おっさん運命共同体(1)
普段はうるさいだけの波打つベートーヴェンヘアが、ゆるふわ愛されヘアのようにふんわりふわふわと風に揺れるくらいには浮かれていた。
「やった、やったよ黒玉ちゃん! 今度こそレア卵ちゃんに会えるんだぁー! 新たな命を与えられた、つやっつやな卵ちゃんにお近づきになれる! もう黒くなきゃ嫌だなんて贅沢は言わない、可愛い卵ちゃんであればそれでいい! 赤玉ちゃんでも生玉ちゃんでもどーんと来い! 回収人特権で、思いっきりすべすべすりすり、可愛がっちゃうぞぉ〜!」
本日も晴天なり。汗ばむほどの陽気の中、真っ黒な燕尾服というだけでも変人じみているのに、鼻の下を伸ばして自分のほっぺをすりすりしている男の図は誰の目から見てもザ・御変態様であった。
彼の
五分後。
音廻卓渡は、沈んでいた。
ゆるふわ愛されヘアだった代物が、しなびたミミズのように頭皮にはりつくくらいには沈んでいた。
「あのクs……『大腸から排出された固体状排泄物』上司ぃ~!!」
黒玉ちゃんを通して送られてきた、上司からの通信は、以下のような内容だった。
『あ、今度から相手の反応のデータ取ることになったから。「卵」も「
つまり、
今まで、「卵の回収はしませんよ~」と告げる前から睨まれてばかりだった、卓渡の哀愁の回収人生。ついに、その伝家の宝刀すら抜けなくなってしまったのだ。
肝心の契約時の書面は、その辺(返却条件)が実に
「貸付業なのにこんなんでいいの?」と思うが、おそらく契約担当者が口八丁手八丁を駆使して巧妙かついい加減な書面にサインさせているのだろう。もうまるっきり詐欺だ。
「黒玉ちゃん、どう思う~? 僕としては今までいいことしてるつもりだったのに、今回からは『大事な卵の
むしろノリノリじゃね? とツッコミつつ、かの温泉地のお土産卵のように生暖かく
そんなこんなで、二人(一人と一個)は、本日の回収現場へと到着した。
本日の現場は、広々として活気のある市営公園だ。
事前に申請すれば、誰でも自由に
ブレイクダンスにジャグリング、マジックやバルーン芸など。バリエーション豊かに、見事な腕前のパフォーマンスが人だかりの熱気の中で繰り広げられている。各パフォーマンスを見て回るだけで、軽く一日を潰せそうだ。
もちろん、バンド演奏も例外ではない。
観客たちの視覚だけでなく聴覚もすべていただくと言わんばかりに、各所で様々な楽器・様々なジャンルの音楽が熱演されている。音が混ざらないよう、各音楽団体は互いに一定の距離を置いて配置されている。
卓渡の今回の回収対象は、その中の一バンド。
一目で「ムサいおっさんしかいない」とわかる、おっさんズ・バンドであった。
* * *
男性三人によるユニットは、楽器ケースに貼られた張り紙によると、『スティール・おっさん・シングラー』というバンド名を冠しているらしい。
『スティール・シングラー』だったらまだギリギリカッコいいものを、あえてミドルネームが「おっさん」だ。ちなみにシングラーは「シングル」の変化形らしい。
卓渡が近づくと、バンド名の「スティール」の由来が、元気よく鼓膜に飛び込んできた。
スティールパン。またはスティールドラム。
バンドの中央に立つおっさんが奏でる、心浮き立つ可愛らしい音色が、南国の鮮やかな海を思わせる。
さらに、演奏している曲がディズニー映画『リトル・マーメイド』の中の一曲、『Under the Sea』ときてる。
海の泡がはじけるような爽快感。海の仲間たちが歌って踊れるリズム感。
有名な曲だからか、お子様たちを含めて通行人たちもノリノリで聴き入っている。
公園内の雑踏が、涼し気な海の青へと塗り替えられていく。
バンドの編成は、まず中央のスティールパンおっさん。横並びに二つのスティールパンを配置し(ダブルテナーパンと言うらしい)、器用に両手のマレットを転がして音を生み出していく。
ドラム缶のようにも、金属製の鍋のようにも、普通のスネアドラムのようにも見えるスティールパンは、繰り抜いた内側にいくつもの凸凹があり、場所によって違う高さの音を奏でる。音の配置に規則性はあるものの、ピアノや木琴のように横一列にドレミ音階が並んでいるわけではないので、初心者には演奏の難易度が高そうに見える。
カリブ海最南端、トリニダード・トバゴ共和国発祥の楽器だ。日本では奏者も楽器もさほど多くない。
曲が変わった。
最も有名なボサノヴァ・ナンバー、『イパネマの娘』だ。
カフェで流れるような、しっとりとおしゃれな空気が漂い始める。
二人目のメンバーは、どこのバンドでも普通に見かけるドラムセットの向こう側に座る、ドラマーおっさん。
『イパネマの娘』ではスティックをブラシに持ち替え、両手足を柔らかく駆使しながら、静かに洗練されたリズムを刻んでいる。
三人目のメンバーは、コントラバスおっさん。
スティール・バンドではエレキベースを使うことも多いが、ベースラインを支えるコントラバスのいぶし銀の音色が、このバンドを、よりジャズに近い、確かな技巧と大人の渋みを聞かせるバンドに仕立て上げているようだ。さすが、バンド名でおっさんを名乗るだけはある。
「『イパネマの娘』ですか、いいですね~」
卓渡がつぶやくまでもなく、
「来たな。この曲の次に相手してやるから、ちょっと待ってろ」
とでも言わんばかりの不敵な笑みが、スティールパンおっさんの口元に浮かぶ。
が、それも一瞬のことで、すぐに穏やかな表情と無駄のない優雅な動きが、『イパネマの娘』の格調高いメロディラインを卓渡の耳に届けてきた。
カリブの砂浜を意識してか、
バンドリーダー、スティールパンおっさんの名は
「
このおっさんとの間に、卵を巡って一筋縄ではいかない駆け引きと男の勝負が展開されようとは、さすがの卓渡にも予想しえないことだった。
今、大勢の観客の前で、おっさん相手の「命の回収」を賭けた熱きバトルが始まる!
……かもしれない。
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