのいる床に最も近い場所の棚に置かれた瓶を指差した。その瓶も例に違わず心臓が入っていて、絶え間なく送る血も無いのに脈打っている。瓶の中はどういうわけか時間が早送りになっているようで、心臓に植物が芽吹き花が咲くまで、五秒と経たなかった。
「もしかして、あの心臓って……」
としおはたった今花を咲かせた心臓と、自分の胸元を交互に見た。
「そう。君の心臓だよ。立派なユズリハが咲いたね」
アマイモンはとしおから空のグラスをひったくって机に置きながら、雑に答えた。
「やっぱり! 僕、これからどうなっちゃうんですか!」
としおが怯えて脈を早くすると、瓶の中の心臓もそれに対応するように動きを早めている。それを見たとしおは、自分の心臓が何らかの術によって、アマイモンに奪われてしまったのだと確信した。アマイモンはやかましそうにしながら、机の椅子に座った。
「何も知らない子が来るとは聞いてたけど、ここまでとはね。そこのカブトムシ、この場所に来る前に、少しくらいは私の儀式については話しておいてよ」
アマイモンは長い爪でキーファを指した。
「す、すみません……。彼は本当に、昨日今日で自分のことを知ったばかりなんです。魔法の世界については想像もつかないことばかりでしょうし、口で言うよりも目で見てからの方が良いのかなと思いまして……」
キーファは少し怯えて、としおの肩を掴む脚の力を少しだけ強くした。アマイモンは気の抜けた面持ちで椅子にもたれかかった。
「ま、それもそっか——まず、この瓶はただ心臓の様子を映し出しているだけ。本物の心臓は持ち主の体の中にあるよ。胸に手当てたらわかる」
「よ、よかったあ」
としおは深くため息をつき、アマイモンは長い爪を邪魔そうに扱いながら机の上のパソコンをいじり始めた。
「花も物理的に咲いているわけじゃなくて、魔法でそう見えているだけだから。で、何でわざわざスムージーなんか飲ませて、私の魔力を植え付けるのかって話なんだけどね」
アマイモンはパソコンで作業する手を止めて続けた。
「まあ安否確認とバイタルチェックのため、だね。これは流石に知っていると思うけど、基本的にこっちの世界は命懸け。いつ死んでもおかしくない。団員の階級によって任務は割り当てられるが、その階級の団員では対処できない不測の事態が起こるなんて日常茶飯事だからね。そして団員が死ぬような状況は、非常事態だということ」
「それは、そうですね……」
「私が植え付けた魔力の花は常に私自身と繋がり、そして常に宿主の体力の状況を分析している。何か宿主の生命活動維持に異変があるようなら直ちに私に信号が届く仕組みだ。あれだね、自動119番みたいなものだよ。聖隷や魔法犯罪者と戦う我々、自分の手で通信できるとは限らないからね。念の為の緊急システムだよ」
「へえ、便利……」
としおは自分の心臓を遠くに眺めて奇妙な思いをしながら感心した。
「ここにはご覧の通り、全てのフォスフォロスの団員の心臓の情報が保管されている。異変を察知したらすぐに心臓のタグと団員の情報を照らし合わせて報告し、然るべき救護や増援等の手配をしてもらう。そうやって安全を管理しているってわけさ」
キーファがとしおの肩の上からそう付け加えた。
「そういうことだったのか……」
アマイモンは机の上にあった封筒から何やら取り出そうと苦戦しながら話し始めた。
「ま、スムージーに関してはこんなとこかな。夢と魔法の世界についての続きの話は、ディアボロスとか、そこの若造カブトムシか、それかこれから出会うだろう先輩達に聞くといいよ。私も忙しいんでね、次に移ろう」
アマイモンは疲れたのか、としお達に早く帰って欲しそうである。としおとキーファはそれを察知して気まずそうにした。
「はい。これが君の団員証。常に携帯しておくようにね。以上で手続きは終わり、帰ってよし」
アマイモンはようやく封筒から一枚のカードを取り出すことに成功し、としおに片手で雑に差し出した。
「これが……!」
としおがアマイモンから受け取った団員証には、としおが学生証に使っているのと同じ証明写真が印刷され、フォスフォロスの紋章の横には【零星 山田 トシヲ】とはっきり刻まれ、その下に少し小さい文字で【国家公務員特別職第九種 魔導士資格証】と記されている。
「へぇ……なんかそれっぽい。ところでこの国家公務員うんたら、って何?」
としおは団員証を指差してキーファに尋ねた。
「あーそれね、やたら長いよね。フォスフォロスの団員であるネフィリムは皆、公務員特別職第九種・魔導士と定義されるんだ。これからキミの身分は中学生兼、魔導士ってことになるね」
「魔導士……なんかカッコいい響き!」
「名前の横に書いてあるのがキミの現在の階級。最も低い階級が零星、非戦闘員も零星として扱われる。そこから昇格を経て一ツ星、二ツ星、三ツ星、四ツ星——そして四ツ星魔導士のさらに上、“五芒星”と呼ばれる五人の最も優れた魔導士に階級が分かれているんだ」
「じゃあ僕もその一番上、目指せばいいってことだね!」
無知ゆえの明るいとしおの展望に、キーファは思わず笑った。
「はは、確かにそれくらい軽いノリのほうがいいかもね」
机の目の前で喋っているとしおとキーファに、アマイモンはいよいよ辛抱ならんといった様子で、天を仰ぐように椅子にもたれかかった。
「あの、もう団員証渡したんだし、手続きは完了したんで、そろそろ帰ってくんない? ここ、私の仕事場だから。あとね、苦手なの。子供」
「あ、すみません……」
としおとキーファはアマイモンの気迫に震え、すぐさまにエレベーターのボタンを押した——。
フリル戦記 脱水カルボナーラ @drycalbo
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