第11話 二人だけの形

 夕陽が照らす高校二年二組の教室で、二人揃って窓の縁に腰を下ろす。


「おつかれ、千弦。ようやく話せたね」


「本当にね? びっくりだよ。いつもの日常に戻った気がしてたけど、今日は今日で刺激的だったぁ……。まさか、オレのネイルサロンができそうになるなんて思わなかったよ」


「そりゃそうだ。あまりに急展開すぎるよ。でも、私も嬉しかった」


「ははっ、ありがと。なんか……まだ変な感じがしてるなぁ」


「そうだね。いまだに信じられないよ、あの週末のことは」


 千弦は満足げに首肯して微笑み、小さく「それ」と楓の爪を指し示す。


「楓も、昨日のネイルそのままにしてくれてるんだ」


「うん。うちの学校は禁止じゃないし、一日で落としたらもったいないからさ。おかげで、ネイルサロン千弦の宣伝になっちゃったけどね?」


「本当だよ。でも、楽しいかもね、ネイルサロン千弦。文化祭でならできるかな?」


「いいね、推薦しよう」


「いやいや、まさかの楓が結構乗り気! つーか、やるのはオレなんだけど!」


 互いに笑い合ってから、千弦はわざとらしくコホンと咳払いをひとつした。


「オレ、楓に伝えなきゃいけないことがあるんだ」


「なに?」


「オレは女性の格好がしたい」


「……ん? その告白はもう聞いたけども……?」


「間違いなくそうなんだけど、そう言うなよな……。なんか、伝えておかなきゃと思ったの。今の楓にもちゃんと伝えなきゃ、ってさ」


 昨夜、楓が問いかけたことに対する、千弦なりのけじめなのだろう。その真面目さに、楓の頬は溶けてしまいそうなほど緩くなった。


「そっか……、ありがとう」


「今までどう見られるか気にしてたけど、性別に囚われすぎてたのは、結局オレなんだって気づいてね。できるだけその概念を追い出して、改めて考えてみたんだ」


「……それで?」


「オレが守りたくて支えたいのは楓だけだよ。恋愛については考えたことないし、恋してるオレとか想像できない。けど、オレの隣に、楓がずっといることは想像できる。もはや家族というかなんというか……ごめん。上手い言葉が見つからないや」


 小恥ずかしさを誤魔化すように笑うが、言葉に嘘偽りはない。それだけでも十分に満たされた。だから楓は、優しく首を横に振る。


「満足だよ。千弦の最も親しい人でいさせてくれるなら、私は何者であっても構わない。この関係に、これという名称なんていらないんだ。もっと特別な間柄だからね」


「ありがとう。ただ一緒にいるだけでもいいのなら、楓のそばにいさせてほしいな?」


 世間一般の物差しは必要ない。互いが唯一の存在となればこそ、幸せが生まれる。


「ふふ、もちろん。ずっと、すぐ隣にいるよ。だから、またデートをしよう。ああ、ちなみにこの『デート』は、私たちが二人きりで出かけることをこそ意味する……なんてね?」


「うん、そりゃいい。特別なお出かけって感じがしてワクワクするね!」


 靴を履き替えながら答え、千弦は一度「うーん」と考えてから続きを返す。


「じゃあ、ひとまずこの関係も『恋人』ってことでいいのかな? ある意味では相思と言えなくもないし、各所への説明の手間も省けるといいしね。楓もそう思わな――」


 まさかの言葉を耳にして、楓の肩から鞄が滑り落ちた。続いて、手元にあった革靴がカツンコツンと厚板すのこの上で踊る。当の本人は目も口も開けて、ぽかんと放心状態だ。


 対し、千弦もまさかの反応を目にして、あわあわと狼狽えた。頬をポリポリと掻きながら、必死にフォローのための言葉を探しはじめる。


「ええっ、楓!? わ、わわ、いや、ちゃんとそうなれてからで別にいいんだよ。なんとなくそうなんじゃないかなって思っただけだから、ほんと気にしないで……」


「き、気にしないわけない! 千弦がいいなら、ぜひともそうしよう! なんなら私としては、昨日からそうだったとしておきたいくらいだよ!」


 あまりにも必死な様子でシャツに食らいついてくるから、千弦は思わず吹き出して笑った。この身長差に懐かしさを覚え、すぐそこにある頭の上に手を置いて撫でる。


「それじゃあ、そうしちゃおっか。記念に手でも繋いでみる? 特に抵抗感ないけど?」


 夢のシチュエーションで素敵な提案を受けてしまい、楓は思わず赤面した。その一方で冷静に俯瞰する自分もいて、千弦の威勢について指摘したくなる。


「……なんだかんだ積極的だね?」


「なぜか、そこは割り切れるみたいでさ。手なら昔はよく繋いでたし、なにより相手が楓だからかな? けど、もしかしたら、キスまでくらいならいけるかもしれないよ!」


「おおーっ。なら、早速やってみる?」


「う、うーん。今ここで、は……やっぱまだ無理! ごめん、完全にノリで言った。楓を変に意識しちゃいそうだから、無理だよ……。普段見ないじゃん、親がそういうことしてるのって。いつかはそういう関係になれるかもしれないけど、今は心の準備が……」


 耳の先まで赤らめながら、千弦はぼそぼそと呟き続けた。その横でニヤつく頬を極力押さえつつ、楓は落とした鞄を拾って、靴を履き替える。


「そんなところだろうと思ったよ。ふふ、千弦はかわいいなぁ。まあ、私はずっと隣にいられればそれでいい……ん? つまり、熟練夫婦を目指せば万事解決ではないかな?」


「そんな簡単な話かなぁ。熟年夫婦ねぇ……熟年夫婦、案外いいかもしれない」


「本当に? まあ、私としては願ったり叶ったりだから、なんでもいいんだけどね。実際の話は、私たちがわかっていればいいんだし、千弦がいいならそうしよう。目指せ、熟年夫婦ってね?」


「楓が楽しそうだとオレも楽しくなっちゃうなぁ。では、はい。お手をどうぞ?」


「それ、なんか違うものが始まりそうだけど、別にいいか」


 差し出された大きな手に触れて、やや恥ずかしさを漂わせながら指を絡める。


「なんか、変な感じだね。でも、すごく満たされていて、清々しい気分がする」


「オレも同じだ、なんだか清々しい気分だよ。ねえ、今度行きたいカフェがあるんだけど」


「いいね、よければ今から行こうか」


 二人は揃って、身体の奥が熱くなってくるのを感じていた。

 世間一般に言う「恋人」になった心地がするのもそうだが、それ以上の特別感で満たされている。安心やら興奮やらが、ぐつぐつと煮詰められていくようだ。


 これを「恋」と呼べなくてもいいけれど、この気持ちを「恋」と呼ばずとして、一体なにが「恋」なのだろうか。これ以外のものはないと感じるからこそ、楓と千弦はこの気持ちを「恋愛」と呼ぶことにする。





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