73、玄鳥至の暗躍(その1)
***
そろそろ八月に入ろうかという夏の盛りに、ツバメの様子を直に見に行くといういつもの理由で地上に向かおうとした
「つばきが今抱えている問題を私に打ち明ける気はないか」
清明の私室で二人きりになるなり上司は言った。この男は部下を自由にさせる一方でよく見てもいる。
清明は春が特に信頼する者の一人である。それは基本彼が春に逆らわないことが理由のように思われるが、まったくそんなことはなく、物事を公平に見て春相手にも意見する強さを持ち合わせているからだ。清明の公明正大なところには春以上に玄鳥至も信を置いている。それにいずれこうなるであろうことは予想していたので、玄鳥至は素直に梅子の筆探しからこれまでのことを話した。
ところが話を聞き終わった清明はきっぱりと、
「私の意見を今ここで言うつもりはない。つばきが良ければ他の春季の二十四節気にもこの話をしたいと思うが、どうだろう?」
普段怒ることのない上司の言葉の裏に揺らめく青い炎を見た。何に対して怒っているのか定かではないが、長い付き合いだ、ここで逆らうべきではないということは承知している。それに計画では遅かれ早かれ手を借りることになるはずだったので、こだわりなく承諾した。
折を見て清明は同僚五名に声をかけ、玄鳥至も交えて密やかな会合の場を設けた。場所は不可侵を約束された〈誰かの私室〉、この時は
六名と大量の本と観葉植物とに四方を塞がれ、逃げる気もないが「逃げ場がないな」なんて思いながら、玄鳥至は清明に話したことをもう一度繰り返した。
「――以上です。皆さまのご意見をお聞かせください」
すぐに答える者はいなかった。皆、逡巡していた。
はじめに口を開いたのは
「それは難しい」
と、春分は頭痛がするかのように額を押さえて言った。
「ようやく空席が埋まるんだ。スズメも数を増やすだろう。それに加えて
いつもは皆を温かく見守る母のような
「あの子にはかわいそうだけど、あきらめてもらうしかないね。それにまだ人に戻りたいと明言したわけじゃないんだろう? 記憶もなくしているんだから、知られなきゃいい話さ。知らぬが仏ってね」
「これまでにも暦の変化はあった」
と、低く言うのは
「今回のことがたとえ四季さまが企てたことだとしても、それが彼の運命だったのだ」
玄鳥至はぐっとこぶしを握った。
「俺もそう思おうとしました。けれど後味が悪すぎる。あいつは暦になってしまえばそのうち人の記憶を失うでしょうが、だからと言って殺してまでここに縛りつけるのは、道に反するのではありませんか」
「道とは?」
清明が鋭く放った。
「暦を想う以外の道など私たちにあるのかな」
玄鳥至は目を瞑り、息を吸い、吐いた。新しく入る酸素と共に瞼を開く。
「これは俺の感情論です。なんと言えばいいのか……一種の気持ち悪さがずっとつきまとっているのです。俺たち暦が
玄鳥至は深く頭を垂れた。
「どうか皆さまのお力をお貸しください」
皆、返事をしなかった。先ほどより長い沈黙になった。
やがてこの場を提供した雨水が椅子から立ち上がった。銀の髪の先についた小鈴が清涼な音を奏でる。壁に並べられた観葉植物に向かい、常からそうしているように、ドラセナの葉を触れるか触れないかの繊細な指先でなぞった。
「ここを去れば、ここでの彼の記憶は消えるだろうね」
玄鳥至は重く点頭した。
「そう思います。暦ではなくなる、すなわちそれは暦が消えるのと同義かと。そうなれば俺たちの記憶からも……」
「うまく彼を帰せたとしても、新たに同じことが起こりそうだね。僕たちは皆、彼がいたことを忘れてしまっているわけだから、人を変えて何度だって同じことができてしまう」
それは玄鳥至も危惧していることだった。
「憶えておくことは可能だろうか」
問うたのは春分だ。これには穀雨が答えた。
「まず無理だろうな。記述を残したとしても忘れるだろうし、見て疑問に思っても、何を疑問に思ったかさえ忘れるだろう。俺たちはそういうふうに作られている」
「それじゃ、結局は春さまを説得するしかないんじゃないかい?」
立春が冷めた茶を入れ直そうと重い腰を上げる。「骨が折れそうだけどね」
玄鳥至は首を横に振った。
「春さまにも何かお考えがあるようなのです。ですがそれを俺に話してはくださいませんでした。自分で行きつけと言わんばかりで……。ただ、あの方の真意が雀のためになるかといえば、そうではないと思います。……あの方は四季ですから」
穀雨がいつもの癖で口をぽっきりへの字に折った。
「だが四季の皆さまが今回のことを計画、実行なさったのなら、今後必ず四季のどなたかの協力が必要になる。最も希望があるのは春さまだ。その次には秋さまか。あの老君は膝をつき合わせて真摯に訴え、袖からおはぎでもお渡しすれば、まあ、希望はあると思う。夏さまはどう足掻いてもだめだろうな。今すでに雀を夏の宮に欲しい欲しいと言っているし、このことを知れば怒り狂って何をしでかすかわからない。冬さまは……人びいきという話は聞くが、それが事実かどうか俺は知らん。皆だって知らんだろう。普段どこにいらっしゃるのかすらわからんからな、あのお方は。ならばやはり春さまだ。それが無理だと言うなら……詰みだな」
ここで玄鳥至は一歩前へと進み出た。
「ひとつ、策があります」
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