第2話
「おーい、おーい」
どこかで誰かが呼んでる。
男の声。でも低いっていうほど低くもなくて、ふざけてるっていうか、からかうみたいなこの軽い喋りかたは。
「……じいちゃん?」
ぽかり、目を開けたらまぶしくて、慌ててまた閉じた。
「誰がじいちゃんよ」
「えっ、誰?」
じいちゃんじゃない。
一瞬しか見えなかったけど、わかる。だってじいちゃんの髪はあんなにたっぷり無いし、もちろん緑色でもない。それに、頭に草のつるを巻きつけたりしない。
「見間違いじゃ無い……あんた、誰? その頭、なに?」
そうっと目を開けてみれば、俺をのぞきこんでるのは若い男の人だった。それも、五月の木の葉みたいな緑の髪をしてて、髪の間に草のつるとか葉っぱがぴょんぴょん飛び出してる、変な人。
「お、意識はちゃんとしてるっぽいな? 名前言えるかい。オレは木のリセメト」
「俺? シンヤだけど。りせめとって、変な名前」
「そーう?」
首をかしげて、リセメトが鼻をひくつかせる。
「シンヤのほうが変だと思うけどな。龍の匂いさせてる人間なんて、そうそういないでしょ」
「龍?」
ハッとして自分の体を確かめると、左胸のあたりでコツリと変な感触がする。
あわててシャツをめくって、驚いた。
「なんだよ、これ!」
俺の胸のところ、ちょうど心臓のあるあたりに手を広げたくらいの黒いうろこが貼り付いている。
剥がそうとして爪で引っ掻くけど、カリカリと硬い音がするばっかりで取れそうもない。
「あー、やめとけば? うろこより、シンヤのほうが先に力尽きるでしょ」
「は……」
いみわかんねえ。
そう言って笑ってやりたいのに、立てた爪は俺の皮膚に痕をつけるばっかりで黒いうろこは取れそうもない。
リセメトは俺の胸元をじっと見つめて「本当に龍のうろこだねえ。そのうえシンヤ自身は無ときたか。いやはや、面白い」なんて言ってる。意味わかんねえ。
そのときガサガサと音がして、リセメトが「あ、まずい」と俺の服のすそを引きずり下ろした。
「リセメト、どこへ行った!」
鋭い声と同時にリセメトの後ろの草むらから飛び出してきたのは、大きな女の人。背が高いだけじゃなくて身体全体が大きいんだけど、そこは別にどうだっていい。
問題は、女の人の鉛色をした髪の毛が針金みたいにガチガチに固くて、その肌が明らかに金属でできてる、ってところ。
「ろ、ロボット? サイボーグ?」
「なんだ、この子どもは」
俺を見下ろす女の人に、リセメトはへらっと笑う。
「拾ったんだ」
「ちょっと目を離したすきに何でもかんでも拾うんじゃない」
「あはは、ただの子どもだもの。危険はないからいいでしょ。それより、落っこちてきたものの確認はできたかい?」
女の人は納得してないって顔だけど、リセメトに言っても無駄だと思ったのか。軽く頭を振ってため息まじりに口を開く。
「トカゲだった。無のトカゲだ。ただ、焼かかれて落ちたようでな」
「焼かれた? 火の匂いはしなかったと思うけど」
首をかしげるリセメトに、俺も首をかしげたくなる。火に匂いなんてあっただろうか。
「お前ほど鼻が効かないから断言はできないが、たぶん龍だ。龍の息吹に焼かれたものと思われる」
龍って言葉にドキッとした。
龍のうろこに、龍の息吹き。
うろこは俺の胸に張り付いてるし、息吹きはたぶんあれだ。さっきの化け物を吹き飛ばした光のことだと思う。
もしかしていきなり空に放り出されたのって、本当にこのうろこのせいなんじゃ。
そのとき、俺は思い出したんだ。うろこが原因だって言ってたやつのこと。俺の親友。
「マヒル!」
「急に大声を出すな」
思わず叫んだ俺の目の前にぴっ、と刃物がつきつけられた。
長い柄に反りのある刃。その刃先と同じくらいギラギラした女の人の目が俺をにらんでる。
慌てて口を閉じた俺に、リセメトがひらひら手を振った。
「ちょっとハザさん、やめてあげてよ。警戒するほどの子じゃないって。それよりせっかく言葉が通じる相手なんだから話、聞きたいでしょ?」
「……ちっ」
リセメトに言われて女の人、ハザが武器を下ろす。
本当に渋々、嫌々、しょうがなく、って気持ちを隠しもしないけど、それでも武器が遠ざかってほっとした。ほっとして、でも叫んだらまた武器を突きつけられる気がしたから、がんばって気持ちを落ち着けながら喋る。
「マヒル、俺の友だちが近くにいなかったか! 俺よりちょっと背が低くて、髪の毛は耳が隠れるくらいの長さで、俺よりちょっと細いやつなんだけど」
着てた服はちょっとよれたTシャツ。色は薄い灰色だったかな、ズボンは七分丈くらいの色の抜けたジーパンで、靴がどんなだったかまでは覚えてない。
覚えてる限りのマヒルの特徴を口にするけど、ハザからの反応はなかった。
「えっと、あと目がちょっと釣り気味の二重で、女に間違われるとめちゃくちゃ怒るやつで」
「…………」
懸命に付け足すけど、ハザは無言のまま。
だけど黙ってしまったらそこでマヒルを探す手段が消えてしまうから焦る。焦った俺は自分の服に手をかけた。
「それから、それから、そう! うろこ!」
がば、と引っ張り上げた服の下を目にして、ハザがはじめて大きく表情を変える。リセメトは「あちゃー」と顔を手で覆ってる。
「俺と同じうろこのもう半分が、マヒルにくっついてるかもしれない」
左胸に張り付いたうろこ。これが本物の龍のものかどうかなんて俺にはわからない。
だけどリセメトが、ここに住んでる人間が反応したものならハザも気にかけてくれるかも。そう思ってしたことだったけど、効果はばつぐんだった。
ばつぐんすぎた。
「お前、それは龍のうろこ!」
叫ぶみたいに言ったハザに肩を掴まれて、興奮のままに揺すられる。
「龍の力はなんだ、どんな力を宿してる。お前、その力を意のままに操れるのか!?」
「わ、わ、わあ!」
ぐわんぐわん揺れる頭でまともに考えることも答えることもできるわけがなく、俺は力強い手に掴まれたまま振り回される。
「はーいはい。ハザさん、やめたげて」
止めてくれたのはリセメトだ。
でも俺を掴むハザの手を外してくれたわけじゃなくて、声をかけただけ。まあ、細長いリセメトにがっしりしたハザが止められるとも思えないけど。
「この子はオレが拾ったので、オレの荷物なの。ハザさんの契約内容は?」
俺、荷物なの?
「……リセメトを護衛対象とし、その身を火山都市まで守ること」
「契約対象はオレの荷物も込み、でしょ」
リセメトが付け足すと、すでにむすっとしてたハザの顔がますます怖くなる。
「俺、荷物なの?」
ハザが「納得いかない」って感じでよそを向くから、俺はリセメトにこっそり聞いてみた。
「落ちてるものは拾ったやつのもの、横からさらう不届きものは五素から見放される。まあ、旅人の迷信さ」
五素がなにかわからないけど、そういうことわざみたいなものがあるらしい。おかげで助かったのなら、ラッキーだ。
ラッキーついでにマヒルも見つからないだろうか、なんて思ったのがいけなかったのか。
「っ走れ! 来るぞ!」
ハザが髪をパキパキと逆立てて叫んだ。
「はいよ、っと!」
「おわ!?」
素早く荷物を背負ったリセメトが俺の手をつかんで走り出す。直後、ドガァンッ! 大きな音がして空気がビリビリ揺れた。
怖くて振り向けない。けど、後ろに続く足音がないことはわかる。
「な、なあ! ハザさんついてきてないぞ!」
引きずられるようにして走りながら言えば、リセメトは「そりゃそうでしょ」って止まるどころ振り向きもしない。工事現場みたいなガンガンいう音はまだ続いてるのに。
「あの人は護衛で雇ってるんだから、仕事してるだけ。そんで、守られるほうの仕事は邪魔にならないようさっさと逃げること」
「けど、」
その先は言葉にできなかった。
走る俺たちの横をハザが吹っ飛んでいったから。
「ハザさんっ!?」
「わぁお、まずいなあ」
リセメトの呑気な声に続いてドスンと地面が揺れたものだから、走っていられなくなった。
振り向いたら、目の前に焼け焦げた化け物がいる。
黒い身体は端っこからぼろぼろ崩れてて、ギョロギョロ動いてた目は片方しか残ってない。でもひとつだけの目が俺を見つけて、笑ったんだ。
化け物が笑うのかなんて知らないけど、俺を映した目がぐにゃって、確かに歪んでいた。
振り向いてからここまで、ほんの一瞬。
息を吸う暇もない、わずかな時間。
その短い時間の終わりに俺のなかに残ったのは『守りたい』っていう気持ち。
怖さもあったし意味わかんねえってむかついてもいたけど、でも。
「マヒルは俺を助けてくれた。俺だって、マヒルを守りたかったのに!」
叫んだ思いは化け物の大きく開いた口に飲まれ、俺もいっしょに食われる。と思ったのに。
リン。
鈴みたいな音と同時、俺と化け物の間に透明な壁が張られていた。
ドゴォンッ!
化け物がぶつかった衝撃でビリビリ震えるけど、壁は壊れない。それどころか、全力でぶつかった化け物がピクピクしながらひっくり返ってる。
「なんだ、これ……っ熱!」
目の前で倒れてる化け物にビビりながらも不思議な壁を見上げていたら、胸が熱い。
とっさに右手でおさえたところに固いうろこの感触があって、服越しに伝わる熱があった。
「うろこが、熱い?」
「はあー。シンヤの龍は守りの力を持ってたわけだ」
すぐそばで転がっていたリセメトが大きく息を吐きながら言う。
「けど、この化け物……」
まだ生きてるっぽいけどどうしたらいいんだ。
そう聞くより先に、ハザが駆け戻ってきた。
無言で駆けてきたハザは俺たちの横を走り抜け、化け物の背後に回り込む。俺の前にある透明な壁に気をとられている化け物は、ハザに気づいていないみたい。
「ハアッ!」
掛け声とともにハザの両腕がぐんと伸びた。鋭くとがったその形は、まるで大剣のよう。
振り上げた両腕の剣を飛びかかる勢いのまま振り下ろせば、化け物はまっぷたつ。
切り口から真っ黒い影を煙のように吹きだして、空気に溶けるように消え失せた。煙まで防いでくれていた透明の壁もあとを追うようにリリン、と澄んだ音をひとつ残して砕けて消える。
「おー、ハザさん、ご苦労さん」
急に戻ってきた静かさのなかでぱちりぱちり。リセメトが拍手をするけど、肩で息をしているハザからの返事はない。
「それから、シンヤも」
「俺?」
「そ。シンヤの龍の力。守りの力のおかげで助かったわけよ」
にこにこしながら言うリセメトに、俺は胸のうろこを意識した。いつの間にか熱さはおさまって、ただ固いだけの感触が返ってくる。
「俺の龍の力は、守るための力……」
つぶやいて、思い出すのは大切な友の顔。
俺を守ってどこかへ吹き飛ばされたマヒル。
マヒルにも俺と同じうろこが宿っているなら、きっとどこかで生きている。
どこかはわからないけど、マヒルのことだ。危ない野原でぼんやりしているはずがない。通りかかった誰かに頼むか荷物に紛れるかして、人が暮らしている場所に移動しているに違いない。
だったら俺は、どうするべきか。
「なあ、リセメト、ハザさん」
考えるまでもなく、俺のすることは決まってた。
「俺も連れてってくれ。俺、マヒルを探さなくちゃいけないんだ!」
一番大事な友だちを見つけて、いっしょに帰るんだ!
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