84、雑節――孤島の天守



「それはつまり、人質になれってことか」


 抱えた一升枡の豆をむさぼり食いながら男は片眉を上げる。かぶき者らしく顔には個性的な化粧を施し、着物も籠目かごめ瓢箪ひょうたん模様と派手だ。


「言ってしまえばそういうことになる」


 此度の一計を包み隠さず話し終えた玄鳥至つばめきたるは、最初に言葉を発した男――節分せつぶんに偽ることなく首肯した。


 ここは雑節ざっせつの集う小城。玄鳥至は今、一人で雑節九人と向き合っている。

 雑節は他と違って独自の宮を持たず、私室は各々の任期が属する四季の宮のどこかに在って、主である土用どようが招集した時にだけこの孤島への上陸が許される。

 海に囲まれた崖の上にぽつんと建てられた三重三階の天守閣。他に陸地は見えず隔絶された空間の中心。逃げ場はなく外部からの接触も許されない。そんな場所に玄鳥至は一人でやってきた。


「やらない!」


 叫んだのは気短な二百二十日にひゃくはつかだ。「答えは出た! はい、解散!」


「まあまあ、ハッカ。もうちょっと我慢しようよ。わたしはゆっくり考えたいよ」


 気長な二百十日にひゃくとおかがとろとろした口調でなだめると、ハッカは目つきをヒリヒリさせて体を揺らした。


「黙れよトーカ! ぼくは早く部屋に戻ってアニメの続きが観たいんだよっ!」


 突然だがここで雑節の話をしよう。

 雑節は日本独自の暦であるため、玄鳥至ら七十二候や二十四節気とはその性質が少々異なる。それは何か――仕事内容だ。


 雑節は自分たちで季節を動かすのではなく、その時季に人々に動いてもらう。彼らは少し前から人々の様子を観察し、ちょっぴりその意識に干渉する。「今はこういう時季だ、気をつけよ」と信号を送るのだ。だが年々その信号が送りづらくなっていると言う。人々の意識から弾き出されて、素直に受け入れてもらえなくなっている。だからこそ、暦で最も〈消える〉ことに危機感を抱いているのは雑節だろう。


 では今口を開いた順に一人一人を紹介しよう。


 まずは節分【せつぶん】。「鬼は外、福は内」という口上と豆まきが有名な節分は、本来は春夏秋冬、四季の節目の邪気払いを目的としていたが、現在では立春りっしゅんの前日のみとなっているため、雀が世話になるのは最終日になる。初対面は年始の宴で済ませているがその一度きりで、雀に対する情のようなものは期待できない――が、先に記したように、節分はこれまで三度〈仕事を失う〉ことを体験している。それにこの男は見た目どおりのかぶき者だ、珍しいことには興味を示す。きっと今も「まあ乗ってもいいか」と考えている。


 次に二百二十日【にひゃくはつか】と二百十日【にひゃくとおか】だが、この二人は双子の姉妹である。トーカが姉で、ハッカが妹。性格は真反対ののんびりとせっかちだ。それは髪型や服装にもよく現れていて、トーカはロングヘアに編み込み、紐の多い衣装。ハッカはショートカットに薄着と一目でわかる。

 立春から数えて二百十日目をそのまま二百十日にひゃくとおかと呼び、九月一日頃、実りの季節に襲い来る台風に警戒を促すために設けられた。次に来る二百二十日にひゃくはつかも同様の理由であるが、現代でこのふたつを注視する者は農業関係者くらいではなかろうか。いずれ人々に忘れ去られるならこの二人が最初だろうと、玄鳥至は密かに確信している。


「そんなに早く帰りたいなら、いっそ先に済ませてしまえばいいじゃない。そうやって周りまで急かすのやめなよ」


 うるさそうにしながらなで肩を落とすのは麗人彼岸だ。彼岸【ひがん】といえばやはり春と秋にあるお彼岸だろう。雀が秋の宮を訪れた時はちょうど秋のお彼岸の時期だったが、秋分しゅうぶんのお陰で雀があの哀愁漂うカウントの犠牲にならなくて何よりだった。


「静かにしたまえ。我輩は土用さまのご意見をお伺いしたい」


 と、整えられたちょび髭の端を引っ張りながらかすりの書生服の男が言った。読書が好きで目に入った物は手当たり次第にいろいろ読むが、尊敬する作家は宮沢賢治だそうだ。その理由は〈社日〉の内容を考えれば納得できる。

 社日【しゃにち】は春分と秋分に最も近いつちのえの日のことを言う。〈つち〉から〈土〉に通じ、この日は土地神や農耕の神を祭る地域が多い。春は種まきの季節のため豊作を祈り、秋は収穫を迎えて感謝を捧げる。

 社日は自室を秋の宮に置いているが、雀とは春に一度会っている。同じ読書家の雨水うすいと社日に挟まれ、流れで雀も読書をしたが、今まででいちばん集中できたと笑っていた。


「いかがなさいますか、土用さま」


 耳に心地よいアルトボイスで社日の後を引き取ったのは八十八夜【はちじゅうはちや】。『夏も近づく八十八夜』――歌のとおり、茶摘みを始める頃である。立春から数えて八十八日目を言い、この頃から霜が降りなくなるため、農耕の目安とされた。ちょうど玄鳥至がワーカホリックになっていた頃なので、雀とは春の宮でおざなりに挨拶の場を設けてそれきりだったが、茶摘み娘の格好をした同い年くらいの少年に雀が驚き、後に他の暦を通じて親しくなったと聞いた。ちなみに中性的な美少年な上に娘の格好なので間違われやすいが、八十八夜は男性体だ。茶摘みが始まると地上に降りて茶摘みのアルバイトに参加し、その美顔と愛嬌と力仕事を率先して引き受ける姿勢で可愛がられているらしい。


 雑節全員の視線が上座の主に集まった。土用は皆が立ったりい草、、座布団に尻を落ち着けている中で一人座敷椅子にあぐらをかいている。土用は下膨れで赤い頬をした百姓小僧のような外見だが、老齢の名君のような風格で玄鳥至を熟視した。


「つばき、雀を連れてこなかったのはなぜだ」

「迂闊に冬の宮から出せないからです。他の四季に感知されればたちまち捕えられるでしょう」

「違うだろう」


 土用はよく歩くたくましい足を前に伸ばした。


「万が一、おいらが夏と繋がっている可能性を疑ったのだろう」

「……はい」


 土用は両手でむき出しの膝小僧をぽりぽり掻いた。


「たしかに繋がってはおるな。おいらは夏の宮に家があるし、夏ともよく会う。今ここに夏が現れてもおかしくはないぞ。半夏はんげも夏から面白い命を受けておるしな」


 半夏生【はんげしょうず】は夏季・夏至げしの末候を担う七十二候でありながら、雑節でもある。夏至から十日もしくは十一日目、田植えを終える目安としての意味を持つ。

 牛若丸のような格好の神秘的な少年は腰に差した篠笛を手に取った。


「夏さまからは、この笛でつばきを操るよう言われています」

「なんだそれ」


 そういえば前に夏至がちらっと言っていなかったか――「あの笛ってその気になれば他の者を操ることができるらしいよ」――ま、まさか。


「安心してください」


 半夏は戯れに笛を唇で食んで微笑した。


「できるのは相手をよく眠らせてあげることくらいです。夏さまだってわかっていますよ」


 つまり夏にからかわれたわけだ。玄鳥至は眉間を揉んでから強気に土用へ向き直った。


「あなたさまは四季とは違う。必ずこちらについてくださる」


 土用は口角を上げると、隣に立つ赤紫のポニーテールの娘をちらと見上げた。


「どうだろうな。入梅にゅうばい、どう思う?」

「なんであたしに聞くのかな」


 入梅はそう言いながらも偉そうに顎を上げて座る玄鳥至を見下ろした。


「雑節こそ消滅の危機に瀕しているから――でしょ? あんたらに比べたら影が薄いもんね、あたしたち」


 入梅【にゅうばい】。昔は夏季・芒種ぼうしゅの後の最初のみずのえの日だったが、今は太陽の黄経が八十度に達した日とされている。暦の上では梅雨のはじまりとなっているが、近年では年によってずれ込む梅雨入り宣言があるため、ほとんどお役御免状態だ。いつ消えるとも知れぬ己を嘆き、彼女はよく仲間に八つ当たりの嫌味を言うが、雑節で最も仲間思いなのもまた彼女である。


「ああ、そのとおりだ」

「馬鹿にして……。あんた、ほたるのことも利用したでしょ。最低な奴ね。その上四季の皆さまを脅そうって言うんだから」

「ならばどうする?」


 玄鳥至は鳩尾みぞおちに青い炎が灯るのを感じた。


「他に何か妙案でもあるのか? それとも黙したまま大人しく消えるか、入梅」

「消えるのはあんたたちでしょ」


 入梅も気色ばんで言い返した。


「あんたの作戦、失敗したら全員消えるでしょ」

「失敗はしない」

「そうだな、失敗はせんだろう」


 土用が落ち着いて言った。


「四季は間違いなく従うだろう。そしておいらもこれに乗る。早急に冬と連絡を取らねばならんな」

「土用さま」


 入梅が悲しげな声を上げた。


「案ずるな。たとえこやつらが失敗したとしても、雑節は無傷で残る。主であるおいらがすでに承諾しているし、土公神どこうじんさまにもお助けいただく。――それに、あれを見よ」


 土用が短い人差し指で玄鳥至の膝横を指した。そこにあるのは赤に金糸の見事な七宝模様の巻物である。玄鳥至はそれを土用の前に持っていき横に広げた。一緒にかぐわしい緑葉の香りが広がった。


「もとは春分しゅんぶんの帯だな。和紙を漉いたのは清明せいめいだ。……腕が落ちておらんな」


 今では節気ごとにカスタマイズされている天地視書てんちししょだが、もとはすべて和綴じの本だった。下界を視るために清明が発案し、紙から作った。雑節は今も変わらずその書を天地視書として使い続けている。


すずりも作ったのか」


 玄鳥至はうなずき、懐からそれを取り出した。小寒しょうかんの硯だ。蓋付きの、何の彫刻も施されていない、持つ手が緊張に震えるほどなめらかな漆黒の硯。


「筆はこちらに」


 玄鳥至は次いで宙から筆を出現させた。黒い筆は土用の手に渡ると茶色に変わった。


「ちょっと!」


 入梅が叫んだ。


「梅子の筆じゃない! 奪い取ったの?」

「そんなわけあるか。梅子が自ら貸し出してくれた。皆も気持ちがこもるだろうと」

「墨は」


 土用に促されて硯を前に置く。


「硯の海の部分に筆先を触れさせてください」


 土用は言われたとおり硯の墨が溜まる部分に筆先を当て、紙に筆を走らせた。雑節の面々は席を立ち、固唾を呑んでそれを見守った。


「言っておくが」


 と、土用は硯に筆を置いて皆の顔を見回した。


「おいらは強制はしないぞ。参加不参加は好きにするがいい。おいらがここに名を連ねるのは、人を信じているからだ。雑節は消えぬ。皆が心配するほど人々は我らを忘れてはおらぬ。根付いた風習や行事が、それらを学び広める専門家たちが、細々とでも未来へ伝え続けてくれる。すでに暦を知り、愛し、楽しんでいる者もおる。人を信じよ。雀はその一人となって暦の道を光で照らし、必ず未来へ繋げてくれる」


 それから土用は可笑しそうに付け加えた。「おいらはこれにうなぎで気づいた」


「……ありがとうございます」


 玄鳥至が手をつき深く頭を下げると、土用は悪ガキっぽくにいっと笑った。


「礼にはおよばぬ。……しかし春の宮の者は普段は穏やかだが、いざ動くとなればいちばん怖いな。主そっくりだ」


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