第一章

第1話 国王謁見

 ルクセンダル王国は、神より授かりし三つの『宝珠』の加護により、『魔法』と呼ばれる超常の力が存在する王国である。

 できることの大小はあれ、国民のほとんどがその力を行使できる。学問として学び、『魔道士』と呼ばれるようにまでなれば、活用の幅は更に広がる。

 この『宝珠』を狙い、王国は複数の隣国や、王国南方地域に広がる荒野に土着する蛮族たちから幾度となく侵略を受けてきた歴史がある。その為、王国では防衛の手段として武力の整備……特に騎士団の整備が進んだ。

 王国には十六の騎士団が存在する。騎士団にはそれぞれ、王国国教である天風神教にちなみ『風』の一文字が与えられ、担当する各地方を統治・守護する役目を担っていた。

 ただ一つ、世に知られていない禁断の『十七番目の騎士団』を除いて。


「ご無沙汰しております、陛下。直接拝顔させていただくのは、あなたに殺されかけた日以来ですね」

「ノイッシュ!」


 足元を彩る深紅の絨毯の毛足は長く、柔らかく、それでいてしなやかでもあり、片膝を付いた姿勢でなくとも、それが最上の品であることがわかる。

 頭を垂れたまま、隣にいる男の不遜極まりない態度と発言を反射的に注意したエレナは、男が片膝を付いて跪く、騎士然とした主君への忠誠心を示す姿勢ではなく、胡座をかいて、しかもその上に片肘を付いて頬杖にする、盗賊もかくやといわんばかりの姿勢でいたことに血の気が引いた。

 だが、次の瞬間に、エレナはふと我に返る。そうだ。この不遜こそが、自分とノイッシュには正しいのだ。正しいはずなのだ。それを忘れ、ただただ従うことしかできない、考えも意識も捨ててただ従ってしまうことのできる自分に、いつものことながら辟易とした。

 ノイッシュ・フェルナスは、元々は歴とした王国の騎士、フェルナス家も貴族の一員だった。それもノイッシュの祖父の代では、現王のやはり祖父に当たる先々代王の信頼厚く、要職にあった一族だった。当時の王との関係性が親密であったゆえに、フェルナス家は王からある特別な役割を与えられ、それを許諾し役割を果たすことで、名門貴族と変わらない待遇を得てきていた。

 王国の暗部として秘匿された、禁断の十七番目の騎士団『冥風騎士団ナイト・ウィンド』それが、フェルナス家に与えられた特別な役割だった。

 諜報活動を主任務とし、現地潜入、暗殺から内戦の助長まで、幅広く『王国を守るための闇』を背負った騎士団は、先々代王の『先制的な防衛』を目的として誕生した。

『宝珠』を守るために争いの絶えない王国。であるのならば、争いの火種を先んじて摘むことはできるのではないか。先々代はそう考えたのである。


「事実を伝えただけだ。首は飛ばんだろう?」


 面白くもなさそうにエレナを見たノイッシュは言った。無精髭に覆われた痩せぎすの顔からは、暗部の騎士とはいえ、王国貴族の一員として、貴族然、騎士然として振る舞っていた頃の所作は微塵も見られない。しかし、エレナははっきりと覚えている。誰よりも優雅であり、美しくもあったノイッシュの一挙手一投足を。

 彼はこれほどに変わった。だが、変わったことは必然なのだ。むしろ、いまなお王国に従う自分の生き方にこそ、疑問符が付く。母や弟が人質にされている事実があるとしても、それは関係ないのではないか……


「……だとしても」

「だとしても、なんだ? おれに頼み事があるなら、自分で会いに来たらどうだ。一度は殺せるほど近くに来た仲じゃないか」


 そう言ってノイッシュは笑う。その笑顔を見続けることが辛くなったエレナは、ノイッシュから視線を外して前を見た。

 ルクセンダル王宮の謁見の間は広く、赤い絨毯が長く、視線の先へと伸びている。人が二十人も並びそうな先で、赤い絨毯は五段の階段を上がり、その先に王の巨大な玉座が置かれていた。

 ルクセンダル国王、ガルバルディ・ルクセンダル十二世はいま、その玉座に座り、肘掛けに右腕を預けて頬杖を突いたまま、何も言わずにこちらに視線を向けている。遠くてはっきりしないが、その瞳には何ら感情らしきものが浮かんでいないように見えた。

 その王に、礼装した男が近づいた。玉座の直ぐ傍に跪くと、数回頷くような仕草を見せた。


「王のお言葉である!」


 仰々しい声と共に立ち上がった男は、礼装の乱れを整えつつ、更に声を張り上げた。


「二十歩前に近づくことを許可する! 双方、進め!」

「……凄いことを許可してくれたじゃないか。ありがたくって、涙が出るね」


 言いながらも、ノイッシュは胡座の姿勢からすぐに立ち上がり、赤い絨毯の上を歩いて行く。エレナも慌ててその背中に続いた。


「そこで止まれ!」


 礼装の男は、歩み寄るエレナたちを大きな声で制した。白髪を撫で付けた六十絡みの男で、声を張り上げる度に年齢相応に乾いた皮膚に深い皺が刻まれる。エレナはこの男が何者かを知っていた。いや、この国に住むものならば、子どもでも知っているはずだ。

 エレナは男に言われてすぐに足を止めた。しかし、ノイッシュはそこから更に一歩前に踏み出した。


「止まれと言った!」

「目が悪いのか? それとも数が数えられんのか?」


 そう言ったノイッシュの声には、明らかに嘲笑の気配があった。更にもう一歩進む。


冥風ナイト・ウィンド!」

「……これが二十歩目だ、フラナガン。耄碌したなら大臣なぞ、さっさと辞めることだな」


 現王の右腕として国政を取り仕切るイネス・フラナガンは、紅潮した顔で何かを言い掛けたが、その言葉をぐっと飲み込んだ様子だった。冥風と会話し、乗せられることの危険さを感じ取る分別までは失わない辺りは、『歴史上、最も優秀な主席大臣』の異名に恥じるところはない。

 肩を竦める仕草の後、ノイッシュは先ほどまでと同じように、絨毯の上に胡座をかいて座る。エレナは、もう何一つ言葉を掛けることなく、その一歩後ろに片膝を突いた。

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