第10話 量と勢い

 としおが引き金を引いた結果、メイスの先端から粘液。粘液が発射された。白い、粘液だった。粘液の飛距離も悲惨で、発射したとて聖隷に当たるはずがなく、射出された粘液の弾は弧を描かずにすぐ地面へと落下した。普通、怪物を倒すヒーローならばそれなりに格好のいい能力が与えられるはずである。としおが実際に目にしたことのあるそのような人物は、フリル以外に存在しないが、少なくともフリルの操る氷の魔法、それから武器はとしおが今まで胸を躍らせてきた漫画やアニメの世界の人物と遜色ない。としおが変身した後の姿が、丈の長い軍服のような外套に黒いブーツと、としおの幼い感性を満足させるには十分な物であったのが救いだった。

「ふざっけんな!」

絶望したとしおが男根棒を投げ捨てる暇もなく、人面猪の聖隷が不揃いな足を動かしてこちらへと迫ってくる。としおは踵を返して突進を避けようとした。落ちている粘液を聖隷が踏みつけると、にちゃにちゃと音がする。

「ま、ままああああ」

「やば——あれ」

何故かとしおが避けるまでもなく聖隷は突如足を止め、地面を叫びながらのたうち回りはじめた。異変に気づいて、としおは後ろを振りかえる。

「な、なんだ」

目の前で怪物が一体何に苦しみ悶えているのかわからなくて、としおは困惑した。よく見ると、聖隷は四肢のうち、右側の前後の足を、そっくりそのまま失っている。としおの発射した粘液を踏んだ方の足だ。ディアボロスとキーファは、聖隷がとしおの粘液を踏んだ瞬間に、聖隷の足が蒸発するように消えるのを目にしていた。

「おい、小僧。お前の出すその粘液、聖隷に絶大な効果があるようじゃ。試しにぶっかけてみろ。次は体の力を抜いて、量と勢いを出すことを意識しろ」

「言い方を考えてよ……」

ディアボロスの誤解を招きそうな口ぶりに、キーファは呆れている。しかし、キーファがこの時、内心吹き出しそうになるのを堪えていたのも事実である。

「はぁ……? ますます意味わかんないんだけど」

としおは、上から自分を露骨に馬鹿にしているディアボロスに腹を立てながら、小声で呟いた。

「——まあ、それ以外に方法ないか」

聖隷はまだ体制を立て直していない。としおは初めて、目の前の怪物を真っ直ぐ見据えた。今はとにかく、目の前の問題を片付けてフリルを救護することを優先しなければならない。ディアボロスの言う通りにする以外に、自分にできることが判らないので、先ほど投げ捨てようとしたメイスをまた強く握り直した。フリルの方へ一瞬目をやると、彼はやはり穴だらけになってしまった体から、血を流して倒れている。相変わらず被り物にしか見えないフリルに縁取られた白い頭にも傷がついていた。

「ま、まままあ」

聖隷はその腐敗した死体のような、頬骨の張った気味悪い顔でとしおを恨めしく見つめながら、左の脚を動かして、こちらにずるずるとにじり寄ってくる。フリルの血がべったりと聖隷の毛についていて、血の臭いがする。自分と同じ人の、生き物の血の臭いだった。

「ままま」

この世にあり得るはずのない悍ましい異形が、自分を狙って迫ってくる。

「ああ、そうか。戦うことって、こんなに怖いことなんだ」

フリルが刺された瞬間を思い出して、思わず目を閉じて俯きたくなった。フリルは一人で怪物と戦って、面識のない赤の他人だった自分を二度も助けたのだ。彼を化け物と罵ったことを、としおは酷く後悔した。銀色のメイスをバズーカのように構えて、引き金に指をかける。

「量と勢いって言われても、どうすりゃいいのかな。とにかく集中——」

息を整えて、目を大きく見開く。漫画の登場人物がやっていたように、何か中で眠っている力を呼び起こそうと、体の芯を揺さぶることにだけ集中すると、だんだん体が熱くなってきて、力が漲ってきた。腕が痺れるか、震えるような感覚に支配されて、体の奥底から何か、懐かしくて新しいものが溢れてくるのを感じる。としおの足元の草がざわざわと騒ぎ始めて、光の粒がとしおの構えるそれの周りに湧き上がった。

「ディアボロス、これ——」

としおの様子が変わったことを感じたキーファは、身震いしていた。としおの周りに集まっている光が、ディアボロスの満足げな紅い瞳を怪しく照らす。

「くく、想像以上じゃ……! 途方もない魔力を感じる。あの小僧、今までどこに隠されていたのか知らんが、手に入って良かった! まごうことなき、強大な力を持つネフィリムでないか!」

ディアボロスの幼い高笑いは、としおには聞こえていない。としおはただ、体に湧き起こる感じたことのない力を、放つ一撃に込めることにだけ集中している。

「——!」

引き金を引くと、先ほどよりも手応えが重たく感じた。構えた得物の先端に、今度は先ほど発射した時よりも、大きく複雑な幾何学模様の描かれた魔法陣が浮かび上がっている。幾重も重なり合った魔法陣の中心を、大きな純白の雷を纏った光の弾が閃光と化して一瞬のうちに駆け、それはやがて粘液の矢となって情けなく這いずる聖隷に命中した。

 としおが発射した、光を纏う粘液が、人面猪の体中にまとわりついて、そしてその体を食らい尽くすように溶かしていく。量も勢いも、明らかに最初の物とは段違いだった。

「ひひ、凄まじいの」

ディアボロスがその光景を見て悦に浸っている。

 としおが聖隷を仕留めたのを確信したディアボロスとキーファは、虚空を浮遊するのをやめて、攻撃の反動で放心状態になって立ち尽くすとしおのそばへと降りてきた。

「ま あ ま」

やがて聖隷は静かに最期の言葉を残すと、霧になったように体の輪郭を失ってひとりでに消えていった。景色が陽炎のように揺れて、草原と青空の色が薄まっていく。気づけば、としお達は打ち放しのコンクリートで四方を囲まれ、一つ頑丈そうな鋼鉄の扉がある以外に何も無い、灰色の空間に立っていた。としおの変身が解けていく。纏っていた衣装も剥がれるように消えていって、元の制服姿に戻ってゆく様はまさに、魔法が解けていくのを体現しているようであった。

 我に帰ったとしおは、灰色の床に倒れているフリルの側へ、血相を変えて駆け寄った。

「だ、大丈夫ですか!」

フリルは薄笑いを浮かべたままだが、出血が酷く息をしているのかも判らなかった。救護の知識も何もないとしおは、何をすることもできずただ慌てふためくことしか出来ない。

「ど、どうしよう……救急車とか、えっと、えっと」

としおは震える手で、ポケットからスマホを引っ張り出した。

「狼狽えるな。救急車なぞ呼んでどうする」

ディアボロスがとしおの背後から嘲るように言った。

「じゃあどうしろって言うんだ! しっ、死んじゃうかもしれないのに!」

としおは顔を真っ赤にしてディアボロスに怒鳴った。ずっと歳下に見えるディアボロスが、としおの怒声に顔色ひとつ変えないどころか、さらに口角を上げている。

「随分焦っているの。先ほど暴言を吐いたのがよほど心苦しかったのか?」

としおはディアボロスの皮肉にこたえたのか、気まずそうに黙り込んだ。

「そいつは妾の所有物。責任を持ってこちらで治療する」

ディアボロスはしゃがみこんで意識のないフリルの薄笑いを覗き込むと、おもむろに指を鳴らした。ぽん、とポップコーンが弾けるような音がして、気がつくと二匹、手足の生えたキノコがそこに立っている。

「え!?」

手足の生えたキノコは、としおの背丈の半分ほどの大きさだったが、胴回りはとしおの二倍ほどもある。手足は太くて著しく短く、肘と膝は見当たらないが五本の指を持っていて、それがかえって生々しく奇怪である。赤いかさには白い水玉の斑点が浮かんでいて、いかにも有毒そうないでたちだった。

「運べ」

としおが呆気に取られている間に、ディアボロスの指示通りにキノコたちはフリルを器用に担ぎ上げて、この灰色の空間に唯一の扉の方へと運び始め、ディアボロスはそれについていった。

「お、おい! 僕たちはどうすんだよ!」

キーファと置き去りにされたとしおは、ディアボロスの背中に叫んだ。ディアボロスは歩みを止めて、ゆっくりと振り返ってまた歪んだ笑みをこちらへ向ける。

「ああ、忘れとったの。諸々は追って説明する。今日は公欠にしておいたから、出席日数については案ずるな。あとはそこのカブトムシの案内に従え。あと、お前は今日から妾の所有物。これからは妾に従わなければ、殺す」

ディアボロスは幼い声からは想像もし得ない物騒な脅しをかけてから、また踵を返すとフリルを運んでいるキノコたちの前に立ち、扉を開けて、灰色の部屋から出ていってしまった。

「おい! まだ話は終わってないんだけど!」

としおを無視して、扉の閉まる重たい音だけが大きく響き渡る。

「えっと——」

としおは苦笑いを浮かべながら、床の上で黙っていたキーファの方を見た。

「ディアボロスは……本当に腹立つと思うけど、あんな感じだから諦めて……。ああ見えて本当に偉い悪魔だからボクも逆らえないんだ」

としおは、散々無礼を働いたのにキーファが普通に接してくれているのに安堵して、まごつきながら頭を下げた。

「あの、色々。ごめん」

「ううん、取り乱すのは仕方ないよ。それより、後でフリルに謝ってあげてね。じゃ、ボクらも行こっか」

「うん」

キーファはとしおの肩の上に乗り、としおは重たい腰を上げて、先ほどディアボロスが消えていった鉄の扉に向かっていった。

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