いちかけにかけさんかけて、
増田朋美
いちかけにかけさんかけて、
その日も、春というのに寒い日だった。桜の花は色美しく咲いているのに、寒くてなかなかお花見に行けないというのが悩みどころだろうか。お花見というのは、とても楽しいし経済効果もあるのであるが、それができないというのはちょっと残念なところもある。
その日、田沼ジャックさんは、息子の武史くんのことで、また学校から呼び出される事になった。何回呼び出されたら気が済むのだろうというくらい学校で呼び出されるのである。なんでこんなに頻繁に学校から呼び出されるのかよくわからないけれど、学校はちょっと来てくれと電話をかけてくるのである。
とりあえず、ジャックさんは武史くんの学校に行って、田沼ですけどと受付にいうと、受付は、
「ああ、只今校長先生は、お取り込み中ですので、教頭先生からお話を聞いてください。」
と言って、ジャックさんを職員室に案内した。ジャックさんは、教頭先生が苦手だった。校長先生は比較的穏やかであるのだが、教頭先生は、怒ると怖いので、苦手なのである。日本の教師は、まだなにかあるとすぐに大声をあげて怒鳴る人が多いので、ジャックさんはそんなことをしても無意味なのではないかと思うのだが、一向に改善される感じは無い。
「教頭先生、田沼武史くんのお父さんです。」
受付は、教頭先生に言った。
「あの武史の父ですが、また何かありましたか?」
ジャックさんは教頭先生にいうと、
「またじゃありません。何回学校から呼び出されれば気が済むんですかね。」
なんて教頭先生は言うのだった。
「気が済むって、呼び出したのはそちらでしょう?」
ジャックさんがそう言うと、
「全く、ヨーロッパ人はこれだから困るなあ。なんでも人のせいにして。少しは、こちらが呼び出したんだから、少し武史くんの態度を改めるように言ってくださいよ。武史くんの素行の悪さには、目に余るものがあります。意見のある時は手を上げていうと何度も注意しているのに、授業でやじを飛ばす。先生が話している間は、黙っていろと親御さんが教えないから、そういうことになるんだ。お父さんが、イギリスから来て、大変なのはわかりますけどね。もう少し、注意をしてくれませんか。日本の学校は、イギリスの学校とは違います。」
教頭先生は嫌そうに言った。
「そうですが、イギリスの学校では、授業中に発言するのは悪いことではありません。積極的に授業参加して高く評価されるべきだと思うんですが、それを日本ではやじを飛ばすという言い方をするんですか?」
ジャックさんがそう言うと、
「お父さん、この学校が私立の小学校であるということを、もう少し認識してもらわないとね。私立学校は、口コミというものがとても大切なんです。いいですか、素行の悪い生徒が一人居るという噂が立ってしまうだけで、この学校の評価が落ちたら、この学校もだめになります。そのくらい、わからないものですかね?」
教頭先生は嫌そうに言った。
「全然わかりませんよ。そんな事。学校は評価のためにあるものじゃないでしょう。学校は生徒を育てるための施設ですよね。その評価がどうのなんて、そんな事気にしていたら、学校は何をするところなんですか?」
ジャックさんは呆れた顔でそういった。確かに日本の学校は、学校の評価をとても気にしすぎる。そんな事気にしないで、生徒さんのために全力疾走してほしいものであるが、どうもそういう事はできなさそうだ。
「もう少し、日本の学校について、勉強し直してください。それでイギリス式の教育方針ではなくて、日本の教育に従ってもらわないと。もし、それが嫌でしたら、他の学校に転校して貰えないでしょうかね。うちの学校で、教師にやじを飛ばすような、悪質な生徒がいてしまうと、困るんですよ。」
教頭先生は偉そうに言った。
「失礼ですが、うちの武史が、そんなにひどいことをしたのでしょうか?もしかしたら、うちの武史を、学校から追放したくて、その口裏合わせをしているんじゃないんでしょうね。武史は、一生懸命授業を受けているし、とても学校が楽しいと言っています。それなのに、どうして武史を悪人扱いしてしまうのですかね。それに子供が教育を受ける権利だってちゃんとあると思いますよ。それを、そうやって口実を作って、追放しようなんて、一体武史をどうするつもりなんでしょうか?」
ジャックさんは、教頭先生に言ったのであるが、
「全く、ヨーロッパ人は、すぐ権利がどうのこうのと言うんですね。困りますなあ。そうじゃなくて、権利を主張する前に義務を果たしましょうね。お父さん。武史くんに、もうちょっと、日本の学校では先生に従うことが大事なんだってことを、教えてやらないと、日本の学校には馴染めないんですよ。」
と、教頭先生は言った。ジャックさんとしては、なんでこんなことを言われなければならないんだと言う顔をして、教頭先生の話をじっと聞いていた。
「それでは、一年生の授業は終わりますから、武史くんと一緒に帰ってください。それで武史くんと、これからの進路をよく考えてくださいね。」
と教頭先生は、はい、かえってよろしいといった。ジャックさんは、仕方なく一年生の下駄箱へ行って、武史くんが出てくるのを待った。数分して武史くんが出てきた。確かに、よく喋る男だと思われているようであるが、他のクラスメイトからいじめられている様子もないし、とても楽しそうである。先生の話が終わる前に発言してしまうのかもしれないが、その楽しそうな時間を奪ってしまうのは、武史くんが困ってしまうのではないかとジャックさんは思った。
とりあえず、ジャックさんは、武史くんと一緒に学校の敷地内から出ようと、学校の正面玄関前を通りかかると、一人の若い女性とすれ違った。それを、校長先生が頭を下げて出迎えている。
「あ!文ちゃんのママだ!」
と武史くんが言った。確かにその女性は授業参観などで見たことがある。確か、武史くんのクラスメイトの鬼頭文という女子生徒のお母さんだ。文ちゃんのママと言われた女性は、武史くんに軽く手を振った。
「ああ、鬼頭さんお越しいただきましてありがとうございました。」
と、教頭先生がそういった。ジャックさんは自分にしたときと、全然態度が違うなと驚いてしまった。
「ねえ、文ちゃんはいつ学校に来るの?」
と武史くんがいうが、ジャックさんは、
「武史、今日は帰ろう。」
と言って、武史くんを帰らせた。道中、武史くんは文ちゃんのことばかり話していた。それによると、鬼頭文ちゃんという生徒さんは、しばらく不登校になっているという。学校でいじめられているわけでもないし、勉強で心配事があるのではないかと思われることが無いほど、優等生である。「文ちゃん、僕よりずっと勉強できて、先生にも可愛がられて、偉かったのになあ。なんで、学校に来なくなっちゃったのかな。学校がつまらなくなっちゃったのかな?学校は、授業も休み時間も楽しいのに。」
武史くんは不思議そうに言った。
「そうなんだ。それで、その文ちゃんはどんな子?」
ジャックさんは車を運転しながら、そう聞いてみると、
「いつも一人でいるんだ。本が大好きで、難しい本ばっかり読んでて、僕達の相手なんかしてくれないよ。」
と武史くんは言った。つまるところ、一人ぼっちでいるということだ。本ばかり読んでいるのを武史くんは尊敬の意味で言っているのだろうが、それは休み時間に話をするような、友達が一人もいないということである。
「そうか。武史は、文ちゃんに話さないの?」
ジャックさんがそうきくと、
「だって、僕は、文ちゃんみたいに、難しい本は読めないで、漫画ばっかり読んでるし。」
と武史くんは答える。
「きっと文ちゃんという子は、一人ぼっちで寂しいと思うよ。だから、武史が話しかけて上げるといいよね。」
ジャックさんがそう言うと、
「わかった。文ちゃんが学校に戻ってきたら、僕話しかけてみる。」
と、武史くんはとても素直に言った。そうやって人の話を素直に聞くのは、武史くんの一番の長所だと思うのだが、学校でそれを評価されたことは一度もないのだった。学校で評価されるのは試験でいい点を取ったときだけだとジャックさんは聞いたことがあったが、それだけでは生徒を評価していないと思うのだった。
一方その頃、製鉄所では。
「全く口を聞いてくれない女の子。」
と、杉ちゃんが腕組みをして考え込んでいる。縁側に座っている女の子は、なにか本を読んでいるのであるが、それに夢中になっているのか、それともわざと答えないのか、水穂さんが、一緒におはじきしようと誘っても、何も反応もしない。
「まあ、鬼頭商店のお嬢さんということで預かったけど、本当に小学校の一年生と言えるのかな。そんな難しい本読んで、一体何を読んでるのかわからないものかなあ。」
と、杉ちゃんはでかい声で言った。
「彼女のお母さんがどうしても切れない用事があって預かってくれと言って来たんです。それに、鬼頭商店といえば、このあたりでも有名な材木屋ですよ。そこの社長さんの依頼ですから、断れませんよ。」
水穂さんが、杉ちゃんに言った。
「その割には地味な名前だな。鬼頭文なんて。」
杉ちゃんが思わずそう言うと、
「そんな事言っちゃいけませんよ。とにかく、彼女に事故が無いように預かってあげなくちゃとは思いますが、こう、周りの大人と誰とも口を聞いてくれないというのは、ちょっと可哀想な子供さんではないかと思いますね。」
と、水穂さんが言った。
「きっと、周りの大人なんて信じてやるもんかとでも思っているんだろうね。それくらい、学校が辛かったんだろ。それを何とかするなんて大変なことだぞ。」
と、杉ちゃんがそう言うと、
「そうですね。きっと同じ大きさの人間から励まして貰えれば、彼女も変わってくれると思います。こういう心の傷は、同じ経験をしている人の言葉が何よりの薬ですから、、、。」
と、水穂さんが言った。それを尻目に、鬼頭文さんは、一生懸命本を読んでいる。確かに杉ちゃんの言う通り、周りの大人なんてどうでも良いと思いこんでいるようであった。
それと同時に、製鉄所のインターフォンのない玄関がガラッと開いて、
「おじさん!こんにちは!」
と声がした。だれだろと言って、杉ちゃんが玄関先に行ってみると、武史くんとジャックさんが立っていた。
「ああ、突然押しかけてしまってすみませんでした。ちょうど、芋切り干しをもらったんですけど、二人だけでは食べ切れないものですから、水穂産でしたら喜ぶのではないかと思いまして。」
ジャックさんがそう言うと、武史くんが
「おじさんいる?」
と杉ちゃんに聞いた。
「ああ、おじさんは居るけど、今、お客さんと一緒だよ。」
杉ちゃんが答えると、
「そうなんだ。お客さんって誰?」
と武史くんは聞いた。
「うんお客さんは何でも、ここらへんでは有名な材木問屋のお嬢さんでね。なんでも、お母さんが大事な用があるので預かってくれと言ってきたんだ。名前は確か、鬼頭文さんという。」
杉ちゃんが答えると、
「文ちゃんが来てるんだ!僕もお話したい!」
と武史くんは、お邪魔しますも言わないで、製鉄所の中に入ってしまった。そして、杉ちゃんたちが止めるまえに四畳半へ行ってしまって、
「おじさんこんにちは。文ちゃんこんにちは。」
とにこやかな笑顔で挨拶した。それをみた水穂さんが、
「こんにちは。武史くんよく来てくれたね。」
と同じようににこやかに言った。そんな顔をしている水穂さんに、文さんはなにかを感じてくれたらしい。本を読むのをやめて、水穂さんの方をじっと見ている。
「おじさんまたお手玉教えて。あれ、ゲームよりずっと面白いんだ。学校では絶対教えてくれないでしょ。」
と武史くんがせがむと、水穂さんは、はいはいわかりましたよと言って、お手玉を2つ、机の引き出しから取り出した。それを文さんは興味深そうに見ているので、
「文さんも、おじさんと遊ばない?」
と水穂さんが声をかける。
「文ちゃんもおいでよ。すごく面白いんだよ。」
武史くんがそう言うと、文さんは本を床において、武史くんたちの方へ近づいてきた。そして武史くんのとなりにちょこんと座った。水穂さんはお手玉を投げながら、良い声でこんな歌を歌った。
「いちかけにかけさんかけて、しかけてごかけて橋をかけ、
橋の欄干手を越しに、はるか向こうを見渡せば、
17,8の姉さんが、片手に線香花持って、
ねえねえ姉さん何処行くの、わたしゃ九州鹿児島の、
西郷さんの娘です、明治三年7月に、
切腹なされた父親の、お墓参りに参ります、
お墓の周りは幽霊が、ふわりふわりとジャンケンポン。」
と言って水穂さんが手のひらを差し出すと、武史くんは握りこぶしを差し出した。
「あ、おじさんの勝ちだ。僕負けた。」
そう言って笑っている武史くんに文さんも
「ジャグリングみたいですね。」
と言った。水穂さんが、やってみますかというと、文さんはハイと言った。水穂さんは文さんにお手玉を渡して、その投げ方を教えた。文さんは流石に頭の良い子供さんでもあるだけあって、とても上手にお手玉を投げ始めた。水穂さんが歌ってみてご覧というと、今度は文さんが、
「いちかけにかけさんかけて、しかけてごかけて橋をかけ。」
なんて歌いだしている。それに合わせて武史くんも、
「橋の欄干手を腰に、はるか向こうを見渡せば。」
なんて歌を歌いだしているのであった。二人の子供の声は、本当にわらべうたというのがふさわしく、可愛らしい声であった。なんか今の時代の成績ばかり追い求める教育を否定するような、そんな歌声でもあった。
「お墓の周りは幽霊が、ふわりふわりとジャンケンポン!」
文さんと、武史くんは、お互いにこやかに笑って、じゃんけんを始めて
「ああ、文ちゃんの負けだ!」
「はい、文ちゃんの負け!」
なんていい合っているくらいである。何処から入ってきたのか、杉ちゃんが四畳半に入ってきて、
「ほら、お前さんたち、ケーキ買ってきたから食べろ。」
と、ケーキの乗っているお皿を二人の前に差し出した。小さなお皿に二人分の苺ショートケーキが乗っている。二人は、フォークを渡されて、
「いただきまあす!」
と楽しそうにケーキにかぶりついた。
「美味しそうに食ってるじゃないか。やっぱり小さな女の子だな。よかった。ケーキは嫌いなんて言われたら、困っちまうところだよ。」
杉ちゃんがそう言うと、水穂さんが、
「そうですね、よほどアレルギーでもない限り、ケーキは子供であれば、好きですよね。」
と苦笑いした。二人は、美味しそうにケーキを食べている。
「あの二人、すっかりお友達ですね。お母さんは、なんだかすごくつらそうだったけど、やっぱり子供にはお友達が必要なんでしょうね。そうしないと心がいきいきしませんよ。やっぱり人間は一人ぼっちでは、生きていけないんだな。」
と、ジャックさんは、その流れを眺めながら、にこやかに言ったのだった。
やがてケーキを食べ終わると、二人は、またお手玉を歌い始めた。子供らしいよく通る声で、楽しそうに歌っていた。
それからしばらくして、
「すみません。鬼頭です。文を迎えに参りました。」
と、若い女性の声がした。お母さんが迎えに来たんだなと杉ちゃんもジャックさんもすぐに分かった。杉ちゃんが彼女を出迎えた。お母さんは文はどうしていますかと聞くと、杉ちゃんはお手玉で楽しそうに遊んでいますと答えると、お母さんは、上がらせてくださいといって、四畳半に入った。
「いちかけにかけさんかけて、しかけてごかけて橋をかけ、、、。」
文さんと武史くんがとても楽しそうに歌っているので、お母さんは変な顔をした。隣に水穂さんが座っているのを見て、
「まあ嫌ですわ、こんなお下品な歌をうちの文に教えたんですね。」
と彼に言った。
「とんでもありません。日本の伝統的なわらべうたでしょう。それは大事な事だと思ったほうがいいでしょう。」
と、ジャックさんが言うと、お母さんは水穂さんの着物を見た。紫色の流水柄の銘仙の着物を着ている。
「まあ、失礼ですね。あなたがうちの文をたぶらかして、そんなお下品な歌を、文に仕込んだんですね。文は、学校で忙しいんです。今日も校長先生から、学校はやめないでくれって言われました。文さんのような、優秀な生徒がやめてしまったら、非常に困ると言われてしまいましたわ。文は、優秀なんです。だからそういうお下品な歌を吹き込んで、そそのかしてほしくありません。」
「でも、そうかも知れないですけど、文さんには、お友達が必要なんです。確かに優秀な生徒さんでもあるのでしょうが、大人から見ればくだらない事であると思われても、文さんには大事な息抜きであることは、理解してあげないとだめだと思います。だから、学校に行けないのでは無いでしょうか?お母さんそのあたりちゃんと、考えてあげないと。」
とジャックさんがそう言うが、文さんのお母さんは、
「何を言っているの?ほら早く帰りましょう。こんな銘仙の着物を着ているような人に文を預けるんじゃ、何をされるかわからないわよ。それより文は勉強よ。勉強。」
と文さんを急かすのだった。
「お母さんちょっとまって!おじさんは、文ちゃんに一生懸命歌を教えてくれたんだよ。文ちゃんも久しぶりに遊べて楽しかったと言っているんだよ。だから、おじさんを褒めてあげてもいいじゃないか!」
武史くんは、文さんのお母さんに言った。文さんのお母さんは、
「大人のことをちゃんと知らないのね。」
とだけ言ったが、文さんは小さい声で、
「武史くんどうもありがとう。」
とだけ言った。お母さんは文さんにカバンを持たせて、文さんを急いで製鉄所から出させた。多分水穂さんに文さんを預けたくないと思っているのだろう。そういうところが、日本でも人種差別があるのだと、ジャックさんは思った。水穂さんが、小さい声で、ごめんなさいと言って、文さんのお母さんを見送っているのが、なんだか切なかった。何も知らない、無垢な少年武史くんは、文さんを悲しそうに眺めていた。
いちかけにかけさんかけて、 増田朋美 @masubuchi4996
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