同世界線上のアリア(1)
* * *
①【選曲会議】
「却下! 却下! 却下じゃー!」
卓渡が持ってきた「候補曲リスト」は、コンマスの
「好きな曲書きゃいいってもんじゃねーぞー!
なんだ『ブラ1』って!(※ブラームス作曲『交響曲第1番』)
『新世界』って!(※ドヴォルザーク作曲『交響曲第9番』)
なーにが『不滅』だ!(※ニールセン作曲『交響曲第4番』)
おまけに『皇帝』だー?(※ベートーヴェン作曲『ピアノ協奏曲第5番』)
なんでヴァイオリン協奏曲じゃねえんだー! じゃなかった、オケの人数と楽器編成と練習にかけられる時間をガン無視すんじゃねえー!」
「はい〜。無理を承知で書きました〜。こんな紙切れ一枚の上でだけでも、ちょっとくらい夢見たかったんですよ〜」
髪の毛先までしゅんとうなだれる卓渡のそばで、十六分音符(♬)のワンポイントを頭に飾った黒玉ちゃんが「うちの愚息がすみません」と言わんばかりに頭を下げている。やはりオカンなのか。
関川は、「全く……」などとブツブツ言いながら、黒玉ちゃんを見てわずかに赤面している。やはりオカンなのか。
「夢に見てどうする。お前の目標っつーか課題にしとけよ。本物のまともなオケに縁ができたらさっさと振っちまえ。でも今回はダーメ!」
関川は卓渡のリストに大きく✕を書き、ブツブツ言いながらペンを走らせ続けた。
「
「
「メンバーの忙しさと、お前が編曲にかけられる時間と、お前の編曲がダメすぎてみんなでブーブー言いながら直す時間も考慮に入れてる」
「なんかすんませんッ!」
「それに音葉がネットに上げんだろ。音葉の知名度でそこそこ閲覧数は伸びるかもしんねえが、デタラメ楽団の長すぎる曲じゃブラバされんのが目に見えてんだから、こんくらいでちょうどいいんだよ」
「正論ッ!」
「それに、だな。一番時間がねえのはお前だろ。自分で自分の首を絞めるような真似はやめとけ。面倒ごとに首突っ込むのも、
関川の厳しい口調に、ほんの少しだけ温かな響きが加わったように聞こえたのは、気のせいだろうか。
関川の言う通り、このコンサートのためにかけられる時間は、あとわずか。
お別れの時が、迫ろうとしていた。
* * *
②【リーフレット制作】
「なんで、指揮者の紹介文がたった一行……」
「お前みたいな無名指揮者に紹介スペースがあるだけマシだと思え」
当日来てくれる人たちのために、配布用のリーフレットを用意したいと言い出したのは
卓渡に異存はない。リーフレットには本番の日時や場所、曲目やメンバー紹介などの情報が記載される。出来にこだわらなければコピー機などで安く仕上げることもできるし、何よりみんなにとっていい記念になる。
デザインは、
誰が見ても文句のつけようがないだろう。
ただ一人、卓渡を除いて。
「なんで、指揮者の紹介文がたったの一行!
「音葉のは、これでも泣く泣く縮めたって言ってたなあ。これが世間の知名度、優先順位というものだ。
関川はクックッと笑いながら、可愛い孫の作品を楽しそうに眺めている。
「しゃあないだろー、なんせお前には実績っちゅう実績がない。音大は中退、師事した先生からは
「おっしゃる通りですぅ!」
卓渡としても、JKコンビが一生懸命作ってくれた原稿に、これ以上クレームをつけるのは避けたいところだ。
「そうだよね、コンサートの顔と言ったらやっぱコンマスとソリストだよね。指揮者なんて観客から顔見えないもんね。俺だって、薄い後頭部は覚えてても顔をはっきり思い出せない指揮者、けっこういるもんね。だいたい指揮者って本番何してんの? 奏者は難しい楽器で音を出すけど、指揮者って手を振り回すだけ? 楽すぎない? なんて、お子様に言われたこともあるもんね……」
などと、卑屈な指揮者ネタを呟きながら去っていく卓渡。去りゆく頭の上で、おたまを持った黒玉ちゃんが「うちの愚息が(以下略)」と頭を下げている。オカンが板についてしまっている。
「あいつ、経歴の無駄遣いもいいとこだよなぁ」
卓渡と入れ違いに入室した音道が、関川に話しかけてきた。
ちなみにここは川波邸、関川用の個人練習室。
邸宅中の、部屋という部屋が個人練・パート練用に使用可になっているが、指揮者部屋を用意するにはギリギリ部屋数が足りず、部屋なし卓渡は
「音大も留学先も先生も、全部超一流じゃねえか。おまけに予選通過しただけで大騒ぎになるような難関コンクール。全部途中で棒に振るたー、一体何考えてんのかねえ」
コスパが悪すぎる卓渡の人生に、男二人でため息をつく。
学費は奨学金で
「そんでも、やっともう一度やってみようって気になったんだもんな。みんなで
リーフレットに書かれたコンサートタイトルは、『黒たま♬音めぐり』。
まさに、卓渡と黒玉ちゃんのためのコンサートなのだ。
* * *
③【リハーサル】
「えー、本日はお日柄もよく……」
「カットカットカーット!」
「てゆうかもうお前は一言も喋るな」
「指揮者挨拶とかコンサート開催の経緯とかいらねーよ! 曲紹介はリーフレットに書いてあるしさー」
「そうそう、
「男ならビシッと! トークなしで、黙って音楽で聴かせようぜ!」
という野太い声の数々により、リハーサルではたった一言しか喋らせてもらえなかった卓渡であった。「本番無言」まで決定してしまった。
本番に向けて、演奏はもちろん、それ以外の準備も着々と進められていく。
リーフレットの印刷、奏者及び観客用の椅子の配置、音響に照明、録音・録画機材のセッティング。本番後には、関川が店から飲み物を差し入れてくれるという。
卓渡の意見が通ったのは、本番の衣装案についてだ。
「何もかしこまることはありません。普段演奏なさっている時の服装で大丈夫です」
つまり、JKは制服で。スティールバンドはカリブっぽい白シャツで。フォルクローレバンドは赤いポンチョで。チェロ婆さんに至っては、ロマ(ジプシー)っぽい鮮やかな柄の巻きスカートだ。
音葉と関川は、普段からよく着ているコンサート用のスーツ。アイリッシュバンドの面々は、店のライブで着用している清楚な白ブラウスとお揃いの黒茶色のロングスカート。
言うまでもなく、卓渡はいつもの燕尾服だ。
「あっ……黒玉ちゃんの衣装どうしよう!」
黒玉ちゃんだっておめかししたい。
悩みに悩んだ末、リーフレットに描かれた黒玉ちゃんイラストを参考に、シルバーのコサージュと腰回りのレースのスカートで、エレガントなコンサート・コーデを完成させたのだった。
「ま、間に合った……!」
当日の明け方までチクチクと針仕事をしていたのは、卓渡と黒玉ちゃんしか知らないトップ・シークレットである。
いよいよ、本番だ。
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