同世界線上のアリア(2)

 コンサート当日、川波かわなみ邸コンサートルーム前にて。

 川波かわなみ音葉おとはの母が、初めて姿を見せた。


「音葉の母です。ご挨拶が遅れまして、申し訳ございません」


「いえいえっ、こちらこそ! 川波さんにはいつも大っ変お世話になっておりまして……」


 恐縮してペコペコと頭を下げる卓渡たくとの足に、突然「べーとーべーん!」と叫びながら小さな女の子がぶつかってきた。

 黒玉ちゃんがふよふよと飛び回ると、今度はそっちを追いかけてはしゃぎ始めた。


理音りね、いきなり人に向かって突進しちゃダメだよ」


「わーい、音兄おとにいちゃんだー!」


 音葉が近づくと、理音と呼ばれた幼女の髪の中から白い卵が飛び出し、幼女もろとも兄にじゃれつき始めた。


「音兄ちゃん、コンサートがんばれー!」


「わかった、わかったから」


「理音、温玉あんま揺らすなよ。ちゃんと中にしまっとけよ」


 音葉の母の横にいる、もう一人の少年が声をかけてきた。


「はーい。いづ兄ちゃんもちゃんとしまってね!」


 少年の胸ポケットからちょこんと顔(?)をのぞかせていた卵が、ささっとポケットの中にもぐり込む。

 にぎやかなお子様たちの登場に、卓渡の表情が自然とほころんだ。


「音葉さんの、弟さんと妹さんですね。初めまして」


 妹の理音りねと、弟の伊弦いづる。小さな二人が揃ってぺこりとおじぎをした。


 以前、卓渡がここ川波邸を初めて訪れた時。卓渡を待っていたのは、音葉一人と機械人形オートマタ一体だけだった。


 今はこうして、別宅にいた母と弟妹が戻ってきている。多忙な父親も、リアルタイムで配信を見てくれるそうだ。


「父親といえば……」


 卓渡の父親。つまり、音廻おとめぐり楽団の団員たちとは既に顔見知りである『卵貸付業エッグ・レンタルサービス』代表は、今日ここまで聴きに来るのだろうか。


「まあ、どっちでもいいか」


 卓渡は、おめかしした黒玉ちゃんと共に、にこやかに来客たちと挨拶を交わす。


 奏者がそれぞれの家族や知人を何人か招待するだけなので、観客数は多くはならない、はずだった。用意したイスも百脚程度だ。


 が、予想に反して。


「きゃー!! ほんとに音きゅんいるー!!」


 黄色い歓声が、川波邸に響き渡った。



 * * *



「ごめんなさーい! すっかりバレちゃってー。オケ部員ほとんど来ちゃったんだー。みんな立ち見でいいので!」


 眉をハの字に曲げて苦笑しながらあやま歌希かのんの後ろに、全部で六十人はいると思われる女子高生軍団がわらわらと続く。今にも「音きゅん」に突撃しかねない一部の女子たちを、琴名ことなが懸命に体を張って防いでいる。


「そこー! 出演者に近づくのはやめてくださーい! ってわたしも出演者だけど!」


「琴名ー! お願い! 音きゅんのサインー!」


「そういうのはせめて終演後にしてくださーい!」


 こういう時は、音葉をさっさと別室に下がらせてJKブーイングを浴びるべきか、琴名に加勢してJKタックルを浴びるべきか。


 究極の二択に卓渡が悩んでいると、パァン! と威勢のいい倍音ハーモニクスが会場の中から響いてきた。

 スティールパンだ。いつの間にか、音道おとみちが卵を転がしてチューニングに入っている。


 音道のマレットはチューニングにとどまらず、そのまま曲の演奏に突入してしまった。

 スティールバンドの仲間、ドラムとコントラバスも加わり、あっという間に軽快なラテンのリズムが邸宅中の人々の鼓膜を満たしてしまう。


 それだけじゃない。

 ルシオたちのフォルクローレバンドまで、同じ曲に加わってきた。

 スティールパンとフォルクローレ。カリブとアンデス。白と赤の共演。

 なじみ深いメロディに乗せて、スペイン語の歌が流れ始める。



♬ホセ・マンソ・ペローニ作曲

 『コーヒーをきながら』

 (通称『コーヒー・ルンバ』)



 女子高生たちの動きが止まった。

 日本でも何度もカヴァーされているおなじみの曲を、南米の様々な楽器が巧みに歌い上げる。ギターとチャランゴが情熱的な響きでかき鳴らされ、スティールパンとケーナが互いを引き立てながらバランスよくメロディを絡め合い、コントラバスとドラムが踊り出したくなるようなルンバのリズムでまとめ上げる。ルシオたちの歌声も雰囲気満点だ。


「あれ、もう本番始まってる?」


 と、聴いた誰もが錯覚するほどの完成度だが、たった今、気まぐれの指慣らしでたまたま始まった演奏だ。ジャムセッション(複数ミュージシャンによる即興演奏)に近い。


 音道の合図でピタッと曲が止まると、割れんばかりの拍手が起こった。

 来場者たちはほぼ立ち見のまま。クラシック・コンサート会場にストリート・ライブの空気を持ち込んでしまうあたり、いかにも「音廻楽団」らしい。


 拍手が鳴り止むより先に、新たな振動が伝わってきた。

 機械よりも緻密ちみつに、繊細に。人間の音感と知恵と技術の結集とも呼べる、弓と弦の摩擦が生み出す音調。

 ヴァイオリンと、チェロだ。



♬ピョートル・チャイコフスキー作曲

 『弦楽四重奏曲第1番ニ長調 作品11』より

  第二楽章『アンダンテ・カンタービレ』



 関川せきかわのヴァイオリンと、フェオドラのチェロ。

 卓渡の父の手で「命」を吹き込まれた、二つの楽器の共演だ。


 四重奏曲だが、彼らもまた事前の打ち合わせも音合わせもなく、これが完成形だと思わせるほどの絶妙な二重奏の絡み合いを見せていた。

 時に競い合い、時に引き立て合いながら、それぞれが出し得る最高域の「命の音」を響かせている。

 Andanteアンダンテ(歩くような速さで)。cantabileカンタービレ(歌うように)。


 タイミングとしては、観客が来場して席に着くまでの、開演前のBGMと言ってもいいのだが。誰もが、席に着くどころか呼吸すら忘れたかのように、音の世界に意識を吸い込まれてしまっている。


 いくらなんでも、本番前から「濃すぎ」じゃないだろうか。

 彼らの音を聴き慣れたはずの卓渡でさえ、聴くという行為に、早くも魂の疲労を感じてしまうほどの充足感を味わっていた。


 本番は、これからだ。



 * * *



 メンバーが迅速に動き、来場者全員が座れる数の椅子が並べられた。

 女子高生たちがそれぞれの席へと移動する最中、期待に満ちたおしゃべりのにぎやかな波にまぎれて、隠密おんみつを思わせる動きで最後列のすみの席にするっと素速くすべり込んだ男性がいる。


 ひょろっと背が高く、特徴的なくせ毛。スーツにサングラスにマスクという、普通のはずなのに怪しさ全開ので立ち。少し、誰かを彷彿ほうふつとさせる。


「来ちゃった……」とつぶやく卓渡の肩の上で、黒玉ちゃんがぴょこんと跳ねた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る