第3話 〜取り引きをしましょう〜



   ◇◇◇【SIDE:アイリス】



 ーートアル大森林「ジークの屋敷」



「はぁ、はぁ、はぁ……」


 未だ火照った身体は少しでも触られれば大きく震わせしまいそうなほどに敏感だ。


 全てがどうでも良くなってしまうほどの快楽。聞いたことのない自分の声。恥ずかしくて、気持ち良くて、もうわけがわからない。



 それに……、


 なんなのですか? コレは……。


 身体が自由に動かない。

 まるで脳からの命令が身体に伝わらないような感覚で、ゆっくりとしか動く事ができない。



「許さない……。僕に。アイリスにも、あんな……!」



 視界の端には、ユーリが「吸血の魔王」のお腹に乗り、【七聖剣】を首に突き立てている姿があるが、頬は未だ赤くなっていて言葉には説得力がない。



「ふっ。ハハッ。お前が許す許さないの話ではないぞ! どうあろうともお前も"金髪"も眷属にしてやる」


「……ふ、ふざけるな! 貴様の眷属!? そんなものになるはずがない!! 僕は勇者だ! この剣を貴様の喉元に突き立てくれる!」


「ハハハハッ! "勇者"か! 自分の顔を鏡で見てみれば、その言葉が虚偽であると認める事ができると思うが?」


「……!! そ、そんなはず、」


「欲しいのだろう? 足りないのだろう? お前の血は稀有だ。金髪のようにギリギリまで啜えたわけではない」


「……な、なにを?」


「"まだまだ欲しい"……。そう言いたいんだろ?」



 ユーリはブワッと顔を赤くさせると、泣き出しそうな顔で魔王を睨みつける。


 どちらが優勢なのかは一目瞭然であるのに、2人の表情は全くの逆。



「そ、んなはずがない……!!」


「安心しろ。この屋敷にずっといればいい。昼夜問わず、お前たちの血を、」


「ふ、ふざけるな!!」



 ユーリが聖剣を振りかぶると、


 クルッ……


 一瞬のうちに形勢は逆転し、魔王がユーリのお腹の上に跨った。



「き、貴様!」


「……ハハッ。まだクラクラするぞ! 最高だな、お前たち」


「……お、りろ! 早く僕の上から」



 魔王はユーリの首に顔を寄せる。



「や、やめ、て! もう、さっきのはいやだ!」



 カプッ……



 魔王は有無をいわせず、ユーリの首に牙を入れた。



「んんっ、あっ……ぁあっ! はぁ、はぁあ! んっ、んんっ、やめ、て……だめ。んっん! ぁああ!!」



 ユーリはビクビクッと身体を震わせ、私はその光景をただ見ていることしかできない。


 いつも気丈に振る舞い、「最弱の勇者」と笑われようとも努力し続けるユーリ。


 誰も加入してくれない勇者パーティー。

 私たちはいつも2人でやって来たのに……。



 そんな顔もするのですね……。



 勇者"ユーリ・ベル・ウェイリー"の女の顔に、どこか夢のように感じてしまう。


 恍惚として、快感に溺れる姿はとても卑猥で、とても苦楽を共にした唯一無二の仲間だとは思えない。



 コレは私が見ているおかしな夢……?



「はぁ、はぁ……はぁ……」



 でも、自分の呼吸まで荒くなってしまう。先程の熱はまだ身体に残っていて、ジンジンとしている。


 それが夢ではないと教えてくる。


 ユーリがあのようになるのも、仕方がないのかもしれない。



 経験した事のない快感だった。



 《吸血》行為は、漏れ出る声を抑える事もできず、頭でどれだけ否定しようとも本能と身体が快楽に溺れてしまう。


 身体の内側が熱を持ち、いつまでも引いてはくれない。絶対に嫌なのに、身体がまた先程の行為を求めているみたいだ。



 【腰抜け魔王】。


 「七種魔王(セブンス)」の最弱にして、誰の前にも姿を現さず逃げてばかりの吸血王(ヴァンパイアロード)。


 ーーあんな者を討っても意味はない。

 ーー希少種だからだろ?

 ーーあんな者はいつでも討てる。


 各国の勇者パーティーは「吸血の魔王」を軽んじ、バカにしては「腰抜けだ」と笑っていた。



 ーーお前たちでも討伐できるかもな!



 そうバカにされながらも、この地に来た。「魔王を討つ」というユーリの信念に従って……。



 それなのに、"コレ"は何の冗談でしょうか?



「んんっ、はぁ、あっん、ぁあっ、あっ! んんんっ! ふ、やめ、むり、むり! もうだめぇえ!!」



 ガクガクッガク!!



 ユーリが絶頂を迎える姿に顔が熱くなってしまい、唇を噛み締める。



「まって、やだ! も、う、んんっっ! だめ、やめて、んんっ!! あっ!」



 魔王は牙を抜く事はない。



「ユー、リ……」



 ポツリと呟いても、喋りづらいくて仕方がない。


 このままではユーリが壊れてしまう。

 私がユーリを救わないといけないのに満足に声を上げることすらできない。


 この身体の自由を奪う魔法はどのような仕組みで……。


 あの一瞬の加速は?

 身のこなしは……。


 どこが「腰抜け魔王」……。

 どこが"最弱の魔王"。


 確かに甘く見ていた。

 でも、これほどまで一方的に……!!


 敗北したとはいえ、以前対峙した悪魔王(デーモンロード)よりもはるかに……。



(《回復(ヒール)》、《回復(ヒール)》、《回復(ヒール)》、《回復(ヒール)》!!)



 身体の異常にあらがうように自分に《回復(ヒール)》を展開し続けるが、魔法陣が浮かび上がるだけで、まったくの無意味。


 《回復(ヒール)》しかできない“欠陥聖女”だとしても、聖女である私の《回復(ヒール)》すら受け付けないなんて……。



 私が絶望していると……、



「ん、んんっ、ぁああっ!!」



 ビクンッ、ビクンッ!!



 ユーリは大きく身体を震わせた。


「ハハッ。これは、堪らんな。……うん、やはり世間一般でいう“酒”というやつは、こんな感じなのだろう」


 魔王は満足気に牙を抜き、ペロリと口元の血を舐めた。



 ゾクゾクッ……



 私はガクガクと震えている親友の上で、キラキラと真紅の瞳を輝かせている「吸血の魔王」に見惚れてしまう。



 黒髪は少し色素が薄く、暗い屋敷の中でもサラサラなのがわかる。整った容姿は見たこともないほどの美形。


 その中で一際目を引く、ルビーのような真紅の瞳と鋭利な牙。少し尖った耳はエルフ族と人間の中間のよう。


 執事のような格好に黒のマントが凄まじく似合っている。



 私はギリッと唇を噛み締め、痛みを与える事で正気に返る。


 なんとかユーリから魔王を引き離さなければ……。



「魔、王……!!」



 満足に動かない口で名を呼んだが、すぐに後悔した。真紅の瞳と目が合えば、魔王はニヤリと笑みを浮かべて歩み寄ってくる。


 い、いや……です。

 ま、待って下さい! まだ頭が整理できていな……、もう《吸血》はやめて下さい。


 またアレを味わってしまえば、もう……。



 スッ……



 視界が滲んでいく私の頬に魔王はそっと触れ、「ふっ」と口角を吊り上げた。



「《元に戻れ》……」



 魔王がポツリと呟いた瞬間に身体が軽くなるが、私は石のように固まって身動きが取れなくなってしまう。



「……? どうした? 大丈夫か?」


「…………えっ?」


「ハハッ。お前は凄まじい回復力だな。3日は寝たきりになるはずなのだが」


「…………」


「興味深いな。……何かの魔術か? まぁどちらにせよ、これは嬉しい誤算だ」


 至近距離でニカッと笑った魔王は、想像よりもずっと子供のような屈託のない笑顔で拍子抜けしてしまう。



 私は……、"《吸血》されるのでは?"と身構えていたのに、されないとわかり落胆してしまっている。


 そんな自分がはしたなくて、顔がブワッと熱を持つ。添えられたままの手をパシッと払いのけて睨みつける。



「……ふっ。気の強い女だ」


「……あなたは何者なのです?」


「"何者"か……うぅーん。なんなのだろうな。吸血鬼……。あっ、美食家(グルメ)な吸血鬼だ!」


 魔王はまた嬉しそうに頬を緩める。


 まるで今、自分が何者であるのか?を知ったのかのようですね……。ってそんな事はどうでもよいです!!


 こちらは生死の境目。

 生かすも殺すも魔王の手のひらの上。


 ここで何か手を打たなければ!


 思考なさい。思考なさい。思考なさい。何か……、なんでも良いのです。短いやりとりから思考し、導かなくては……。


「……え、あっ、いや。世間では『腰抜けの魔王』とも呼ばれているが?」


 どこか照れたように言葉を続ける魔王。沈黙する私を気遣ったような態度に違和感を覚える。



 ーー昼夜問わず、お前たちの血を……。



 先程の魔王の言葉が蘇り、一切殺意を感じない事と結びつける。


 …………なるほど。

 私たちはただの“良質な餌”ですか……。



 答えを導き、あまりの屈辱に笑ってしまう。



 私は自らの聖女の杖を手に取り、装飾がほどこされている鋭利な部分を首に当てる。



「なっ、何をしている!?」


「……取り引きをしましょう。“吸血の魔王”」



 私は自らを人質に、少し見開かれた魔王の真紅の瞳を見つめた。




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