82、四季の庵で(前編)



 時は来たれり。


 春の蒼天そうてん、夏の昊天こうてん、秋の旻天びんてん、冬の上天じょうてん、この四つを総称して四天してんというが、ゲームなんかでよく聞く〈四天王〉はここからきている。


 玄鳥至つばめきたると雀は今、金色こんじきの橋を渡っている。その周囲には四季の庭が広がり、歩けども歩けども夜空に固定された月のようにその位置を変えない。


 東を見れば春――空は淡い青、地には桜に梅、桃、杏が咲き乱れ、薫り高く、思考を鈍らせるような心地よい風がとろとろ流れる。


 南を見れば夏――強い日差しに入道雲、ぱらぱら音を立てる天気雨。草いきれが匂い立ち、色とりどりの花に覆いつくされ土が見えない。疲れを知らぬ熱風がしつこく駆けてきては、右後ろから肩を叩いた。


 西を見れば秋――空は澄み渡り、地は紅葉した木々が枝葉を広げ、金風きんぷうが枯山水から始まる日本庭園を端から端まで見て回る。


 北を見れば冬――真白の世界に雪吊りがしんと立っている。視界良好、無臭無音。無垢な冷気が二人の左頬に触れては、そのぬくもりに驚き逃げる。


 春夏秋冬の幽玄の庭、それはまるで来訪者を中心に移動しているようで、どこまでもどこまでも形を変えずについてくる。そうするとこちらはまるで進んでいないかのような錯覚を起こす。雀はいや増す緊張から青ざめている。焦りと不安、それが四季の狙いであろう。これからどのような話になるか、察することができるというものだ。


 橋は永遠のようでいて、前方に見える目的地にいよいよ近づいてきた。黒を基調とした五角形の庵。茶室と呼ぶには大きく屋敷と呼ぶには小さい、四季の集う場所。


 玄鳥至は小脇に挟んだ一本の巻物を抱えなおした。唯一の武器だ、これにすべてかかっていると思えばなお重い。


 ようやく橋の終着点にたどり着いた。庵は神楽殿のように開放的な高床式で、今は御簾もすべて引き上げられて、四季のうち三名の姿が見える。


 周囲の風景が動いた。それまで共に移動してきたものが、磁石を向けられた砂鉄のように、五角のうち四面の後ろにさあっと広がる。玄鳥至と雀の後ろは一面水となり、錦鯉が浅瀬でゆらゆら尾を振った。


 下で草履を脱ぎ、木の階段をきしませ上りきるとその場に膝をつき、頭を下げる。許しを得て面を上げると、正面右に春、夏と並び、正面左はひとつ空いてその隣に秋が座していた。各々の庭を背に、笑んでいたり仏頂面だったり怒りに目を吊り上げていたり、表情はてんでばらばらである。


「遅れた」


 冬が冷気と共に春と秋のあいだに現れ、白い庭を背景に腰を下ろした。


「わざとだろ」


 夏がそちらを見もせずに言う。冬がそれに返すこともない。

 玄鳥至は敷居をまたいで再びぬかずく。雀も真似る。板張りの床が額の熱を冷ましてくれる。木の香りが鼻腔から染み入り、それを体中に回す意識で玄鳥至は息を吐いた。硬くなっている場合ではない。


「本日は四季の皆さまにお集まりいただき、誠に――」


 夏がいかにもだるそうな調子で遮った。


「そういうのはいいからさ。単刀直入にいこうか」


 玄鳥至は頭を上げた。


「助かります。腹の探り合いは不得手なもので」

「なあんだ、世間話から入ればよかったなあ」


 夏はふてぶてしく肘置きに腕を乗せ片膝を立てた。玄鳥至は背筋を伸ばした。


「さっそくお伺いしますが……。雀を人に返すことに、四季の皆さまのご許可を賜りたいのですが、いかがでしょうか」


「無論」夏は口角を上げ、ひらひらと手を振った。「却下だ」


「雀一人で暦の変化を止められるとお考えですか」

「何を言う、一過性のものだよ、当然だろう。今の自然界の急流を矮小な小僧一人に止められるとでも?」

「それなのに、人として下界で生きているこいつを暦にしようとおっしゃるのですか」

「本人にそのつもりがあるならいいじゃないか」

「雀は人として生を全うしたいと考えています」


 隣で雀が強くうなずいた。夏がわざとらしく目をまんまるにした。


「おや、そうなのかい? 計算違いだな。お前がちゃんとここでの生活を楽しませてあげなかったからじゃないの?」


 前のめりになる雀を玄鳥至が片手で制す。びゅっと音がして春の庭から春風が桜吹雪を吹き込んだ。


「たとえ今だけの気休めだとしても、今のわたくしたちには雀の、人の力が必要です。その子を帰らせるわけにはまいりません」


 玄鳥至はまぶたに力を込めて、春疾風はるはやてを真正面から受け止めた。


「雀が俺のもとへ連れてこられたあの日、春さま、あなたは俺に雀を導けとおっしゃいました。こいつは俺が導くまでもなく、自ら道を選び取りました」

「お主はなぜ暦よりも人を優先するのだ」


 秋の視線と声はいつにも増して鋭く刺さる。


「人びいきなら、もっとタチが悪いのもいるけどね」


 夏が口もとを笑みの形にしたまま冬を睨めつける。しかし冬は人形のように眉ひとつ動かさない。


「提案がございます」


 玄鳥至は片膝をずいと前に押し進めた。


「雀は人としての生を終えた後、ここに戻りたいと申しております。人々に自然界の窮状を訴え、人生をかけて暦に貢献し、それを終えてなお暦に尽くしたい、と。どうかお許し願えませんでしょうか」


 言葉に合わせて雀が深く頭を下げる。

 途端、夏が幼子のように反り返ってげらげら笑った。春と秋は言葉が見つからないようだ。呆れた、と顔に書いてある。

 夏は息も絶え絶えに涙を拭った。


「いやあ……大物だ。そんな玉には見えなかったが」

「世迷い言を申すな!」


 秋は顔を真っ赤にして唾を散らした。


「人の数を見よ。たった一人の言葉を聞く者がどれだけおると? 雀の涙とはこのことだ。くだらぬ理想を抱く前に、今、役に立て。うまいことを言って逃れようという心が透けて見えているのだ、この愚か者!」

「俺もはじめは反対でした。しかしこいつならあるいは、と……」

「甘い!」


 秋の顔色が紅葉しきると、後ろの庭の木がすべて真っ赤なモミジになった。


「何がこいつなら、だ。この者はただの人の子だ。まるで特別なように思い上がらせたのは我らにも非があるが、お主までそれに乗せられるとは、いつもの冷静沈着な玄鳥至はどこへ行った?」


 玄鳥至はふうとため息を吐いた。言われたとおり冷静沈着に秋から視線を外し、かわりに春に向かって膝を詰める。「おい!」秋の声は右から左――いや左から右に聞き流す。


「春さま。問題は記憶です。雀と俺たちの記憶を消さないよう、上界の神々におとりなしください。どうか雀の願いを聞き入れてやってください。もとはと言えば、あなた方が巻き込んだのです。あなた方の目は間違っていなかった。雀は真摯に尽くしてくれるはずです」


 夏は身を起こすとあぐらに右肘をついた。両眼は玄鳥至の隣に据えられている。


「ねえ、雀くん。君は今、十五歳だね。百まで生きるとして、こっちは八十五年も待たなきゃいけないわけだ。その間のスズメたちはどうなるんだろう。そこから発生する命の営みのずれは? ただでさえ雀始巣すずめはじめてすくうが消えてからスズメの数が激減しているんだよ。いや、ほんとうはそれ以前からスズメの数は減っていたんだ。昔に比べて餌場が少なくなっているからね。それを雀始巣の力で保たせている状態だった。このままだと――……はあ、つばき、君は馬鹿じゃないのにどうしちゃったんだい。なんのために彼を君に任せたと思っているの?」


「それは俺も同じ思いですよ、夏さま。あなたはなんのためにこいつを呼んだのです。我ら暦が大きく助かるかもしれないチャンスをここで使い捨てにするなんて、もったいないとは思いませんか。俺だけじゃない、同じ思いの者は他にも大勢います」


「大勢って? 主語をでかくすれば思いどおりになるとでも? なんかこそこそやっていたみたいだけれど、果たして何人を大勢、、と呼んでいるのかな。第一ね、君だってとうに知っていると思うんだけど、これには亥神いのかみさまも関わっているんだよ。こんな現実味のない話をあの方にしたところで――」


「亥神さまからのご許可はすでにいただいている」


 冬の冷気が床を這うように忍び寄った。


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