第11話 魔導結社・フォスフォロス

 鉄の扉の向こうからは、何も聞こえない。

「これ、引っ張れば開くの?」

としおが尋ねると、キーファは角を縦に振って頷くような仕草をした。

「重たそうだけど」

としおは自分どころか大の大人が何人がかりになってもこじ開けられそうな見た目の扉を見上げて、仕方なく両手で丸い金属の取手を握って扉を手前に引っ張った。扉は紙で出来ているかのように軽く、としおは自信が想像していたよりもいとも簡単に開いたため、勢いあまってしりもちをついてしまった。

「わっ」

としおが顔を上げると、扉の向こうは明るい吹き抜けの大広間で、遥か高く上に万華鏡のようなステンドグラス張りの天井があり、その真ん中からは太い鎖で繋がれた水晶が吊るされていて、天井から降り注ぐ光で虹色に輝いている。天井までには幾重にも階層が連なっていて、ガラス張りのエレベーターには所狭しと人が乗っているし、としおの居る一番下の階も早足で歩く人の往来が目まぐるしく、人酔いしそうになるほどであった。ゆく人々の中にはとしおとそう歳の変わらなそうな若者や、更にキーファのようにとしおがこれまで生きてた中では出会うことも知ることも想像することもなかっただろう奇妙な見た目をした、悪魔とおぼしき人ならざる姿をした者も混ざっている。とにかく賑やかで、扉の前に立った時は何も聞こえなかったのが不思議でたまらないくらいであった。ただでさえ人の多い空間に慣れていないとしおは、例に違わず圧倒されて、黙って座り込んでいる。

「ホラ! としお、ぼーっとしてないでよ」

としおの肩に掴まったままのキーファは、としおの頬を前足でつついた。

「あ? ああ、ごめん。人混みとかでっかい建物見るとつい、見入っちゃうんだよね」

としおは苦笑いしながら立ち上がって、扉の外に出た。

「島で育つのなんて、のびのびしてていいもんだと思ったけれど、やっぱり考えものだね」

キーファがとしおの肩の上で首を振っていると、背後で扉の閉まる時の蝶番が軋む音がしたので、としおは後ろを振り返った。

「あれ! 出てきた扉が無くなってる」

としおたちが出てきたはずの部屋の扉は、としおが振り返るまでのほんの数秒の間に影も形も無くなっていて、切り出した大きな石の積み重なっている古めかしい壁だけがあった。

「ディアボロスが聖隷とキミ、それからフリルを放つために借りた部屋だったんだろうね。その用が済んだから、無くなったんだ」

「無くなった? 部屋がなくなるって、どういう……」

キーファはとしおがあれこれと余計な疑問や興味を持って本題にいつまでも入れなくなりそうなことを悟って、強制的に話を進めた。

「まあ、魔法はそういうこともできるってこと。それも後で詳しく教えてあげるよ。まったく、ディアボロスも無茶言うよ。。ボク一人にいきなり新人、それもイレギュラーにも程がある子の研修を押し付けるだなんてね。どこか座って落ち着いて話をしようか。ここじゃあどうしても落ち着いて話せないからね。ちょうどカフェテリアが左の通路を進んで、道なりにあるから、ほら。行こう」

「ええ? う、うん」

この場所が一体どこなのかも分からないとしおは、キーファに言われるがままに従うほかなかった。

 キーファの言う通り、カフェテリアにまで来た。高い天井は太い石の柱で支えられ、奥の壁は一面が格子窓になっていて、外には晴れ上がった空、それから雄大な森と綺麗な川が見える。日の出地区のごちゃごちゃした街並みとは全く違う静かな風景を見て、としおは自分がだいぶ遠くにまで連れてこられてしまったのではないかと不安になった。空席は少なく、やはりこの場所もフリルやキーファのような異形の者と、多様な人間とがお互いに当たり前のように存在しあっていて、中には異形と人間とで席を共にして談笑しているのも見えた。

 としおはしばらく周りと目を合わせないように席を探して、ようやく窓際に空いているところを見つけて座り、キーファはとしおの肩から飛び立つと、としおと向かい合うようにテーブルの上に落ち着いた。

「ふう……まずは座学の時間だね。色々と、びっくりするかもしれないけど」

としおは大人しく頷いた。

「うん。もう訳わかんない話にも慣れてきちゃったよ。今なら全部、キーファが言ってることは本当なんだなって飲み込めると思うんだ」

としおは昨日から絶え間なく経験したあれこれを思い出して、疲れた苦笑いをした。

「慣れが早いのはいいことだよ」

キーファは前脚で角を触りながら続けた。

「ここは——ボク達悪魔とキミ達ネフィリムが手を取り合い、この星と人類の未来を守っていくための組織、“魔導結社・フォスフォロス”の本部。この星の大半のネフィリムと悪魔は、フォスフォロスの団員さ、ボクはもちろん、フリルやディアボロスも所属しているよ」

キーファが向こうの壁に飾られた、畳一枚ほどの大きさはありそうなタペストリーを角で指しながら言った。

「魔導結社・フォスフォロス……」

そのタペストリーには、黒い星のような大きな紋章が刻まれている。としおはそれを見て、この黒い星がフォスフォロスという組織の紋章を表しているのだと思った。

「名前は仰々しいけど、人類統一機構政府が秘密裏に運営している、れっきとした公的機関だよ。社会に蔓延る事件や災害のうち、一般の警察じゃ対処できない超常的な部分——すなわち聖隷とか魔法のことだね。それらを一手に引き受けて裏から地球を守る大きな組織ってわけ」

キーファが向こうの壁に飾られた、畳一枚ほどの大きさはありそうなタペストリーを角で指しながら言った。そのタペストリーには、黒い星のような大きな紋章が刻まれている。としおはそれを見て、この黒い星がフォスフォロスという組織の紋章を表しているのだと思った。

「なるほど、漫画とかでよくあるやつか……」

「で、今日そのフォスフォロスの本部にキミが連れてこられたのは、他でもない。キミをフォスフォロスの団員として迎え入れるためさ」

としおは肩をすくめて顔を上げた。

「ち、ちょっと待って!? 本当に僕、魔法とかについて何もわからないし、僕がいきなり組織に入るなんて、迷惑じゃない?」

「何もわからないからこそ、さ。フォスフォロスはネフィリム界で最大の組織だ。フォスフォロスは組織的にネフィリムを編成して人類を守るという責務を円滑に全うすることのほかに、戦いの運命を背負うネフィリムがネフィリム同士や悪魔と助け合うための、セーフティネットとしての役割があるんだよ。としおは今のところ他に頼れる大人もいないみたいだし、ボク達と同じ組織に所属してくれる方が、こちらも手助けしやすいし、いざって時も守ってもらえる」

キーファはとしおが渋る暇も与えずに、としおにフォスフォロスに入ることを勧めた。

「なるほどなあ……」

としおは腕を組んで下を向いた。この組織に入ってしまっては、もう後戻りはできなくなってしまう。としおはまだどこかで、この絶望的な状況から抜け出せるのではないかと期待している部分があった。この歳の少年の反応としてはごく自然なことである。

「ディアボロスはともかく、少なくともボクとフリルは本心からキミの力になりたいと思っているよ。キミはネフィリムの自覚がなく、本当に昨日まで何も知らないただの少年だったんだから」

先ほど自分のために戦って血まみれになったフリルの姿を思い出して、としおの胸中には罪悪感が湧き起こった。

「うん、そうだね……それは、ありがとう」

「さっき改めて確認できたけど、キミはやはり自分の内に眠る魔力を解放し、魔法が使える状態。つまり、原初の悪魔との契約が有効になっていることになる。昨日も説明したけど、キミは聖隷と戦わなければ……」

としおは神妙な顔をして、言葉を詰まらせているキーファの代わりに言った。

「死ぬんだよね。戦っても死ぬかもしれないのに、戦わなくても、制裁? っていうのが来たらいつか死んじゃうんだろ」

キーファは少し気まずそうにとしおの顔を見た。

「う、うん。その通り。覚醒して魔法が使える状態になったネフィリムが、この世界を維持しているルールから“人類を守る意思がない”と判断されてから66時間が経過した場合、制裁として魂を刈り取られて死ぬ。その運命はボク達悪魔でもどうすることは出来ない。だから尚更、団員の能力に合わせた任務を定期的に与えてくれるフォスフォロスのような組織に入るのは、回り回って自分の命を守ることに繋がる」

「ただ生きるためだけにも命懸け、だなんて酷いよ……」

としおはこの時、パプリカ頭の聖隷に殺されかけた時の、あの毒に体が蝕まれていく悍ましい感覚を思い出して顔を暗くした。

「戦わなくていい抜け道も、あるよ」

「抜け道?」

としおは絶望の中に一筋の光を見出したような顔をした。

「うん。屁理屈みたいだけど、さっき“人類を守る意思がないと判断された場合”って言ったよね。この“人類を守る”っていうのは、ただ魔法を使って、聖隷を狩ることのみを指してるわけじゃないんだ。聖隷から人類を守るためにネフィリムが行うことは全て、“人類を守る”行為と解釈して問題ないよ。例えばこのカフェテリアでコーヒーを作っているのは、フォスフォロスの非戦闘員のネフィリムだ。フォスフォロスの運営に携わっている彼らは立派に、“人類を守る”意志があると判断されるのさ。実際に、非戦闘員が制裁によって命を落としたケースは一つもない」

キーファはカウンターで愛想よく注文を承り、コーヒーのカップを渡している店員の方を見た。

 絶望的な死の運命を悟っていたとしおに、今度はいきなり大きな希望が見え始めて、としおは逆に不安になった。

「えーと……そんな都合のいいこと、ある?」

「そもそも原初の悪魔だって、人類を助けたくて契約を交わしたんだろうし、そこまでの負担を強いたかったわけじゃないはずだからね。むしろ、産まれただけで死と隣り合わせ、戦いに明け暮れる日々が待っているなんて、そんなの都合が悪すぎるだろう」

他ならぬ悪魔のキーファに言われたとしおは、憑き物が落ちたように表情を柔らかくした。

「そっか……戦わなくてもいいんだ」

キーファはまっすぐとしおの方を向いた。

「改めて、山田としお。キミには選択肢がある。フォスフォロスの非戦闘員として裏から人類を守るか、戦闘員として聖隷と対峙するか。どちらか選んで。多分ディアボロスは非戦闘員になることを許してくれないと思うけど……そうなったら、ボクとフリルがどうにかするよ。ボクたちはキミの選択を尊重するし、キミの生い立ちのこととか、調べたいなら協力を惜しまないよ」

目の前の銀色のカブトムシがあまりにも優しくて、としおは感極まって涙が出そうになった。

「なんでそこまでしてくれるの。キーファにもフリルさんにも、僕は酷いことを言っただろう」

キーファは得意げに角をかかげた。

「それは、キミが他ならぬ放っておけない友人だからさ」

「キーファ……」

嬉しくて堪らない。としおはこれまで誰とも関わらずに島で一人、父に育てられ続けてきた。そういえば、友人と呼べる存在も、つい最近まで一人もいなかったのだ。奇妙な姿をしていようと、自分のことを気にかけてくれる優しい友がいるのは、父と過ごした日々さえも疑わなければならなくなってしまったとしおにとって、大きな救いだった。

「今までのは友人としてのボクの意見だ。人類全体の利益を考慮した、フォスフォロスの使者としてのボクの意見も言わせてもらうね。どちらを選んでもキミの選択は尊重されるべきだ。ただし、キミには多くの人を死や不幸から救うことが出来る才能がある。それも本当だ」

「……!」

 入学式の前日の夜に父とした会話が、としおの脳裏をよぎる。あの日も孤島の夜は寂しすぎるほどに静かで、柔らかい波の音だけが小さな家の食卓に響いていた。

「父さん。やっぱり不安だよ。一人でやっていけるかな」

入学式の前夜、としおは柄にもなく父に弱音を吐いた。父もそれを茶化すことなく、そんな悩みを打ち明けてくる息子を愛おしそうに見つめている。

「ははは、不安かぁ。大丈夫だよ。お前ももう十分大きくなった。これまで狭い島に縛りつけちまった俺が悪かったな。本当はもっと早くから都市部に住まわせてやれればよかったんだが……」

「そういうことじゃないよ! ただ、僕は何も知らないから。外のこと」

父が申し訳なさそうに謝ってくるので、自分の方もばつが悪くなって声を張りあげた。

「お前はもう、一人で立って歩ける。それだけあれば十分だ。お前は何にでもなれる。何も不安に感じることなんてないぜ。自分も周りもまっすぐに信じていいんだ。あとは勝手にうまくいくさ。俺の息子だからな!」

根拠も何もない雑で単純な激励だったが、その夜のとしおは、父のあの言葉に救われた。父のしつこいほどに眩しい笑顔が、今では懐かしい。

「何にでもなれる、自分も周りも信じていい、よくそんな無責任なこと言えるよ」

俯いていたとしおは両手を握って、それからキーファの方をまっすぐ見つめた。窓の光がとしおの顔を照らしている。キーファはとしおの面持ちを見て、思わず息を漏らした。

「決めたよ。僕、聖隷と戦う。沢山の人を助けて、いつか父さんに会ったら……殴る!」

「決まり、だね」

としおは決して明るい気分ではなかったが、それでも清々しく前に進みたい。心からそう思っていた。

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