第4話 誘引(3) 完
振り返ると目に入るのは幼い子。
小さい人形を両手で持った。滑り台の降り口に腰かけている子。
人形なんて持っていたかしら。公園にあんな人形なかったわ。
人形に夢中でこちらには見向きもしない。お姉さんは君のために少しは頑張ってるんだけどね。
雲が散り。寂れた公園いっぱいに日が差し込んだ。
「この庭で止めるわ」
私は目をつぶり、両手を広げた。
緩やかで暖かい風が吹く。
「いいのか。ここで終わって。本当に……」そうカラス様の声が薄れて聞こえる。弱ると耳が遠くなるのね。
いいわよ。
目を開くと足元にあった花が朽ちていた。
「さあ、花よ咲け」
土を巻き上げながら進む霊犬の踏む地に、花を生やす。でも、捉えられない。早い足を掴むことは叶わない。あと、何本が私の限界なのかしら。
間に合わない。私へ近づく。そして、霊犬の赤い目が横に来る。私には目もくれず。
花で止められなのなら、もう、こうするしかないわよね。
進路に手を出し、霊犬の首元に当たった瞬間、胴体に抱き着く。
左腕を首にかけてしがみついた。そして、勢いよく背中に乗ろうと、右腕も首に回そうとした。その時、容赦なく、数本の牙が右腕に食い込む。
カァー。
頭上でカラス様が鳴いている。
霊犬は頭を何度も振った。その度に、牙は腕に深く入り込んだ。
「花よ! さけぇぇええええ」
スルスルと茎が足先から霊犬の腰まで巻き付き、動きは封じた。
霊犬の荒い息遣いとがよく聞こえる。こんなにも激しい動作は必ず多くの力を使う。もうじき切れるはず。私より先に切れてくれないと。
「あなたに巻き付いている花の名前はね。ガーベラ。花言葉は前進。皮肉よ?」
霊犬は吠え。まるで濡れた体から水を弾き飛ばすように体を震わせた。
あっ。
私は振り飛ばされ、ガーベラの花びらは宙を舞う。足枷はもうない。
目で追う。幼い少年は向かてくる霊犬の方に、向かう。
どうして……。
少年は手に持っている人形と向かい合い頷いた。そして、その人形を霊犬へと投げた。
こどもが放り投げたとはとても思えないような速さと、軌道の正確さだった。人形が制御しているかのように霊犬の顔に当たる。
霊犬は回り始めた。グゥー。と何度も唸る。
口元からは人形の半身が飛び出す。だけれど、私の腕に嚙みついたように噛んでいる様子はない。
次第に、回る速度は緩やかになる。やがて、お腹を付けて座り込んだ。顎にも土をつけ動かない。
その姿は、向こうが透けていた。
「最後は人形のおかげ、なによ……」
私はそうつぶやくのがやっとだった。
力が抜けた体を、よろけながらも立ち上がらせた。
「大丈夫なの? お姉ちゃん」そう少年が側へやってくる。
消えてゆく、この犬のように霧のように私も……。
「大丈夫よ。そうだ、手を出してごらん」
少年は小さいてのひらを広げる。
そこに、最後の花を渡した。たった二本ばかり。
「これは、ガーベラ。あなたのママきっと喜ぶわ。女の人は花が好きだから」
少年はその花をじっと見つめて気に入ってくれたようだった。
「お姉ちゃん、これ」そういって少年は私に一本のガーベラを差し出す。
「ありがとう。守ってくれて。女の人は喜ぶんでしょ?」
少年の手からそっと両手でその花を取る。少年の顔は少し赤くなっていた。
血の通わない私もこんなに嬉しいことがあるのね。
「あ、お姉ちゃんやっぱり痛いの? 涙がでてるよ」
「違うわ、さあ、坊や。お帰り。ママにも渡してあげて」
「お姉ちゃん、本当に大丈夫?」
ええ。と答えた。
「またね。お姉ちゃん。人形さんもありがとう」と少年いって帰っていった。
人形? 自分が投げたのに?
バサバサとカラス様が私の前に降り立つ。
「あの幼子から花を貰って力を取り戻したのか。人から霊に対して気持ちの籠った品は、大きな力を与えてくれる。当分、次の場所を探すのには困らない。新しい場所を探そう」
体の先までの感覚がしっかりと分かる。
「そうだ、そうしたほうがいい」カラス様でも無い声が聞こえて辺りを見回す。人形と未だに地面に伏す酷く弱った霊犬。どこにも声の主はいない。
「おいおい。ここだよ。人形に視線を合わせてくれ。傷つくぞ」
はっとした次の瞬間。カァー。
カラス様も驚いたようだ。
「霊犬に向かって投げつけるように指示をしなかったら、今頃大変なことになっていただろう。この功績は讃えてもらいたいが、そんなに恩着せがまし奴ではない。”Qちゃん”と名前だけは覚えておいてくれ」
「この霊体は……」
カラス様はQちゃんに訝しんでいるようだった。
あっ。という声が公園の入り口から聞こえた。人の気配でカラス様は飛び去る。
「Qちゃんこんなところにいたの? 僕は土地勘がないからあんまり好き勝手に移動したら困るよ」
高校生くらいの男の子がそういってQちゃんを両手に包み込むように収めると、私に会釈をし、帰っていった。
「大活躍をしたんだ。話をきかせてやろう」とQちゃんが男の子に自信たっぷりいった。
声が大きいって、と男の子にたしなめられている。
見えるのか。あの少年。
公園には消えゆく霊犬と私だけになった。
霊犬は足を引きずりながら公園の出入り口に向かう。今の力ではひと噛みもできないはず。私は後ろ姿を見送ることにした。
ちょうど、出入り口で若いスーツ姿の女性と霊犬が出くわす。
若い女性が腰を屈めた。そして、半透明の霊犬の頭を優しく撫でる。応えるように霊犬も撫でる手に顔を擦りつけた。
そして、霊犬は霧のように何も残さず消えた。
「死んでるのに……楽しそう。私が死んでるのに」そういって彼女は憐れむ表情で霊犬のいた場所を見つめ、歩いて行った。
冷たい。そして、あまりにも不気味な気配。霊犬の気配を忘れるほど。
目の前にいたものは、人ではない。でも、私とも違う。
彼女は、紛れもなく悪霊
あの日を後悔するだけで終わらせない僕ら。 猫又大統領 @arigatou
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