番外編「主君が臣下の妻に手を出してはいけないだろうか」(SIDE エミュール)
SIDE エミュール
「ナバーラ地方では、もうすぐ雪像を作る祭りが催される。私は現地に赴き、ナバーラの民と一緒に雪像作りをしてみようと思う」
ある日、帝国の皇太子になったエミュール皇子は真面目な表情で決意表明しつつ、手元の紙にポエムを記した。
『見よ、夕暮れには安らぎがある。
税金を欲する私の庭には木がなくなって、幽閉された父の頭には毛がなくなった。
太陽は沈むが、帝国の太陽は眠らない。
だって帝国には問題が山積みなんだもん。
この心はとても静かだ。
やがて私の毛も抜けるだろう――エミュール心の詩』
ポエムを見てしまったゼクセン公爵は思わず目に涙を浮かべて窓のカーテンを閉め、西の幽閉塔が見えないように配慮した。夕暮れに照らされる西の幽閉塔が皇子のメンタルに悪影響を及ぼしているに違いない、と思った様子である。
「殿下には、休養が必要なのではございませんか」
その言葉が欲しかった――エミュール皇子は内心で大喜びしつつ、「休養かぁ……そういえば、そなたの孫娘ディリートにはとても世話になっている。礼をしたいなぁ……聖女とお話したいなぁ……ちらっ、ちらっ」と真面目な顔でアピールをした。
ゼクセン公爵の孫娘ディリートは、エミュール皇子がうっかり運命を感じてしまった人妻なのだ。
道ならぬ恋、忍ぶ恋、というやつである。割とバレバレであるが。
「ディリート、でございますか」
ディリートは、ただの人妻ではない。ランヴェール公爵という高位貴族(臣下)の愛妻である。
ランヴェール公爵が統括するランヴェール派というのは、「皇族より自分たちランヴェール派の方が本当は格上であるが、譲ってやっているのだ」なんて気配も見え隠れしたりするちょっと取り扱い注意な有力派閥なのだが、現当主のアシルは比較的エミュール皇子と良好な関係だ。気が合うと言っていい。最近も「殿下が極刑の上をなさるならアシルもいたします」と変なことをしているらしい。
「ランヴェール公爵は、私を警戒しているらしくてディリートに会わせてくれないんだぁ……でも、ゼクセン公爵なら私の力になってくれたりするのではないかなぁ……。ランヴェールに対抗できるのはやっぱりゼクセンだよね。力になってほしいなぁ……」
「で、殿下……主君が臣下の妻に手を出してはなりません。ディリートは孫娘でもありますし、何かにつけて過激なランヴェール派に色々と思うところはございますが、こればかりはランヴェール公爵の味方をいたしたく存じます」
ゼクセン公爵は、エミュール皇子の隠している気持ちに気付いていた。しっかりばっちり把握されていた。
秘めている恋心というものは、意外と周囲にはバレバレだったりするものなのだ。
エミュール皇子は特に、半分無意識に書き散らしたポエムが部屋の床に落ちていたりするし。
「手を出……!? いや、か、勘違いしてはならぬ。やましい気持ちはないのだ。日頃の感謝をしたいな、というだけなのだ。私が臣下の妻に手を出すわけないだろう。大丈夫だ、たぶん」
エミュール皇子が取り繕うと、ゼクセン公爵は、「最後に『たぶん』をつける癖は責任ある発言が求められる皇太子としていかがなものか」と説教しつつ、孫娘との癒しの時間をセッティングしてくれた。なんだかんだ言って甘いのである。
ゼクセン公爵が手配してくれたのは、貸し切りの劇場で空気に徹する優秀な護衛に囲まれての観劇デートであった。
(話をしたいと言ったのに観劇では始まる前と終わった後に少し話す程度になるではないか。さては私が浮かれ上がって一線を越えるのではと危ぶんでいるな、ゼクセン公爵)
なんということだ。臣下からの信用がない。
そんな現実をひしひし感じつつ、エミュール皇子は背伸びするようにしてディリートに近付いた。
エミュール皇子が考える「美しい公爵夫人の良いところ」は幾つもあるが、その中のひとつに「他者の気持ちを
彼女は「エミュール皇子が外見にコンプレックスを抱いている」というのを理解しているのだ。
それは、初対面のときからそうだった。理解と気遣いを感じる振る舞い方だった。
(彼女は、単に外見が美しいだけではないのだ。教養を感じさせる言動だったり、他者の気持ちを感じ取ろうとする心の在り様や、思いやり深さといったあたたかで優しい上品な情を持つのだ。そして、従兄弟のような悪い男に付け込まれる弱い部分があったり、ほだされてしまって自分で自分に戸惑ったりしてしまうような可愛いところもある……そんな心の在り様が、好ましいと思うのだ)
エミュール皇子はふわふわとした雲の上を歩く心地で歩み、思考をのんびり巡らせた。
(好ましいという気持ちくらい、伝えても~、よいのでは~、ないだろうかぁ……?)
――脳内でゼクセン公爵とランヴェール公爵が「NO」と言っている。
犬猿の仲である二派のトップが口をそろえて反対するとは、これはダメだな……。
「やあジャンヌ! いや、本日はディリートと呼ぼうか……名前ってやっぱり、大事だよね……あ……れ……?」
朗らかに挨拶をしたエミュール皇子の眼に、妙な映像が飛び込んできた。
ディリートが精霊獣を抱っこしている。
仔狼に似た蜜柑色の精霊獣だ。
見覚えがある。
アシルだ。それもリボンをつけて、フリフリの可愛い服を着せられている……。
(な、なんだその恰好。なんだその……私はどんな顔をしたらいいんだ? アシル?)
「殿下。本日はお誘いくださり、ありがとうございます。光栄に存じます」
可憐な声で挨拶を返すディリートの腕の中で、可愛い恰好をした臣下(精霊獣)が威嚇するように牙を剥く。とても警戒している。妻に変な態度を取ったら下剋上するぞって警告するような目をしている。信用がない。
「愛玩動物を連れて来たんだね、ディ……」
名前を呼びかけた耳に、精霊獣の唸り声が届く。怒っている。
「……わたしのじゃんぬ……」
――エミュール皇子は言い直して、臣下の機嫌を取るようにへらりと笑ったのだった。
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