第2話 この人はいつも

「貴様を呼び寄せた理由は、エレナくんから既に聞いているな」

「エレナくん?」


 肩越しに振り返ったノイッシュが、いったい誰のことだ、とでも言うように嘲笑を向けてくる。エレナは顔を伏せた。


「国家の大事である。貴様には償い切れない罪があるが、今回の働きによっては、恩赦を与えると陛下は申しておられる」

「償い切れない罪なら、恩赦を与えるのも無理だろ? ああ、それとも、死で現実から救済する部類の恩赦をまた与えてくださるとでも?」

「……事態は逼迫しているのだ」

「逼迫しているのなら、さっさとスタジムを引き渡せばいい。フィンも多少は満足してくれて、交渉の余地も生まれるかもしれんぞ?」


 どこまで行っても平行線だろう。エレナは二人の声を聞きながら思う。元々、ノイッシュの転機を演出したのはフラナガンだ。この二人が相容れることは世界が滅ぶとしてもあり得ない。


「……はっ」


 フラナガンが何かに応じる短い息を吐く。それが何に応じたのか、すぐにはわからず、顔を上げたエレナは、フラナガンがガルバルディ国王の傍へ近づく様子を見て、王がフラナガンにだけ聞こえる声で話しかけたことがわかった。


「陛下よりの御言葉である。『民を守るため、為すべきを為す。お前もそうだと信じて呼び寄せた』」

「為すべきを為す、ねえ……」


 嘲笑混じりだが、ノイッシュは明らかに王の言葉を聞く姿勢を示した。これまで『変わった』と思うところばかりだった彼の、変わらない性格……不特定多数の誰かを守るために戦うという彼の変わらない至上の正義が垣間見得た。


「で、どうするんだ? フィンの軍団の戦力は? 次の目標は? おれに誰の命を取らすんだ?」

「……フィンの組織の戦力は不明だ」

「はあ? バカなのかお前は。相手を知らずにどうやって相手の手の内を知る?」

「調べている! だが、まだわからんことが多いと言っているのだ!」

「ならばさっさと仕事をしろ。おれの仕事はその後だ。おれはプロだ。仕損じはしない。だがそれができるのは、おれ以外のプロがプロの仕事をした時だけだ」

「……恐れながら、次のフィンの目的は西の大聖堂にある『宝珠』であると考えます」


 この二人をこのままやり合わせても意味がない。エレナは渋々横合いから口を挟んだ。


「『宝珠』はあと二つ。ひとつはこの王宮に安置されております。王宮の護りは堅固なもの。相手の勢力の規模はわかりませんが、ここを襲撃するということは、それ相応の危険を孕みます」

「そうだろう。だから訊いているんだ」


 フラナガンが、わからない、という顔をする。フラナガンは確かに優秀な人間だが、ノイッシュの頭の回転の速さには敵わない。そしてノイッシュは、自身の中の速い理解を人にいちいち説明しない男だ。


「いきなりこの王宮を狙ったりはしない。ここをやるならリスクを払ってでも『宝珠』を手に入れる時、つまり、フィンが勝つ時だ。だから訊いているんだ。東を襲った時の手勢、やり口、本人はいたのか、いないのか」


 もちろん、エレナにはノイッシュが何を知りたがっているのかわかっていた。そういう性格の男だ。


「東の大聖堂の時には、彼が自ら一団を率いていた。……いや、率いていたというよりも……」

「フィンは自らが組織した一団と思われる武装集団を囮にして目的を達した。そうだな?」


 肩越しに視線を送りつつ言ったノイッシュの横顔は笑っていた。エレナは驚きながらもそれを露にはしないように努めて言葉を続ける。


「……おそらく、その表現が一番正しいだろう。武装集団と大聖堂の衛兵は真正面から激突した。その騒動の最中、フィンは別ルートから大聖堂に侵入。『宝珠』を奪ってみせた」

「その武装集団だが」


 ノイッシュが言葉を切った。言いたいことを探しているような言葉の切り方ではない。顔をフラナガンに戻しつつ、ひとつ頷く。これからいうことをよく聞け、という意味だろう。


「統制の取れた集団ではなく、暴徒化した集団だったのではないか?」

「何をバカな」


 フラナガンが鼻息を荒く吐く。


「大聖堂は王国の最重要施設だぞ? 王宮に次いで、国民の誰もが襲おうなどとは思わん場所だ。例えそれが、暴徒化していたとしてもな」

「なぜそう思う?」

「何?」

「なぜ、暴徒化した国民であっても大聖堂を襲わないと思うのかと訊いた」


 フラナガンが息を呑んだが、応じる台詞は出てこなかった。

 そうなのだ。エレナはノイッシュの背中を見た。その通りなのだ。いま、フラナガンが口にした理解。その根拠なき理解こそが、いまの王国、王宮に蔓延している毒なのだ。


「どんなに素晴らしい場所でも、国の重要な施設でも、食うに困れば襲う他ない。生きていくには奪う他ない。そういう人間がこの国には存在しないと言うのだな、フラナガン」

「そんな国民は……」

「人間ではない。だから構うこともない。存在ごと消しても構わない。おれたち『冥風』のように」


 フラナガンは舌打ちをし、横を向いてしまった。


「フィンが得意とした陽動だ。『冥風』は様々な任務を請け負ったが、そういうやり方で、たったひとりでも一国を相手にした」

「フィン・マドラスは、『冥風』所属であった頃、確かに情報の煽動や意図的に流した誤情報を信じ込ませる方法で暴動を起こし、その混乱の中で自身の目的を達したことがあります。今回もその手法を用いた可能性はあります」

「なら簡単だ」


 ノイッシュが立ち上がる。エレナも連れて立ち上がった。退去を促されていないが、王もフラナガンも、何も言わない。


「西の大聖堂へ行く。参道である街で不穏な噂が浸透し始めていないかを確認すれば、フィンの動きを逆探知できるかもな」

「では、受けるのだな、この仕事」


 振り返ったノイッシュに、フラナガンが言う。向き合うエレナには僅かに俯いたノイッシュがため息を吐き出し、笑みを作ったのがよく見えた。


「お前のためでも、国王陛下のためでもないが、やってやろう。報酬は用意しておけ」

「罪人が恩赦以外に報酬まで求めるというのか?」

「当たり前だ。仕事には見合った対価が払われるものだろう? 恩赦だけでは安すぎる」

「……何が望みだ」


 ノイッシュが少しだけ顔を上げ、上目遣いにエレナを見た。その瞳が何年も前、大罪人として追われる身になる前、エレナの隣に並び立っていた頃のノイッシュと同じ光を宿していて、エレナは息を呑んだ。


「エレナ・メイディメスとその家族の自由」


 言い残して歩き始めたノイッシュの背中をエレナは追う。フラナガンの返答を聞かないのは、フラナガンに考える余地を与える気がないからだ。

 この人はいつもこうだ。いつもこうして、この人の背中を追いかけてきた。

 エレナは前を行く背中を見つめている時だけは、あの日よりも過去に戻ることができると気がついた。

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冥風ーBeginning of THE ENDー せてぃ @sethy

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