74、玄鳥至の暗躍(その2)
爽やかに玄鳥至の肩を叩いたのは
「これは大きな、大きな一計だ。そして今考え得る中で最も難しく、且つ最も有効だと思う。皆はどうかな」
唸り声、苦笑、反応は様々だったが、四人から「是」という答えが返ってきた。
しかしただ一人、始まってからひと言も発さない男がいる。
「賛成だが、少し聞いてくれ」
啓蟄は両手で顔を覆っていた。指のあいだから目だけが覗いていたが、それだけでも彼が情けない表情をしていることがわかった。
「つばきの言うとおりだ。暦のことは自分たちでなんとかしよう。……藁にも縋りたい気持ちはうちがいちばんわかると思う。おれは……、おれは
「大丈夫だよ、啓蟄」
清明が啓蟄の肩を叩き、白い歯をこぼした。
「ここにいる者は皆、どうやら同じ考えだ」
誰もが首を縦に振っている。それを見た啓蟄は胸をなで下ろし、「すまん」とつぶやいて目頭を押さえた。
ここで
「春季で強く反対する者はないだろうと思う。今後を心配する声は上がるだろうけど、これまでの無関心のツケを払う時が来たと思えば腹をくくるさ。問題は他季だね。秋季なんてかなり難しいのではないかな」
「秋季は後回しにします」
「それがいい。あそこには君の弟や
玄鳥至は閉められたカーテンの隙間から外を確認した。――ツバメが旋回している。
「実は、梅子の筆探しの頃からほたると連絡を取り合っています。彼女を通して少しずつ輪を広げていくことができるでしょう」
「女心を利用するのか……」
啓蟄が顔を引きつらせた。玄鳥至は己と彼女の名誉のためにも即座に否定した。
「夏さまの動向を把握するためです。ほたるはああ見えて理性的なので、彼女の日々の相談を受けがてら、こちらに引き込むつもりでいました。ウィン―ウィンというやつです」
「それはおそらくお前が思っているほど公正な取引になっていないぞ……」
「冬季は?」
清明がすばやく話を戻した。
「あそこはどちらに転ぶかわからないが、どう攻める?」
これについては玄鳥至もまだ取っ掛かりを見つけられないでいた。
「未知数ですね。あそこは個が強いので、一人ずつ当たったほうがいいでしょう。様子を見つつ、じわじわと……。
「冬季こそ四季の力が強い気がするな。つまり、冬さまの影響力が」
清明の言葉を聞いて、
「冬さまが人びいきってのは、いったい誰が言い始めたんだろうな」
それに笑って答えたのは啓蟄だ。
「下界で流行りの曲を冬さまが鼻歌で歌っていた、っていうのは誰かから聞いたな。冬さまはその曲がお気に入りで、今もそのバンドのライブがあれば一人で行っているらしい」
「曲名は? なんてバンドだ?」
「おれはそういうのあんまり詳しくないんだよ。曲名はなんだったかな。有名だから出だしはわかるんだけど。――『冬が寒くって本当に良かった』――」
ああー、と皆が笑顔になった。「良い曲だよねえ……」
んん、と
「あのバンドは俺も好きだが、今それはどうでもいい。話を戻すぞ。ことさら慎重に、牛歩の如く同志を増やすことにしよう。他季にも友の多い者、口の上手い者が積極的に動いていくべきだ。ちなみに俺には向いてない」
その言葉に皆が真顔でうなずいた。
「やろうか、春分」
清明が振ると、春分はやれやれと頭を掻いた。
「同志が増えるのはいいが、全部で何人いると思ってる? このことを誰が知っていて誰が知らないか、そのうち頭の中がごっちゃになりそうだ。俺と清明は動く側に回るから、穀雨は随時リストを作ってくれ。報連相が大事だぞ、こりゃ」
「春さまの見張りも必要だよ」
雨水が進み出た。
「僕が引き受けよう」
「それじゃ、あたしは」
立春がにっこりとした。
「あえていつもどおりに過ごさせてもらおうか。そういう者もいないと、のんびりとした春の宮らしくないだろう? そのかわり、みんなにおいしい差し入れを持って行くよ」
これには皆が喜んだ。
おれはどうしようと情けなく眉を八の字にする啓蟄には連絡係をしてもらうことになり、その場はいったんお開きとなった。
玄鳥至は清明と二人、寝所へと戻る道を歩いた。
春の宮でも夏の夜は短い。空は桔梗色に変わり、星々が頭上でささやき合っている。
風はない。春の女神は風に乗じて移動するが、今夜は秋の宮に招かれ、不在である。
清明が控えめな声で言った。
「雀くんにはいつ言うのかな。彼はこれを知っても、いつもどおりでいられるだろうか」
「あいつには言いません」
「言わない?」
清明は目を丸くしたが、すぐに察して困った顔をした。
「彼のためだと言いながら、本人を蚊帳の外にするのか」
「記憶のないあいつに言えばただ混乱させるだけです。それに必ず帰せるという保証もありません。事が順調に運び、四季の皆さまを、いや一人でも説得できてからあいつには話すつもりです」
「もし彼がここに残ると言ったらどうする?」
それは考えもしなかったことで、玄鳥至は少々驚いて上司を見た。
「そんなことはありえません。俺はあいつをよくわかっています。必ず人に戻りたいと言いますよ」
「……そうか」
何か含みを感じたが、玄鳥至は自分の考えに確信があったため、突っ込んで聞くことはしなかった。
清明が天を仰いだ。上弦の月は明るかったが、星々の中にあると控えめになる。星の砂漠に飲み込まれてしまいそうだ。
「それにしても良い策だ。四季の皆さまはさぞかしお困りになるだろうね」
と、清明は新しいいたずらを思いついた少年のように瞳を輝かせた。
「面白いことになりそうだ」
「何をおっしゃるんです」
玄鳥至は衝撃を受けて上司の前に出た。
「神々と対立することになるんですよ。下手したら今後の関係にだって亀裂が――」
「構うものか」
清明はそれを躱し、長い黒髪に月明かりを弾いて先を歩く。玄鳥至は束の間その背を見つめ、追いかけて再び隣に並んだ。ふわりと起こった風に春バラの香りを嗅いだ。
「私はね」
と、清明はささやくように言う。
「ちょっと春さまに怒っているんだよ」
「なぜ……」
「なぜって」
清明は声を上げて笑う。
「君は私の部下なんだよ、つばき」
清明は裸足で庭に下り、ひとつだけまだ咲かぬバラのつぼみに――青いバラのつぼみに手を触れた。プレゼントのリボンがほどけるようにバラが開いた。
「大きな賭けになるが、勝てるんだろう?」
「はい」
玄鳥至は断言する。
「あの方々は四季ですから」
これで春季は心配ない。次は――夏季。
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