番外編「約束の雪遊びと義理の兄」
観劇から少し経ち、ディリートは夫アシルに誘われて、ナバーラ地方を訪れていた。
夜会でも誘われていた「雪遊び」である。
「まだまだ治安に不安のある北方ではありますが、祭りを楽しむくらいはできるでしょう、とレイクランド卿に紳士的に道理を説いて、全力で治安維持活動をさせています」
夫アシルが「紳士的に道理を説く」というと大体はあまり紳士的でも道理にも沿ってなかったりするのだが、ディリートは淑女としてその部分を聞き流した。『慣れ』とも言う。
「本当に雪像がたくさんありますわね。素敵ですわ」
ぬいぐるみのようなデフォルメの効いた可愛い動物の雪像。
お城をつくり、王子様とお姫様をお城の前で寄り添わせた雪像……というには壮大すぎる作品。
大きな滑り台のような雪像には階段がもうけられていて、子供たちが登っては滑り降り、登っては滑り降り。楽しそうだ。
「きゃーっ」
「あははは……!」
どこの土地にいても、情勢がどのようでも、子供たちの笑い声は明るかった。聞いているだけで、不思議と明るい気持ちが移るようで、気付けば口の端がもちあがってみんながニコニコしていたりする。
ディリートはそんな現実に目を細めて、「子供の笑い声って、魔法みたい」と思うのだった。
ひら、ひら、ひらり。
灰色に曇った空から、雪が降っている。
真っ白な雪は、ゆっくりと下に降りたかと思えば、風に遊ばれてふわぁっと上に巻きあがったりもしていて、自由な感じだ。
雲の切れ間から陽光が差し込めば、地面の雪や雪像が照らされて、真っ白な色が目に痛いような眩しさを魅せたりもする。
それと――寒い。
「……っくしゅ」
「大丈夫ですか?」
アシルがふるふると震えながら頷く。鼻先が赤い。
「あちらに雪の家があるというのです。中があたたかいというので、参りましょうか」
発する声もいつもより
「あ、あなた……? 無理はなさらないでくださいね……?」
ディリートはオロオロしながら侍女にマフラーを追加で運んでもらい、夫の首にぐるぐると巻いた。
夫アシルは『半分は火精霊』な人間である。
思えば、雪まみれというのはいかにも苦手そうではないか――、
「いえ。意外と平気です」
アシルは真剣な顔で断言して、妻の手を握る。
雪で少し湿った毛色の手袋で覆われた手と手をつなぐと、もこもことした感触が新鮮で、楽しい。
雪の家は、長方形の雪のブロックを積んでつくられていた。
家というには頼りないが、中は意外なほどあたたかで、光を
「ホットココアをお持ちしました……ご無理はなさいませんように」
気遣わしげなロラン卿がおずおずとマグカップを差し出してくれる。
ほわほわとした湯気は、あたたか。
カカオの香りが、ふわっと鼻から抜ける。
――ココアだ。
ふわふわのホイップの乗ったココアは、見た目と香りだけで気持ちが安らぐ心地がする。
ホイップのクリーミーな味わいは癒される心地がして、優しい甘さ。
口当たりはまろやかですっきりとしていて、冷えた身体にじぃんと染み渡って、ぽかぽか気分。
「……美味しい」
飾らない声をこぼしてアシルを見ると、アシルはマグカップを両手で包み込むようにして、共感であふれる笑顔で頷いた。
「あたたかいですね」
そして、とてもさりげなく「そうそう、ロラン卿は今度とある伯爵家の養子扱いとなり、後継ぎになるのですよ」と教えてくれた。
「それはおめでたいお知らせ……で、よいのでしょうか?」
なにせアシルが言うのだ。
一見良いことのように思えても、油断できない……?
そのあたりを学んだディリートは恐る恐る二者の顔色をうかがい、ロラン卿が表情筋を引き攣らせながらも「よいことです、奥様っ」と頷くのを信じたのであった。
「序列が上がるのですし、とても良いことですよ、ディリート」
アシルは「当然ではありませんか」とつるりとした顔で言って、「これからは
「少しあたたまったら、私たち二人で小さな雪像をつくってみるのもよいかもしれませんね」
そう提案して周囲をハラハラさせたアシルは、妻と一緒に真っ白なウサチャン雪像を完成させ。
「こういうのを、『共同作業』というのです――、っくしゅ」
可愛らしいくしゃみを披露しつつ、「次は温泉に」と予定を語る。この日のために綿密に計画を練っているらしい。
「冷え切った身体を湯に浸すのは格別だといいます……」
寒そうではあるが、夫は楽しそうで、はしゃいでいる様子が微笑ましい。
ディリートはつないだ手を子供のように揺らした。
――ほわほわと白い吐息をあげて頷く夫の耳も頬も真っ赤で、なんだかとても可愛らしく見える。
「あなたと一緒に過ごす時間は、何をしていても楽しいですわ」
爪先立ちするようにして可愛らしい親愛のキスを頬に寄せれば、ふんわり、幸せな気持ちが二人の間にポッと花開くような心地がした。
* * *
「こほ、こほっ……」
後日――ランヴェール公爵は風邪を引いて寝室で横になっていた。
やっぱり冷えには弱かったらしい……。
「なんと、あの公爵が風邪らしい」
帝国中には目まぐるしく噂が広まった。
「いや、実は暗殺されかけて今瀕死なのだ」
「いやいや、これは公爵の罠で、弱った隙をみせて暗殺者が罠にかかるのを待っているのだ」
「妻に看病してもらいたいだけなのでは」
みんな実は暇なのかもしれない。平和な証拠だ。
様々な憶測が面白おかしく楽しまれる中、妻ディリートは寝台脇に
「そなたが風邪をひかなくてなによりです。温泉もよかったですし、また行きましょう」
「妻が元気でよかった……夫の幸せとは、そんな日常にあるのです……」
しかも、ぼんやりとした様子で、普段は心の中に慎重にしまい込むであろう文言を垂れ流している。
「防寒衣装に身を包んだ妻は愛らしく、小刻みに震える指先は庇護欲をそそり、なにより私を心配してくれる眼差しの優しさやあたたかさが……そう、私の妻なのです……」
「アシル様、しっかりなさってください。アシル様……お気を確かに……!?」
「可愛いでしょう……私の妻は可愛い……こほっ、こほっ……」
なにやら凄く幸せそうな雰囲気でもあるのだが、たぶんコレあまり大丈夫ではない――そんな夫にディリートは焦り、心配して昼も夜も付き添って甲斐甲斐しく看病した。
結果、復調した夫と交代するように今度は自分が風邪を引き、皇太子名義で健康グッズが次々と贈られて運ばれてくる庭先を医者が行列をつくってやってきて、公爵邸は大騒ぎになるのだった。
心配そうに妻の顔色をうかがい、アシルは健康グッズの山に首をかしげた。
「我らが殿下は私には見舞いを贈らないのに、そなたには山のように……」
微妙に不満の響きをこめて呟きながら、アシルはうさぎの形に愛らしくカットされた林檎をフォークで刺して、林檎を妻の口元に差し出した。
餌付けされるひな鳥の気分でディリートがぱくりと林檎をいただけば、夫は妻の可愛らしい姿を眼に焼き付けるように見つめながら「しかし、そなたにこうして林檎を食べさせる権利は夫である私にあるのです。この件については、御礼状で申し上げましょう」と微笑む。
離れた皇城の執務室でせっせと仕事に勤しんでいたエミュール皇子は可愛らしいくしゃみをして、「なんだか凄く悪寒がする……私も風邪を引いたかもしれない。たぶん」と呟いたのだった。
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作品を読んでくださってありがとうございました。
『亡国の公主が幸せになる方法 ~序列一位の術師さん、正体隠して後宮へ』
https://kakuyomu.jp/works/16818093073133522278
新連載です。
中華後宮ファンタジーです。もし作風が合うかも、と思った方は、よければ読んでください!
ぜひぜひよろしくお願いします( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )❤︎
【商業化進行中】二度目の公爵夫人が復讐を画策する隣で、夫である公爵は妻に名前を呼んでほしくて頑張っています 朱音ゆうひ🐾 @rere_mina
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