第6話 〜冗談ですよね?〜



  ◇◇◇【SIDE:エル】



 ーートアル大森林



「“ジーク様”。よろしければ連携を確認してさせて下さい」


「“ジークさん”。本当に戦えるの?」



 エルはご主人様にすり寄るネズミ共に頭の血管が破裂してしまいそうになりながらご主人様の後ろに控えている。



 “ジーク様”……? “ジークさん”……?



 エルの知らない名前で呼ばれるご主人様はどこか知らない方になったように感じる。



 どうやらエルが眠っている間に、この“クソ虫”どもが、ご主人様とエルの「愛の巣」に潜り込んだようだ。



 ーー新しい食……仲間だぞ、エル!



 目を覚ましたエルに待っていたのは、ご主人様の嬉しそうな瞳だった。



 ーーエルフ……のヴァンパイアですか?

 ーー……こんな綺麗な人見た事ないよ。



 そう呟き、クソ虫共は絶句した。



 ーー冗談ですよね……?



 エルもそう呟き絶句した。



 150年のうちの3日。それもエルが眠っている3日。たった3日。


 その3日で全てが変わってしまった。


 「どうだ? いい香りだろ?」なんて、ご主人様はエルと喜びを分かち合おうとしてくれたのに、エルは曖昧な笑顔しか返すことができなかった。


 エルが起きていれば、展開している《血鬼結界》に入った瞬間に跡形もなく……。



 いや、違う。



 エルはご主人様の最高の食事になれなかったんだ……。ご主人様を満足させてあげられなかったんだ……。


 出会ったばかりの頃のようなご主人様の笑顔に、エルはこっそりと涙を流した。


 エル以外の女を《吸血》して満足げに微笑むご主人様の姿に頭がおかしくなりそうだった。



 ーーんっ……あっ、んっ……ふ、あっ!


 必死に声を我慢する“アイリス”とやらも、


 ーーんっあっ、も、もう、やめ、ああっ!


 「やめて」と言いながら必死にご主人様にしがみつく“ユーリ”とやらも……。


 2人とも死んでしまえばいいと思った。

 いや、正確には今もまだ思っている。



 つい先程、エルたちは屋敷を後にした。


 150年間、いや、正確には150年と117日間、ご主人様と過ごした大切な屋敷を後にした。



 2人でピクニックに行った近くの水辺も。憂さ晴らしに森に出かけて魔獣を屠る事も。


 何度も《吸血》し合った寝室も。


 もう帰ってくる事はない……のかもしれない。


 だけど、エルにとって最高で最上の幸せに満ちた日々は、もう、終わってしまった。



 気を抜くと涙が出そうだ。



 ふとした拍子に口を尖らせてしまいそうだ。


 今すぐにでも、ご主人様のマントの裾を引っ張ってしまいそうだ。



 うぅ……ご主人様ぁ……。エルは2人でいられればそれでよかったのですよ……?



 サラサラと風に靡くご主人様の後頭部に声をかける。



 愛してやまないご主人様が“他の食材”に夢中になるなんて、考えただけで発狂してしまいそうなのだ。



 ーーお前をたった今から『エル』と名付ける。過去は全て捨てて、これから先、長い一生を俺の横で過ごせ。



 あの絶望を救われた瞬間から。

 その射るような真紅の瞳と目が合った瞬間から。少し体温の高いその手で頭を撫でて下さった時から……。



 エルの全てはご主人様に捧げると決めた。全ての望みをエルが叶えて差し上げると決めた。



 それなのに……。



「ジーク様。この辺りには強力な魔物が巣食っております。よろしければ、ジーク様の力を説明して頂けますか?」


「《契約》しちゃったんだ。……“腰抜け”じゃないなら、戦ってるところをちゃんと見せて欲しいよ!」



 このクソ虫ども……。

 ご主人様が“闘う”事など今後一切あり得ないのですが……。“戯(たわ)れる”だけなのに“戦う姿”が見たいなどと図々しい。


 ましてや崇高な力に説明を求めるなど、あり得ない……。今すぐに自決なさい。


 

 『まったく』……。



 心の中で吐き捨てた言葉でさえ、ご主人様の口癖だと自覚してしまいハッとする。



 な、なんなのよ。もぅ……。



 エルはやっぱり泣きたくなってしまった。



 エルはいつも隣にいた。

 ご主人様の横はエルの場所だった。

 今はご主人様のすぐ後ろ……。



「……お前たち……少し黙れ……。少しエルと2人にしてくれ……」



 少し低い声にドクンッと心臓が跳ねる。


 ハッと顔をあげれば、眉間に皺を寄せたご主人様が立っている。



「……? ご主人様?」



 ガシッ……



 困惑するエルの手を取り、屋敷へと引き返して下さるご主人様に心臓の高鳴りが抑えられない。



 そ、そうです。そうなのです!!


 こんなクソ虫どもなど必要ないのです!! どれだけ時間がかかろうと、エルがご主人様の『最高の食事』になってみせます!!


 あぁ。愛しております。

 心よりご主人様だけを……!


 この世界にはご主人様とエルだけがいればいいのです! やはり、ご主人様もそれを望んで下さっているのですね!?



 ブワッ……



 エルの視界は簡単に滲んでしまう。

 嬉しすぎて天にも昇る気持ちです……。



 エルが感涙のままに手を引かれていると、ご主人様は唐突に立ち止まり、クルリと振り返った。




 トンッ……



 エルはご主人様の胸に飛び込み、ギュッと背中に手を回すが……、


 ガッ!!


 ご主人様に肩を掴まれ引き離される。


 本当に綺麗な真紅の瞳……。


 …………あれ?

 


「ア、“アイツら”なんかおかしいぞ!」


 ご主人様は「信じられない」と言った様子でフルフルと首を振る。



「え、あ、いや……。な、何がですか?」


「エルが目を覚ますまで2度、《吸血》した。エルが目を覚ましてからも1度、《吸血》した」


「……そーですか」


「アイツらと出会って、もう3日経ったのだ。今日で4日目なのだ!」


「……はぃ」


「なぜ、アイツらと旅に出ている!?」


「……? 《契約》されたと言ってましたよ?」


「バッ、バババ、バカ!! 俺が“契約旅”に出ると思うか? どうせなら、『解呪旅』だろ? もしくは『食材探しの旅』!」


「…………?」


「アイツらをとっとと眷属にして、屋敷を離れるつもりはなかったんだ! ア、アイツら!! もう3度も《吸血》しているのに、」




 ギュッ……



 エルはご主人様のコートの襟を掴んで引き寄せると、至近距離でムゥ~とむくれてしまう。



「ん? エル? なにを、」


「ご主人様は浮ついておられます! エ、エルがもっと頑張ります! あの2人は必要ありません」


「……ふっ、ハハッ!! “嫉妬”か……」


「……は、はぃ。エルは拗ねております」


「……ふっ、極上の香りを放ってるお前に誘惑されたら、もうどうでもよくなってしまうではないか?」


「ご、ご主人様……!! エルはこれまで感じた事がないほどに“嫉妬”しております!」


「……悪くないな。これまでで1番か……」



 ご主人様はイタズラな笑みで、ペロリと唇を濡らす。



 ゾクゾクッ……



 ただそれだけの事なのに、身体の奥がジャワっと潤ってしまう。


 エルは自らのメイド服の首元のリボンをスルリと外し、ボタンをパチパチと引き裂きながら首元を晒した。


「ご主人様の望みを叶えるのはエルです。あの“クソ虫共”ではありません!」


「……ふっ。仲良くしろと言ったのに、お前と言うヤツは……」


「………ご主人様はエルの“ご主人様”なのです。“ジーク様”と言う方をエルは知りません!」



 長い間、研究を共にした。

 エルが「嫉妬」している時が1番ご主人様を満足させてあげられる事を知っている。



「ご主人様……。エルもご主人様が欲しいです……」


「ふっ……俺も我慢できないぞ?」


「では……一緒に……乱れましょう?」




 カプッ……



 お互いの首に牙を立てる。


「んっ……!」


 口にご主人様の血が溢れた瞬間にいつもと違う事に気づく。ただでさえ、何物にも変えがたい「最高の血」だったのに……。


 ご主人様の血が、また更に……。


 あのクソ虫共……!!


 湧き上がるのは嫉妬の炎。

 


「んんっ……!! はぁああっ……!!」


「はぁ……はぁ、……んっ」


「ああっ! んんっ、ご主人様! ぁあっ、ああ!!」


「ふ……、はぁ……はぁ」



 エルはご主人様が与えてくれる《吸血》の快感に、すぐに牙を抜いては必死にまた牙を立てる。


 

 ご主人様は呼吸を荒くするだけ。

 エルもご主人様のように、上手にできているのか心配になるけど、そんな事も考えられなくなる。


 圧倒的な美味しさ。

 暴力的な快感。


 2つが合わさり、掛け合わされれば、もう……ダメだ。


「んんっ! はぁあっ、ぁっ、んんっ!! ぉ、おかしく、んんっ! なっちゃいます! んんんっ、あっ、あっぁあっ!」



 ビクビクッ!! 



 いつも先にイクのはエルの方。


 

 ジュル……



 ゆっくりと牙を抜かれれば、ゾクゾクと身体が身震いして、足がガクガクとして力が入らない。

 



「ふっ……やはりお前“も”最高だな」



 腰を抱かれたまま、ご主人様はイタズラな笑みでペロリと口元の血を舐めとる。



「もっと妬かせてやりたくなった」


「はぁ、はぁ……はぁ……。ご主人様は意地悪です……」


「ハハッ。お前がそうさせるのだろ?」


「はぁ、んっ……。あ、頭がおかしくなってしまいます」


「ふっ、その時はより良質な食事になるだろ?」


「……むぅー……」


「ハハハッ。まあ、“契約旅”も悪くないな」


「ご主人様が他の女を食されるのは見たくないです……。あのように満足気に……」


「エルもアイツらの血を啜ってみれば、」


「エルはご主人様からしか頂きません! ……あのクソ虫共は嫌いです……」


「ふっ……それで構わない」



 ご主人様は楽しげに頬を緩ませてくれるからまた身体の奥が疼いてしまう。



 「もっと」とせがみたいが、そうも言ってられないようだ。


 数100メートル先から、魔獣がこちらに向かって来ている。


 ご主人様も「まったく……。ゆっくりと後味を楽しみたいのに」とポツリとぼやいてくれる。



 ガサガサッ……

 

 まぁ、木陰に隠れて顔を真っ赤にしている2人にも充分に見せつけられたから良しとしようかな……。


 このクソ虫共の事は、今すぐにでも屠ってしまいたいけど、エルの「嫉妬の血」でご主人様を満足させてあげられるのなら、悪くないのかも……とも思ってしまったが……、




「……《吸血》し合ってましたね」

「……ぇ、えっちだよ。そ、外なのに!」



 ボソボソという声が耳に届いた。


 “梟頭の熊”……。どうか、あの2人の頭を食い散らかして下さい。


 エルはやっぱり2人の死を祈りながら、ご主人様の首を垂れる血をペロリと舐めとった。






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