毎日小説No. 2 らーめん屋さん
五月雨前線
1話完結
「いやあ、本当にびっくりしたよ。まさかこの歳になってラーメン食べたことない人がいるなんて」
「特に避けてきたわけじゃないんだけどね……」
苦笑いを浮かべる私の横で友人の伊藤美香は腕を組み、すごいよなぁ、そんな人いるんだぁ、と呟いている。十五年の人生の中で一度もラーメンを食べたことがない、という私のカミングアウトは、つい先日仲良くなったばかりの友人に衝撃を与えたようだ。
私の名前は鈴木藍美。高校一年生。生まれ育った田舎を離れ、都心に近い地域に家族一同引っ越してきたのが数ヶ月前。新しい地で高校生活を始めることになった私は、入学式早々クラスメイトの間で話題になっていた。いや、話題になってしまった、というべきか。
きっかけは、友達同士の何気ない会話だった。新しいクラスで数人の女子と仲良くなった私は、昼食を食べながらたわいもない話題で盛り上がっていた。
「ねえねえ、この学校の近くに美味しいラーメン屋あるの知ってる?」
「え、そうなの? 私ラーメンめっちゃ好きなんだよね!」
「今度皆で行ってみようよ! 藍美も今度行こ!」
美香に声をかけられ、私は小さく頷きを返した。
「う、うん……」
「何その鈍い反応〜! もしかしてラーメン苦手?」
「いや、苦手とかそういうわけじゃないんだけど、その……」
「なーに?」
「あの、今までラーメン食べたことないんだよね。だから勝手が分からないというか、なんというか……」
私がそう言った瞬間、賑やかだった教室が一瞬静寂に包まれた。え、なんかまずいこと言ったかな? と思ったのと同時に、「「「え〜!!!」」」という驚きの声が何重にも重なって飛んできた。
「う、嘘!? 藍美、今までの人生で一回もラーメン食べたことないの!?」
「う、うん。まあ一応……」
「マジか」「そんな人いるんだ」「すげえ」「修行僧みたい」等々、クラスメイトが私に視線を向けては何かを口走っている。
「うーい、ホームルーム始めるぞぉ〜」
「ホームルームどころじゃないですよ先生!」
眠たげな様子で教室に入ってきた先生の元に藍美が駆け寄る。
「どうした伊藤ぅ」
「なんとなんと、藍美、今まで一度もラーメン食べたことないんですって!」
「ほーん……な、なななな、なに〜!?!?」
先生は私の元へ猛然と駆け寄り、「鈴木ぃ!」と叫んだ。
「は、はいっ!」
「今まで一度もラーメン食べたことないって本当なのか!?」
「本当です!」
「な、なんと……! 何てことだ……! 何てことだぁぁ!!」
いつもは落ち着いた様子の先生が、何故か今は頭を抱えて悶えていた。後から聞いた話によると、先生は二郎系ラーメンの熱狂的なファン、通称『ジロリアン』だったらしく、ラーメンを食べたことがないというカミングアウトにショックを受けてしまったのだそう。
入学早々、そして好奇心旺盛な高校生達の間で、「『一度もラーメンを食べたことがない高一女子』という強烈(?)なキャラが話題にならないわけがなかった。その日を境に私は意図せずクラスの中心的存在になってしまい、クラスメイトからは『ラーメン鈴木』なる謎のあだ名をつけられる羽目になってしまったのだ。穏やかな高校生活を夢見ていた私の願いは、入学早々無惨にも砕け散ったのである。
「あの時美香が先生に言ってなければなぁ……。ここまで話題になることもなかったのに」
通学路を歩きながら、一週間前の出来事を思い出して私はぐちぐちとぼやく。
「変なあだ名もつけられることなかっただろうなぁ」
「え〜? でもそのお陰で今や藍美はクラスの中心的存在になってるじゃん。ラーメンさん、ラーメン藍美、って男女問わず殆どの人と仲良くなれてるし、先生ともなんか仲良くなってるし? 高校生活の最高のスタートダッシュを切れたと思わない?」
「思わない! 私は穏やかな高校生活を送りたかったの!」
またまた〜、と茶化す美香のおでこに軽くでこぴんをかます。そう、今思えば事の発端は美香だ。ラーメンの話題を私に振ったのは美香だし、ラーメンを食べたことがないと色んな人に言いふらしたのも美香。全くとんだ迷惑だ……と最初は思っていたが、ラーメンの話題がきっかけで様々なクラスメイトと親交を深めるにつれて、その思いは段々と薄れていった。お陰で口下手な私にも友達が沢山できたし。
「も〜、私に感謝してしかるべきなのに〜」
でこぴんをくらった美香はほっぺたをぷくーっと膨らませている。友達が沢山できたのはきっと美香のお陰、と言おうとしたが、どこか癪に障ったのでやめた。そういうことを言うとどうせすぐに調子に乗るに違いない。
「それで、そろそろラーメン屋さんに着くの?」
「うん! いやあ、人生初ラーメンの瞬間が近づいてますなぁ!」
いえーい、とはしゃぐ美香のテンションはかなり高い。
これから私は、美香一推しの店で人生初ラーメンを食すことになっている。理由は、ただただ単純に興味が湧いたからだった。私を育ててくれた両親はどちらもラーメンが苦手で、その影響で食卓にラーメンが姿を現すことはなかった。加えて、管理栄養士をしている母から「ラーメンは体によくない」的なことを幼い頃から言われ続けてきたため、家以外の場所でもラーメンを食べようとは思わなかったのだ。
しかし、ラーメンラーメンとクラスメイトに言われ続ける内に、ラーメンという食べ物に対する純粋な興味が芽生えた。試しに母親に相談してみると、「あ〜、別にいいんじゃない? スープ飲まなければ」というあっけらかんとした回答が返ってきた。どうやら母親には、ラーメンを禁じようなんて縛りを設けるつもりはなく、ただ私が勝手に思い込んでいただけだったらしい。そんなこんなで、私は初めてラーメンを食べることに決めたのだった。
やけにテンションが高い美香と並んで、学校のすぐ近くの商店街の中を歩く。時刻は午後七時過ぎ。仕事を終えて帰宅するサラリーマンをはじめ、商店街は多くの人でかなり賑わっていた。
「あ、ラーメン屋さんだ。あれ、あっちにもある」
今までラーメンに対して意識を向けていなかったために気付かなかったが、どうやらこの商店街には複数のラーメン屋があるらしい。どのお店もでかでかと看板を張り出し、存在を全力でアピールしているからか、どの店の前にも客が並んでいた。
「人気がある店なのかな……」
「あ! す、すとーっぷ!」
何気なく店に近づいた私を、焦った様子で美香が引き留めた。
「美香? 急にどうしたの?」
「い、いや、その! そのお店も確かに美味しいんだけど! もっともっと美味しい店があるからそっちの方が、い、いいかなぁと思って!」
「ふーん」
どこかぎこちない美香の態度が気になったが、私は美香の指示に従うことにした。
それから数分ほどで目的の店に着いた。その店は、外見からしていかにも年季が入っており、店内はそれなりに広い。先ほどの店と違ってこちらに行列はなく、あっさりと中に入ることができた。
「「「へいらっしゃい!」」」
三人の店員がほぼ同時に元気のいい声をかけてきた。私は小さくお辞儀を返し、店内を見渡した。カウンター席が十四席、そしてテーブル席が三つ。カウンターにはサラリーマンの男性が二人並んで座っており、テーブル席のうちの一つには同じくサラリーマン達が腰を据えていた。
「藍美、まずは食券だよ!」
美香に手で示され、私は食券の販売機に視線を移した。「〇〇ラーメン」や「チャーハン」、「餃子」といったメニュー名が表示されたボタンがびっしりと並んでいる。
「どれがおすすめとかある?」
「そうだなぁ、やっぱりオーソドックスな醤油ラーメンかな!」
「分かった」
お金を投入し、『醤油ラーメン 八百五十円』と書かれたボタンを押すと、下の受け取り口から食券が出てきた。美香も私と同じ食券を購入し、並んでカウンター席に腰を下ろす。
「へいらっしゃい、醤油ラーメン二つ入りまあす!」
店長と思わしき中年の男性が二枚の食券を受け取った。
「これがラーメン屋かぁ……」
きょろきょろと視線を動かす私を見て、美香が笑みを浮かべる。
「いい雰囲気でしょ」
「うん。なんかいい匂いがするね」
「それはスープの匂いだよ。豚骨と煮干しをブレンドしてるから、いい匂いになるんだよねぇ」
「ふーん。随分詳しいんだね」
「ま、まあね! 私ラーメン好きでよくこのお店来るから!」
あからさまに取り乱す美香を見て、私は小さく首をかしげた。今日はどこか美香の様子が少しおかしい気がする。
「美香、なんか隠し事とかしてないよね?」
「か、隠し事なんてしてないもん!」
「なんか美香の様子が変だからさ」
「そんなことないもん! あ、てか今日の数学マジ意味不明じゃない? 受けるんですけど〜」
半ば強引に話題を変えられた気がする。不審に思いつつも美香のお喋りに耳を傾けること約五分。「へいおまち!」という声とともに、私の目の前に大きなどんぶりが置かれた。
「醤油ラーメンどうぞぉ!」
どんぶりをそっと自分の方へ引き寄せ、私は湯気を放つ目の前の物体をまじまじと見つめた。
スパゲッティの麺にどことなく似ている麺が、茶色い液体の中に沈んでいる。麺の上には肉の塊、ほうれん草、そして海苔が綺麗に配置されており、放たれる匂いが私の鼻腔を心地よくくすぐる。
これが、ラーメンか。
生まれて初めてラーメンというものと向き合った私の中で、感慨に似たよく分からない感情が込み上げていた。空腹だからかそれとも本能的なのか、目の前のラーメンは美味しいものであると私は直感的に確信していた。
「先、いただいちゃっていい?」
「勿論!」
美香が親指を立てて見せる。私はカウンターに置かれている箸を手に取り、うどんやそばをすする要領で麺を掴み、口に含んでみた。
「…………!」
「どう? どう?」
興味津々といった様子で味の感想を聞いてくる美香。私は口に含んだ麺をゆっくり咀嚼し、旨味を存分に味わってから静かに飲み込み、そして小さく、それでいてはっきりと口に出した。
「…………美味しい」
「やった〜!!」
「美味しい! 美香、これすごく美味しいよ! ラーメンってこんなに美味しい食べ物だったんだね!」
麺や具を口に運ぶのが止められない。美味しい。とんでもなく美味しい。こんな美味しいものを高校生になるまで食べてこなかったなんて、私は今まで何をしていたんだろう? そりゃクラスの皆や先生も驚くよなぁ、と私は今更納得した。
「いやあ、いい食べっぷりだねぇ、藍美ちゃん」
仕事が一段落ついたのか、店長がにこにこしながら話しかけてきた。
「はふはふ……はい! 私、人生で初めてラーメンを食べたんですけど、とても美味しいです!」
「ははは、そうかい! それは何よりだ!」
「ずるずるずる……海苔もほうれん草も一緒に食べると美味しい……」
「それで、藍美ちゃん。何曜日にシフト入れるのかは決まったのかい?」
「はい?」
「ちょちょ、お父さん!!」
私が目を丸くしたのと同時に、美香が素っ頓狂な声を上げた。
「それはまだ言っちゃ駄目なんだって!!」
「あれ、そうだったか? てっきり全部話してるのかと思ったわ! がっはっはっは!」
「これから時間をかけてゆっくり説明するつもりだったのに〜!!」
「……美香? 今、お父さん、って言ったよね?」
「ぎく!!」
「この方が美香のお父さんなの? 美香の実家ってラーメン屋さんだったの? 全く聞いてないんだけど」
「え、えと、それはその……」
目を泳がせて口籠る美香をじーっと見つめながら、私は言葉を続ける。
「それにシフトって何? 絶対に何か隠してるよね」
「…………」
「看板娘の募集!? 何それ!?」
「黙っててごめん本当!」
ラーメンを食べ終えた私達はとりあえず美香の部屋に移動し、そこで事の顛末を教えてもらうことになった。そもそも、美香の両親はラーメン屋を営んでいたこと。そして最近商店街にライバル店が続々と現れたため、売上が少しずつ落ちていたこと。そして、売上回復のための新しい策を練らねばと家族三人で話し合った結果、店の魅力を増やすために看板娘を募集すると決めたこと。
「てか、店の売上を増やすために看板娘を募集するっていうのがそもそもよく分からないんだけど」
「まあ、そこは触れんといて……」
「そしてその後がもっとよく分からないんだけど、その看板娘候補が何故か私になり、勧誘のためにこの店に招待した……と。これで間違いない?」
うんうん、と首を縦に振る美香。私は大きく溜め息をついた。
「初めて食べたラーメンの味に私はきっと感動する、だから自分達の店に私を連れてきてラーメンを食べさせれば感動してきっと看板娘になってくれるんじゃないか、って流れは、分からなくないこともないんだけど……」
「だけど?」
「……何で私が看板娘なの?」
「だって藍美、可愛いじゃん」
「……!?!?!?」
美香に真顔で言われ、私の両の頬が急激に熱を帯び始める。
「ちょ、急に変なこと言わないでよ……」
「変なこと言ってるつもりないけど。普通に藍美ってクラスの中で一番可愛いし、あとスタイルもいい。看板娘としてうちで働いてくれたら売上伸びるかも、って素直に思っちゃったんだよね」
唐突に褒め言葉を連打されて動揺する私の両手をそっと掴み、美香が真剣な表情を浮かべる。
「隠し事してたのは謝る。本当にごめんなさい。何としてもうちの店に来てもらって、人生初のラーメンをここで食べてもらいたかったの。看板娘として働いてくれるならちゃんと時給を払うし、なんならうちのラーメン無料で食べられる権利もあげるから!」
「美香……」
「だから、どうか! どうかうちの看板娘になってください!」
「……」
「私からもお願いしますっ!」
「わわっ!?」
唐突に別の人物の声が割り込んできた。中肉中背で仕事着を身に纏った中年の女性だ。顔立ちからして、美香の母親であるとすぐに理解した。
「学校生活に支障のない範囲で、来られるときに顔を出すくらいでいいから! お願い! この通り!」
親子揃って頭を下げられ、私は慌てて手で制した。
「頭を上げてください! 分かりました、要はアルバイトですよね? 高校でバイト始めようと思ってたんで、ちょうどいい機会です!」
「え……いいの?」
「うん! これからよろしくお願いします!」
「「やった〜!!」」
***
「へいらっしゃい! カウンター席にどうぞ〜」
何百回、何千回と繰り返してきた言葉を客にかける。お客さんが席に座るやいなや、おしぼりとコップを客の前にそっと置き、食券を回収するとともにお好みを聞く。
「醤油ラーメン大盛り、硬め濃いめ一丁!」
私が発した声に、「「あいよ〜!」」と店長、そして副店長が呼応する。この後は麺を茹でて具材を切って、と頭の中で作業の工程を反芻する。ラーメン屋の店員としてこなすべき大量の仕事も、今やすっかりと体に染み付いてしまった。チャーシューを包丁で切り始めたその時、制服を身に纏った学生の集団が店に入ってきた。私は入り口の方へ視線を向け、笑顔で声を張り上げた。
「いらっしゃいませ〜! テーブル席へどうぞ〜!!」
美香の両親が経営するラーメン屋の看板娘に就任してから、一年が経過しようとしていた。看板娘がいれば売上が上がる、という美香ファミリーの予想は存外にも的中したようで、私がこの店でバイトを始めてから店の売上はどんどん良くなっていった。
自分で言うのもなんだが、私が看板娘として働いているから、という理由でこの店を利用してくれる人は結構多い。学校の友達や所属している部の後輩、そしてラーメン好きの先生方だ。働いている姿を見られるのは未だに少し恥ずかしいが、店を利用してくれるのは本当にありがたい。
そして私の待遇だが、控えめに言ってめちゃくちゃ良い。時給は破格の千二百五十円、それに加えて従業員サービスで店のラーメン食べ放題という豪華なおまけつきだ。いいバイトに巡り会えてよかった、と心の底から思う。
「え、真美ラーメン食べた事ないってマジ!?」
「マジマジ!」
「え〜嘘〜! 受けるんですけどぉ!」
その時、カウンター席に並んで座る女子高生数人の会話が耳に飛び込んできた。何、ラーメンを食べたことない? 一年前の私と同じではないか。作業をしつつ、耳をそばだててみる。
「何で今までラーメン食べなかったの?」
「うーん、何だろう、そういう気分じゃなかったから、みたいな?」
「意味わかんな〜い!」
「あはは、確かに! でもさ、この辺にめちゃくちゃうまい店があるって聞いて、なんか興味湧いたんだよね! 皆美味しいって言ってるし、私も食べてみようかなって」
「いいじゃん〜」
「確かにここは美味しいからね〜」
まさに一年前の私だ。こんな偶然があるのだろうか? びっくりして思わず手が止まりそうになる。
そうか、じゃあこの人は、人生初のラーメンをうちの店で食べてくれるんだ。とても光栄なことだなぁ、と私は強く思った。
一年前、私はこの店で初めてラーメンを食べて、その美味しさに感動した。そして何の因果か、今はラーメンを提供する側にいる。なら、次は私がこの人を感動させる番だ。
「藍美ちゃん、最後よろしく!」
店長からどんぶりを渡された。最後の仕上げは私の仕事だ。心なしかいつもよりも丁寧に、一つ一つの具材を盛り付けていく。
「醤油ラーメンです、どうぞ〜!」
笑みを浮かべながらどんぶりをカウンターに置く。
「うわ〜、これがラーメンかぁ! いただきまーす!」
初めてラーメンを口に含んだその女子高生は「……美味しい」と呟き、笑顔を振りまいてくれた。
そうそう、その笑顔が見たかったんだよ。
嬉しさで私の胸がほのかに温かくなる。彼女が浮かべた笑顔は、あの日私が浮かべた笑顔とよく似ていた。
完
毎日小説No. 2 らーめん屋さん 五月雨前線 @am3160
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