第37話


 ◇◇◇


 動かなくなった化け物のそばを通り過ぎ、市元と瑠璃川が校門の方へと向かっていった。しかし、急に市元が振り返り、紅李に声をかけてきた。


「あの、東雲さん」

「なんだ?」

「その手紙ってやっぱりその化け物が書いたんですか?」

「まぁ、その可能性は高いだろうな。実際、呼び出された場所にいたのは化け物だけだったんだろ」

「まぁ、はい。でも、なんで俺を呼び出したんだろう? 最初から透が狙いなら、直接透を呼び出せばよかっただろうに」


 首を傾げる市元に紅李が返事するよりはやく、瑠璃川が口を開いた。


「それはあれじゃない? 俺は和基と違って、そんな手紙で呼び出されても行こうと思わないし」

「そうだな。瑠璃川には常時化け物が見える目があるんだ。警戒心も他のやつらより強いだろう。だから警戒心の高い瑠璃川を釣るためにお前が餌にされたんだろうな」

「そっか、そういうことか。なるほどなぁ」


 市元は納得した様子だ。もう一度紅李に向かってぺこりとお辞儀をすると歩き出した。そのあとを瑠璃川が追いかける。


「ああ、そうだ、瑠璃川」


 紅李が声をかけると瑠璃川が振り返った。


「はい? なんですか?」

「河原の事件のときからずっと思ってたんだが、お前……いくら友人のためとはいえ、そこまでするのは異常だぞ?」


 友人が襲われていたから、襲っていた相手を殺す。相手が化け物だとわかっていながら、友人の身のためなら呼び出しに応じる。普通、自分のことを一番に優先してしまう人間なら取らない行動だ。

 紅李はずっと思っていた言葉を瑠璃川に投げかけた。


「いいえ? 俺にとってはこれがですから」


 しかし紅李の言葉を気にする様子はまったくなく、瑠璃川は平然とそう言いのけると市元の元へ小走りでかけて行った。


「……はぁ、マジかよ」


 紅李はため息をついて数多の星が輝く空を見上げた。


「普通、ねぇ」


 瑠璃川の言葉を復唱しつつ、紅李は自身の車を横目に見た。

 化け物を轢いたおかげで自前の車のフロント部分はへこみ、ミラーはひしゃげて曲がってしまって今にも取れてしまいそうだ。そしてフロントガラスにはヒビが入って、これ以上の走行は不可能だろう。

 紅李は深くため息をついて胸ポケットから煙草の箱を取り出すと一本手に取り、火をつけた。


「ふー」


 煙を吐き、近くの花壇の縁に腰掛ける。

 目の前にあるのは化け物の遺体と、悲惨な姿に成り果てた自身の車。

 グラウンドを囲う緑色の金網は紅李が無理矢理車で突き破ったせいで大きな穴を開けている。


「はー」


 もう一口煙を吸って吐き出すと、紅李は項垂れた。


「これは報告書、もとい反省書を書かされるな……」


 ゆるい笑顔を浮かべた上司に反省書を手渡される未来を想像するのは、息を吐くよりも容易だった。

 紅李が校外の方へ視線を向けると、市元と瑠璃川の背中が遠くに見えた。


「死者が出なかったようでなによりだ」


 はっと鼻で笑って、紅李は再度自身の車を見た。


「一番の怪我を負ったのはお前……いや、俺の財布ってか」


 この車は去年買ったものだ。まだローンは支払い終わっていないというのに、先に車の方がだめになってしまった。


「公務員だからって高月給だと思うなよ」


 紅李は煙草を吸い終わると火を消し、スマホを取り出した。

 今は深夜二時だ。大体の人間は寝ているだろう。しかし、紅李がかけた相手はコール後、すぐに電話を取った。


「はい、もしもし? 僕は今仕事中ですけど?」

「俺も仕事させられてらぁ。ほら、この前報告したガキ……化けもんが見える瑠璃川透ってやつがいたろ」

「ああ、報告書を読ませてもらったよ。人間に擬態した化け物を殺したそうじゃないか」

「ああ……」


 肯定する紅李の歯切れは悪い。今回の事件をなんと上司に報告すればいいのか言葉に迷っていた。


「また彼絡みかい?」

「ああ、お察しの通りだ。瑠璃川の目の力を欲しがった化け物がいてな。そいつを轢き殺した」

「きみ、この前もその瑠璃川って子の学校で化け物を射殺したんじゃなかったっけ?」

「今回もその高校だ。始末を頼む」

「もう、きみには困ったものだね」


 電話越しに上司の困った笑い声が聞こえる。べつに好きでこんなことしてねぇよと心で思いながら、紅李は口を開いた。


「俺だって瑠璃川たちが襲われていたから相手をしたまでだ。本当なら今頃ぐっすり寝ていただろうよ」

「ははは、寝ている暇があるなら僕の仕事も手伝って欲しいものだね」

「うるせぇ、上に仕事の量を減らすように頼んだらどうだ?」

「上……って、警察庁に? それこそ無理ゲーってやつじゃないか。あいつら、私たちは化け物が見えないのでーとか言って僕たちに仕事を押し付けることしかしないんだから。せめてもう少し給料を上げて欲しいものだね」

「それは俺も同感だな。今回の件で俺の車がお釈迦になった」

「それはそれはかわいそうに」


 電話の向こうから聞こえる声には言葉とは裏腹に同情の念がこもっていない。口先だけの上司を紅李は無性に殴りたくなった。


「とりあえず、片付けを頼む。深夜帯だからよかったものの、真っ昼間だったら今頃ここは野次馬が殺到してる」

「わかったよ。彼……に連絡しよう。あんまり僕も彼とは関わりたくないんだけど」

「実際に化け物の遺体を受け渡しするのは俺だから、結局俺があの変態の相手をしないといけないだがな」

「ははは。まぁ、頑張りたまえ。そして明日出勤するように」

「わかってる。報告書と反省書を書かないといけないもんな」

「それもあるが……化け物は瑠璃川透の目が欲しかったのだろう? それならば我々特務課の人間も狙われる可能性がある。明日、緊急会議を開くつもりだ」

「ああ、なるほどな。はいはい、了解しました。その面倒な会議に出席させていただきますよーと」

「頼んだよ」


 紅李の仕事を増やした上司は電話を切った。

 きっと電話の向こう側でいまも仕事の真っ最中なのだろう。軽薄な男だが、仕事だけはしっかりやる男なのだ。そうでなくては特務課の課長など務まるはずがない。


「はぁ」


 紅李は雲の少ない綺麗な夜空の下でため息をこぼす。


 化け物の正体はいまだ解明されていない。

 わかっているのは一部の不思議な目を持った人間にしか見えず、化け物の死臭はひどく臭い、血は黒ずんでいること。

 普段は一部の人間にしか見えないくせに、死ぬとその姿をこの世に現し、そして急速に腐っていく。

 個体によって姿はバラバラで、知性は低く、会話は成立しない。しかし個体によっては人間に擬態したりする能力を持ち、今回の事件では新たにという知性を見せた。そしてその姿もいままで紅李たち特務課が見てきた化け物とは違い、四肢が存在せず、代わりに触手のようなものを操っていた。


 本来の化け物なら人を食うだけで、誰を食うとかどこで食うなどを選ぶほどの知性やこだわりは感じなかった。なのに、今回は姿もやり口も違ったのだ。

 人間が日々成長していくように、化け物も進化していっている可能性がある。


「仮にそうだとしたら緊急会議を開くもの納得だな」


 紅李は何度目かのため息をついて煙草に手を伸ばした。

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お隣の奇怪 西條セン @saijou

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