同世界線上のアリア(5)

 卓渡たくとの母親は、卓渡を産む時に亡くなった。


 卓渡と共に生まれてきた黒い卵も、初めは全く動かなかった。

 が、父親が母親の葬儀で音楽を流すと、まるでその音に反応するかのように、突然生き生きと動き出したという。


 関川せきかわが言った通り、黒い卵に母親の魂が乗り移ったのかどうかはわからない。

 おそらく、この先も事実として確認することはできないだろう。


 卓渡は、それでもいいと思う。

 正体が何であれ、どんな形であれ、黒玉ちゃんがかけがえのない相棒バディであるという真実は変わらない。


 これからもずっと、共に歩いていこう。

 道をたがえた時も、道を戻る時も、再び歩く時も。

 黒い指揮者と黒いおたまじゃくしは、いつも一緒だ。


 母が好きだったというこの曲は、卓渡と黒玉ちゃんの二人にとって、まさに「命の曲」。

 この曲を、特等席に座って聴いてくれる黒玉ちゃんに。

 最後列でこっそり聴いている父親に。

 共に奏してくれる仲間たちに。

 同じ時間を共有してくれる、すべての者たちのために。



 * * *



♬ヨハン・ゼバスティアン・バッハ作曲

 『管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068』より

  第二曲『エール (Air)』

 (通称『G線上のアリア』)



 バッハ作曲の管弦楽曲『エール (Air)』を、百年以上後に、あるヴァイオリニストがピアノ伴奏付きのヴァイオリン演奏曲として編曲した。

 その際、ニ長調からハ長調へ移調したところ、ヴァイオリンの四弦のうちの最低音弦、すなわち「G線」のみで演奏が可能になったため、『G線上のアリア』と呼ばれるようになったと言われている。


 今では原題の『エール (Air)』よりも、通称である『G線上のアリア』の方がはるかに知名度が高い。

 ヴァイオリン版のみならず、原曲通りにニ長調で管弦楽として演奏する際も、『G線上のアリア』をタイトルに据えるのが通例になった。


 通称が別人による編曲で変わっても、原曲へのリスペクトや、「大バッハ」の偉大なる名声が揺らぐことはない。

 作曲から三百年近く経った今でも、人の心にみ入る音色は決して色せない。


 卓渡の指揮棒に合わせて、崇高なる響きが舞い降りる。

 ヴァイオリンとピアノ。編曲された通りの主旋律と伴奏を、ハ長調で。もちろん、関川の左手が触れる弦はG線だけだ。

 伸びやかなメロディラインを、音葉おとはの素朴な伴奏が安定の動きで支えている。


 多くの人の琴線きんせんに触れる、人間の根幹こんかんを揺さぶるような音調。

 人間の真なる欲求を満たすとも、五感に語りかけるとも言われているバッハの響きは、あまりにも深い。まるで、天上から光と共に降り注ぎ、世界のすべてを包み込もうとするように。


 一節が終わると、他の楽器も少しずつ合流を始めた。

 チェロとコントラバスが入り、なめらかな弦楽合奏として。

 歌希かのんたちによる管楽器隊が入り、可愛らしい管楽合奏として。

 フォルクローレ・バンドの演奏で、南米のバラード風に。

 スティール・バンドまでもが、心いやされる倍音ハーモニクスを静かなブラシ音の上に乗せている。


 アイリッシュ・バンドの番になると、かつて『グレンシーの娘』を聞かせてくれたメンバーが、澄んだ歌声を響かせ始めた。歌詞のない、真に人の声の美しさだけを追求したような旋律が、アイルランド風のバラードとして会場に満ちていく。

 

 パッヘルベル作曲のカノンのように。様々な楽器が様々な音をつなげ、幾通りもの鮮やかな色彩がステージ上に展開されていく。


 本来は、最初から最後まで編成を統一すべきなのかもしれない。

「普通の演奏」が至高であり、人はそれだけで何も言えなくなるほどに満足してしまうのだから。

 パッヘルベルのカノンのような、ある種のエンタメ性があるわけでもない。民族楽器も含めた多数の楽器を登場させる編曲は、ひょっとしたら野暮だったかもしれない。


 だが卓渡は、「全員で演奏する」ことにこだわった。

 コンサートでは、曲ごとに出演者が増減するのは普通のことだ。それでも、音葉の独奏以外、誰一人退場させたり、何もせずに待たせておくようなことはしたくなかった。


 最初から最後まで、全員の力で完奏する。

 指揮者としての、主催者としての、音廻おとめぐり楽団創設者としてのわがままだ。


 その結果、曲の崇高度が損なわれたとしても――

 楽団の、みんなの表情を見ればわかる。背後で、自分の背中や奏者を見つめている観客たちが、どんな様子で音を聴いているのか。卓渡まで、自然に笑顔になる。


「正統なクラシックには遠いけど、楽しんでくれているようで何よりです」


 黒玉ちゃんは礼儀正しく席に着いているはずなのに、卓渡には、空を飛び跳ねる無数の黒いおたまじゃくしの群れが見えるのだ。

 思うがままに飛んでいるように見えて、ちゃんと指揮棒の先へと向かっていく。この音楽がどこへ向かうのか、ちゃんとわかってくれている。


 これが、卓渡と音廻楽団、卵たちが生み出した音楽だ。

 

 母のもとへ。

 この音を聴くすべての者へ。

 この先の世界で出逢うはずの者たちへ。


 アリアよ、すべての出逢いに祝福を。

 すべての魂に、恵み深き救済を。



 * * *



 卓は指揮棒を下ろし、指揮台を降りた。

 振り返り、奏者たちをたたえるように両手を広げ、胸に手を当ててうやうやしくお辞儀をする。


 全身に、割れんばかりの拍手を浴びた。

 会場いっぱいが拍手に包まれ、たくさんの歓声と笑顔が、世界を丸ごと満たしていく。


 観客たちの笑顔。奏者たちの笑顔。卵たちの踊り。

 こんなにも多くの笑顔に包まれていたのだと、仕事を終えて初めて気付く。


 もう一度、深々とお辞儀をして、卓渡はすっと指揮台に上がった。

 奏者たちを見る。みんな、疲れも見せずに楽器を構えている。

 もう一度、卓渡に夢を見せてくれるのだ。


 

【アンコール曲】


♬シャルル・グノー

 /ヨハン・ゼバスティアン・バッハ作曲

 『アヴェ・マリア』


 ハープとピアノが、名高いバッハの前奏曲を奏で始める。

『前奏曲 第1番 ハ長調 BWV 846』は、これだけでも既に完成された名曲だ。


 この曲を伴奏にして、シャルル・グノーが歌を加えた。

 ラテン語の聖句を歌詞とした、声楽曲として。


 バッハとグノー。時代を超えたコラボレーション。

 まるで出逢うべくして出逢ったとしか思えない完成度に、ただ圧倒されるばかりだ。




Ave Maria, (アヴェ・マリア)


gratia plena,(恵みに満ちた方)


Dominus tecum,(主はあなたとともにおられます)




 美しいソプラノ。

 他の楽器たちも、アリアと同じように順番に音を重ねていく。


 音楽は、完成してもなお、変わることができる。より豊かな翼を広げることができる。音楽の道に、終わりはないのだ。


 卓渡は、コンサートを終えた後、アメリカへ向かう。名門音楽院で、再び指揮を学び直すために。もちろん黒玉ちゃんも一緒だ。


卵貸付業エッグ・レンタルサービス』で出逢った奏者たちに、再び歩き始める力をもらった。卵たちが、空に描く大きな夢を見せてくれた。


「あなた方に聴かせていただいた音楽。すべてが素晴らしい、『命の音楽』でした」


 素晴らしき奏者たちと同じ世界に生まれ、生きてこられたことに、心からの感謝を。


 回収した音が、新たな「命」を生み出していく。

 ここに、回収によって「命」を繋いだ男がまた一人。


「さあ行こう、黒玉ちゃん」


 空に新たな「命の総譜スコア」を描く、その日まで。

 国境を越え、空を越えて、彼と卵の音楽は続く。






『あなたの「音」、回収します』


  ― 完 ―

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