第7話
「…暑いな」
「そりゃ夏だもん」
電車を乗り継いで着いたのは、泳ぐような観光向けの海ではなくどちらかというと靴を脱いで軽く遊ぶことがメインの海だった。
海がここがいいと希望を出してくれたため行き先を決めるのが楽だった。
それにしてもこの海は想像以上に人がいない。
「海なんて久しぶりに来た!」
「なかなか来ることないもんな」
「じゃあ早く入ろうよ!」
「おい待て!先に旅館に行って荷物置いてからな」
海に飛び込もうとしていた海の肩を掴み、何とか引き留める。
海は不満そうな顔で振り返った。
「いいじゃん、ちょっとぐらい」
「濡れたままチェックインするの嫌なんだけど」
「えー……じゃあそうしようか」
海は渋々といった様子で了承してくれた。
そのまま旅館まで歩き、チェックインを済ます。
高校生は同意書が必要らしいが、代表者の俺の書類だけで良かったようだ。
「では、ごゆっくりお寛ぎください」
仲居さんに部屋まで案内してもらえば、畳の良い香りが鼻腔をくすぐる。
海も気に入ったのか、ニコニコしながら部屋の中を見て回っている。
「じゃあ荷物解いたら海行くか」
「うん!」
海は嬉しそうに鼻歌を歌いながら荷物を軽くしていた。
俺もある程度荷物を解いて、貴重品だけ持って海に向かった。
海に着く頃には日差しが強くなっており、日焼け止めを塗っていない肌がジリジリと焼かれているのを感じた。
サンダルを脱いで、海に足を浸けた海は目を輝かせている。
海水は思っていたより冷たく、熱を冷ましてくれた。
「海好きなんだよね~」
「海って名前だからだっけ」
「うん、なんか親近感があって。ほら、僕のこと受け止めてくれそうな感じしない?」
海はそう言いながら両手を広げて俺の方を見る。
海の後ろに広がる青空さえも海に手を伸ばしているように錯覚してしまうほどその景色は美しかった。
バシャッという音がして、水飛沫が舞う。
気づいたときには海の全身は海面下に沈んでいた。
「海!!」
急いで起こそうと手を伸ばすと、逆に海に腕を引っ張られた。
突然のことにバランスを崩し、海に覆いかぶさるように倒れてしまう。
「おい!何すんだよ!」
「あはは、ずぶ濡れだ~」
「誰のせいだと思ってんだ?」
ケラケラと楽しそうに笑う海を見れば、怒っているこっちの方が馬鹿らしくなってくる。
海は立ち上がると、今度は俺の手を引いた。
そのまま勢いよく引っ張られて立ち上がれば、目の前には青い空が広がっていた。
「どこからが海でどこからが空か分からなくなりそうだね」
「そうだな…」
海がそう言うから、思わず見入ってしまう。
どこまでいっても青くて、境界線なんて見当たらない。
「そこの兄ちゃん」
振り返ると1人の老人が手招きをしていた。
不思議に思いながら近づくと、杖を突いた老人は俺の濡れた服を見て眉を顰める。
「この辺りは潮の満ち引きが激しいから気を付けるんだよ。最近だとそれを利用した自殺も多いからね」
「ご心配ありがとうございます」
老人はそれだけ言うと去って行った。
海は遠くから俺たちの様子を伺っていたようで、戻るなり心配そうに何かあったのか聞いてきた。
「大丈夫だった?」
「うん、この辺りは潮の満ち引きが激しいから気をつけろってさ」
「そうなんだ。じゃあそろそろ旅館に戻ろ」
タオルで体を拭きながら旅館に戻り、すぐに部屋の湯舟を張る。
旅館的には温泉を売りにしているらしいが、どうにも大浴場は苦手だった。
「海、風邪ひかないように暖かくしておけよ」
「分かってるよ~」
俺は部屋に備え付けてあるお茶を飲みながら、適当にテレビを見ていた。
そこまで広い浴槽ではないし、すぐに湯は張られた。
「お湯張ったから先入っていいよ」
「え、ほんと?ありがと~」
パタパタと風呂場に向かった海を見送り外を見ると、すでに日は沈んでおり海が黒くなって見えた。
しばらくすると、海は予想よりも早く髪を乾かしながら戻って来た。
「あれ、早くないか?」
「だってご飯もうすぐでしょ?仲居さん来ちゃうと思って」
「そういえばそうだな。じゃあ俺も入ってくるわ」
「はーい」
何となく海水でべたべたする体を早く流したくて、早足で風呂場に向かう。
少し熱いくらいの湯船に浸かり、手足を伸ばした。
「はぁ~……」
つい声が出てしまう。
いつもより少し熱めな気がするが、それが心地よかった。
できるだけ早く風呂を上がり浴衣に着替えると、すでに仲居さんが食事の準備をしてくれていた。
「ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそごゆっくりしていただいて。お料理はテーブルの上に用意しておりますので」
仲居さんはそう言って部屋を出て行った。
テーブルの上に置かれた食事を見れば、それは豪勢なものでとても美味しそうに見える。
海も待ちきれないのか既に席に座ってそわそわしている。
「じゃあ食べようか」
「うん!」
「「いただきまーす」」
目の前の料理はとても豪華で、どれも手が込んでいて見た目も美しいものだった。
それに、何を食べても本当に美味しい。
「これ美味しい!」
「こっちの魚もなかなかいけるぞ」
「本当だ!」
2人で楽しく話しながら箸を進めれば、あっという間に皿は空になっていた。
食後のデザートまでしっかり完食して、2人揃って息を吐く。
「ふぅ~、食べた」
「もう入らないね」
海は満足そうに布団に寝転ぶ。
俺もその隣に腰を下ろした。
それからしばらくはお互い何も言わずにぼーっとしていた。
「寝るか」
「えー、もう?」
「眠いし、また明日も遊べばいいだろ」
「分かった、おやすみ」
電気を消せば、真っ暗になった部屋に月明かりだけが差し込む。
まだ目が慣れていないため、海の顔はよく見えない。
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