第8話 ユーリの葛藤



  ◇◇◇【SIDE:ユーリ】



 ーートアル大森林



「失せなさい。“クソ虫さん”……。ご主人様の寝顔を盗み見れば、すぐにでもその両目に《血矢》を打ち込みます……」



 ずっと僕とアイリスを無視し続けていたエルさんはニッコリと非の打ち所がない笑顔で、恐ろしい事を言ってのけた。



「えっ、あ、はぃ……」


 僕はパニックになったまま、クルリと後ろを振り返る。


 初めて目を見て声をかけてくれたけど……、エルさんって綺麗だから迫力…………えっ?


 僕は目の前の惨状に顔を引き攣らせた。



 パチッ……パチパチッ……



 オウルベアの死骸は、未だに焚き木が割れる時のような音を立てている。



 ……う、嘘でしょ?

 オウルベアは[A+]の魔物だよ?


 3体同時だなんて、僕たちだけじゃ、半日は時間が必要……Sランクパーティーでも他の勇者パーティーでも数時間はかかる魔物でしょ……?



 硬い熊の毛皮は盾役(タンク)の大盾に加工されるほどの強度を持つはずなのに、内側から爆散したように四肢が裂かれている。


 鋭く硬い梟のクチバシも短剣や双剣などの武具に姿を変えるのに、まるで食い破られたように半分が無くなっている。




 ーー《爆ぜろ》。




 たった一言。

 きっと僕にしか聞こえない声で呟かれた、たった一言。


 その一言で3体は肉片と化したんだ。



 ぁ、あり得ないよ、こんな事……。

 「コレが最弱」? 冗談でしょ? 他の魔王たちはジークさんよりも更に強いって事だよね……?



 ーー他の七種魔王(セブンス)? かなり前になるが……確か1000年ほど前に“巨人族”のヤツに会ったな。普通に逃げたが……。


 昨日、聞いた言葉が僕に絶望を与える。


 “異臭に耐えれなくてな……”なんて誤魔化してたけど、逃げ出したって事は勝てないと思ったって事だよね?



 これほどの力を持ってるのに……?


 もう嫌になる……。


 やっぱり僕は『最弱の勇者』なんだ。

 僕が魔王を討つなんて夢のまた夢……。



 どれだけ努力しようが、どれだけ必死に心を取り繕っても、すぐに限界を感じる。


 絶望が手招きしてくる。


 いつだってそうだ。

 僕は勇者の器じゃないんだ。

 

 満足に聖剣も扱えないんだから当たり前か……。所詮……女だしね……。


 自分を卑下して体裁を保つ。

 仕方ないと言い訳を探しては逃げ出す。


 こんな自分が僕は大嫌いだ。



「……背筋が凍ってしまいますね」


 すぐ隣に来たアイリスも目の前の光景を見つめてポツリと呟いた。


 頬は赤くなっていて、首には噛み跡。まだ乱れた呼吸……。な、なんだか色気がすごいけど、深くは聞かない方がいい。


 って、ダメだ、ダメだ。

 卑屈になるのは1人になってからにしよう……。アイリスだけは僕を信じてくれる。アイリスからの信頼だけは絶対に失いたくない。



 僕は短く息を吐いて、アイリスの言葉の意味を考える。



「……こうなってたのは僕たちだったかもしれないって事だよね……?」


「えぇ」


「……ね、ねぇ、アイリス。こ、これで最弱の魔王なの? 触れる事も魔法を展開したわけでもないんだよ? ただ命令したんだ。“爆ぜろ”って」


「“エル様”が目を覚ますまでの3日間。私はジーク様の書斎で数々の文献に目を通しました」


「な、なにかわかった!?」


「そのほとんどはエル様との……その……《吸血》行為の記録でしたが、」


「サ、サ、サイッテー! ぼ、僕たちのも書いたりしてるの!? えっ……いや、とっても嫌なんだけどっ!」


「……ユーリ」



 アイリスは無表情で僕の名前を呼ぶ。

 “そこを話したいわけではないのですけど?”と顔に書いてある。



「……あっ、ごめん。何がわかったの?」


「『吸血鬼』と呼ばれる種族について、ジーク様が記されておりました」


「……なんだって?」


「五感が人間の3倍程度。身体の構造は普通の人間と変わらないようですが、身体能力は平均男性の約2000倍。《自動治癒》もあるようです」


「ば、化け物だね……」


「いえ、まだです。それらに合わせて《飛行能力》、《念力》、《魅了》の種族スキル」


「そんな……」


「更に、ジーク様は“血に《命令》する事ができる”と……。詳しくは記されておりませんでしたが、思い当たる節はあります……」


「……“爆ぜろ”も、つまりはそういう事なの?」


「私たちが身体の自由を奪われたのも、おそらくは……」



 アイリスはなんでもない事のように呟く。


 でも、そんなの反則だよ。それが本当だとしたら、もう「人間」の出る幕じゃない。


 だって、そんなの……。


「……血がある戦場ならジークさんに勝てる人なんて、誰もいな、」


「いえ。どこであろうと関係ありません。人間も魔物も魔族も魔王も……“死霊の魔王”以外には等しく血が流れております」


「む、無茶苦茶だよ……。ジークさんの前では擦り傷一つが即死に」


「ユーリ。よく思い返してみて下さい」



 アイリスはぼんやりとオウルベアの死骸を見つめて涼しい顔をする。



「……僕たちが身動きが取れなくなった時、どこも怪我してなかった……?」



 ゾクゾクッ……



 背筋が凍る。


 やっぱり僕なんて……と考えては身体の力が抜けていく。



「……何者なのでしょうね。ジーク様は……。本当に“食事”にしか興味がないように見えます」


「よく、わかんないや……」



 2人で立ち尽くしオウルベアの残骸を見つめる。



 エルさんも「吸血鬼」。

 ジークさんが眷属にしたエルフ族。


 エルさんもそんな無茶苦茶な力があるのかな……? それに合わせてエルフ族の種族スキルも扱えるなんて言わないよね……?


 そんなの“新たな魔王”じゃ……。


 “吸血鬼”がそんな力を持っているのなら、ジークさんが量産し始めたら……、世界なんてあっという間に……。



 ーー7項、私たち以外の者を《吸血》する際には私たちの許可を必要とします。


 

 ふと契約内容を提案していた時のアイリスの言葉が蘇る。


 なるほど……。

 もうそこまで考えてたんだね。


 ……さすがアイリスだ。


 エルさんに関してはもう仕方がないという事になったけど、新たな眷属を作らせないためにも《吸血》行為に規制をかけてたんだ。


 ……ん? そうか……。


 ……最悪、僕たちが眷属になれば、更なる力も手に入るって事……? 僕たちが吸血鬼になれば……人間を辞めれば……。



 ーー悪魔に魂を売ってでも……



 アイリスは僕より勇者みたいだ。

 冷静で頭が良くて、心が強い。

 

 唯一の「平民」出身の聖女様……。

 膨大な魔力量を誇っても、《回復(ヒール)》しかできない『欠陥聖女』。


 どこが……。欠陥品は僕の方だ。

 アイリスの《回復(ヒール)》はすごい。

 死ななければどんな傷だって治してしまうんだ。


 それに比べて僕は……。

 最弱勇者。ただ【七聖剣】に選ばれただけでまともに力を引き出せない愚者だ。



 今までなんとか騙し騙し旅を続けて来た。


 でもジークさんの前では、なす術もなく辱められて、いざ戦闘を目の当たりすれば絶望する。



 ジワァア……



 目の前の惨状が滲んでしまう。

 あまりに非力で情けなくなってしまう。


 勇者として選ばれた責任も放棄してしまいたい。いっそのこと、世界とは隔絶された世界に逝きたい。


 何も考えられなくなる《吸血》行為に溺れて、死ぬまで生きられればどんなに楽で楽しいだろう。



 ーー“フェイリー家”からの勇者だ。何としてでも魔王を討ち、派手に死ね。民衆は英雄の死を崇め、奉る!!



 父様の言葉が蘇り、気が滅入る。

 


「ユーリ?」



 アイリスの声に乱暴に目元を拭って涙を隠す。



「……ん? なに?」


「……いえ。ユーリこそが“真の勇者”ですよ? あなたに救われた人が、ここにいます」


「……うん」



 アイリスは僕の手を取ってギュッと握りしめてくれた。僕はやっぱり涙が浮かんで来て、ギュッと手を握り返した。



「ふわぁあっ……」



 大きなあくびの声にアイリスと同時にクルリと振り返れば、まだ眠そうなジークさんが頭をポリポリと掻いて地面に座っていた。



「んっ? 寝てしまったようだな。エル、ふわふわの膝枕、心地よかったぞ」


「は、はい。ご主人様!!」



 エルさんはジークさんに頭を撫でられ、一瞬にして顔を赤くさせる。スクッと立ち上がったジークさんは僕を見ると小さく首を傾げた。



「ん? ……ユーリはなぜ泣いているんだ?」


「……べ、別に、なにも」


「……それにしても、お前の血は本当に特殊だな! 本当に癖になるし、一口でクラクラとして、もう最高だ! “魔剣”に選ばれるのも頷けるぞ!」


「…………え?」


「アイリスも面白い“魔術”だったな。……お前たち、『人間』にしてはなかなかやるようだ! 流石、俺が認めた最高の食材だ!」


「「…………」」



 僕とアイリスは絶句してしまう。

 世間からさんざんバカにされ続けてきた僕たちを肯定するジークさんが信じられずに……。



「さてさて、では、先に進むか? 日傘が欲しいのだが、どうしたものか」


「エ、エルもご主人様とお揃いの日傘が欲しいです! よろしいですか?」


「あぁ。いや、少し大きめのものを買って2人で一緒に使えばいいだろ? 持つのが面倒、」


「そうしましょう! とても素敵なご提案です、ご主人様!!」



 オウルベアの残骸など見向きもせずに、イチャイチャしながら歩き始めた2人。



 ガシッ!!!!



 僕とアイリスはほぼ同時にジークさんのマントを掴んだ。



「それって、どういう意味!?」

「それはどのような意味なのでしょう?」



 クルリと振り返ったジークさんは恐ろしく整った顔をキョトンとさせ、



「太陽の日差しが苦手なんだが……?」



 小首を傾げた。






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