番外編「私は今、父に石を投げたのだな」

   SIDE ディリート



(皇太子殿下と観劇というのは、不思議な気分ね。夫とは観たことがあるけれど) 

 

 なぜか夫は精霊獣の姿である。

 人の姿で殿下とお話すればいいのに――ディリートは不思議に思いながら舞台を見つめた。

 

 舞台の上では、皇帝をモデルにしたらしき『王様』が架空の王国で権力を振りかざしている。


「王族が最も貴い。王族は何をしても許される特権階級である。高位貴族はそれに準じる。後継者が作れる男子なら、まあまあ何やっても許す! 力を有する騎士には騎士道という足かせをつけるが、やっぱり多少のやんちゃは許そうぞ」


 横目でエミュール皇子を見ると、パチリと目が合った。

 皇子の林檎色の瞳が笑みを浮かべるので、ディリートは安心した。

 皇帝に似た王様を見て、皇子の皇帝に与えられた心の傷が刺激されるのではないかと少し心配したのだ。


「それ以外の民には法を与えるゆえ、従うように」


 劇の主人公は、労働階級の成年だった。

 青年は、ひょろりと背が高い痩せ気味の赤毛で、誰かに似ている……。

 

「みんな、聞いてくれ! 王も貴族も俺たちと変わらない、ただの人間だ! だというのにあいつらは俺たちを見下して奴隷のように虐げて、何をしても許される。それでいいのか? いや、許さない。俺が許さない! みんなが許さない! ウィーアー俺たちが!」


 舞台の上では革命劇が展開されて、青年が旗を振り、真っ白の髪の王様が「や、ら、れ、た〜、ぐわぁ〜」と倒されてしまう。微妙に毒気の抜ける演技だ。と、いうのも。


「ここは民衆が処刑される王様に向かって石を投げるシーンです。普段はこのシーンで観客はツッコミを入れつつ『チップタイム』を楽しみます」

 護衛が箱を捧げ持ち、教えてくれる。

「チップを投げながら、『もっと迫真の演技をみせろー』などと、お好きに野次やじってかまわないのです」

 

 箱には、野蛮な行為に抵抗感のある観客を安心させるためと思われる文言が書いてあった。

『本物の石であれば暴力的で野蛮ですが、金を投げるなら悪の王様もやられながらニッコリ!』


「誰が考えたんだ? 税金を集めるときにも真似したいな。納税するたびに皇族の悪口を言っても許す、とかどう?」

 エミュール皇子は妙な発想を得ながら紙を見つめて、ディリートの手のひらにチップを乗せた。


「一緒に投げてみようか? ディリート?」

 さりげなく名前を呼ぶ頬がほんのり赤く染まっている。

 

「ええ。殿下。一緒に投げてみましょうか」  

 ディリートはエミュール皇子と一緒にポーンとチップを投げてみた。


「ぐわぁっ」

 王様が嬉しそうに悲鳴をあげる。


「嬉しそうにしては、役者の演技としてはダメなのではないだろうか」

「ではそれをチップと共に投げかけてくださぁい」

「商売上手……!」

  

 2人分のチップは舞台の上にちゃんと届いて、王様の足元にころころと転がった。


「民衆は王様に怒りの石を投げ、王様は悲鳴をあげましたぁ……!」 

 ナレーションが状況を語っている。

 

 自分が投げた『石』が届いて劇の演出の一部として演技に反映されるのは、新鮮な体験だった。


「私は今、父に石を投げたのだな」

 エミュール皇子がふと呟く。

 

「殿下。あの王様は、あくまでも架空の……」

 ディリートは言いかけて口をつぐんだ。


 

 エミュール皇子とて、そんなことはわかっているのだ。

 わかった上でそんな感傷を抱いて、気持ちを表に出してくれたのだ。

 おそらくは夫アシルと同じく、他者の耳目を意識して気持ちを抑えたり、臣下が望む皇太子を装う日々であろうこの皇子が、柔らかくて弱い傷の部分をみせてくれようとしているのだ。


 

「私は父に認めてほしかったな」


 舞台の上で処刑される王様を見つめながら、エミュール皇子は「理屈ではない肉親への複雑な情」を瞳にのぼらせた。


「私は父に心配してほしかったな」


 それが単なる愚痴でしかなくて、口にしてもどうしようもない想いなのだ、と理解している声が、そう言った。


「私は父に……」


 ディリートはそんなエミュール皇子に、共感を覚えていた。


「私も、父に愛されたかった……」


 素直な気持ちを口に出すと、自分の心の奥底で長い年月を経て凝り固まっていた気持ちが整理されていくようだった。

 語る言葉は過去形で、自分に「過ぎたこと」と認識させるための儀式のようにも思える。


 自分がエミュール皇子を理解したように、エミュール皇子も自分を理解してくれるのだろう。


「我々は、冬の寒さを知っているから、春のあたたかさを喜べる」

 

 エミュール皇子は、「暗くなりすぎないように」と意識した様子の声でおっとりと微笑んだ。

 ディリートが考えるに、この皇子の良い所はこんな点なのだ。


「愛されなかった寂しさや心の痛みを知っている分、他者の寂しさや痛みを理解しやすくなった。そう思えば、良いのかな」


 それで良いのだ、と肯定してほしい。

 そんな皇子の赤い瞳がディリートを見つめると、ディリートは自分があたたかで柔らかな生き物になれるような気持ちがした。


(ねえ、あなた。優しさって、自分ひとりではなくて、誰かから引っ張りだしてもらうものなのかしら?) 


 夫は、空気を読んだようにひっそりとしている。彼も、優しい心を持っているのだ。

 

 ――感情って、不思議。

 そう思いながら、ディリートは自然に微笑んだ。

「それは素敵なお考えですわね、殿下」

 

「ディリート。世の中には、自分を愛してくれない者もいる。けれど、自分が他者に愛情を持って接していれば、中には愛を返してくれる者もいる。愛してくれる誰かと、愛し合えばいい……。それは、愛してくれない者の愛を追い求めるより健康によい気がするのだ」


「私もそう思いますわ、殿下」


 ディリートが優しく頷くと、エミュール皇子は安心したように吐息をついて、子供のように無垢な笑顔をみせた。

 

「手を握ってもいいかな?」


 無邪気な子供のような声がそう言って、おずおずと指先を触れさせる。

 握るというには接触部分が先端だけで、それ以上は遠慮するような――そんな甘酸っぱい風情だった。

 

 劇の幕が下りていく。

 ディリートの膝の上で夫アシルが空気にでもなったように大人しく気配を消している。それを見てから、エミュール皇子は「たぶん聞こえるのだろうな」と呟きつつ、ディリートの耳に口を寄せた。

 

「私はね、そなたが思うよりずっと、そなたのことを、す……」


「す、……」


「――すこやかな心を持った女性だと思っているよ……」


 

 

 

 * * *


 

    SIDE エミュール


 

「おかげで、とても良い気分転換になったよ。ありがとう」

 

 城に戻る馬車の中、エミュール皇子は夢の余韻に浸るような声で感謝を告げた。

 

 頭を下げるゼクセン公爵は、以前よりも少し痩せている。父に引退を勧められたのを気にしているらしい、とも聞いている。

 

 ゼクセン公爵の白髪を見つめながら、エミュール皇子はゆったりと言葉を選んだ。


 

「いつも頼ってしまい苦労をかけるが、私はそなたをとても頼りにしているのだ」


「卿が健在で、私をこの先も支えてくれると思うとエミュールは頼もしい。とても心強い。健康によい。そなたの代わりはおらぬゆえ、これからも、健やかに税き……、よろしく頼む」

 


 うっかり税金を払ってくれと言いそうになったのは、きっとバレていないだろう。

 エミュール皇子は真面目な表情を取り繕いつつ、周囲の「今なにを仰ろうとしたのかわかっていますよ」という生暖かい視線から目を逸らしたのだった。


  

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