69、冬至――そろばん



 冬至【とうじ】(十二月二十二日~一月五日頃)


 そろばんの構造は大きく〈たま〉〈じく〉〈わく〉の三つに分けられる。作業分担はそのまま当てはまり、〈珠〉は初候の乃東生【なつかれくさしょうず】、〈軸〉は次候の麋角解【さわしかのつのおつる】、〈枠〉は末候の雪下出麦【ゆきわたりてむぎのびる】が担当する。


 では上司である冬至が何をするかといえば、事務・雑務だ。彼は材料の手配から部下たちの雑用、そろばんの販売等の細かな業務を一手に引き受けている。


 二十四節気・冬至はいつもどことなく影が薄く忘れられがちな男であったが、暦たちの中で最も優しい性格だと言われている。ふちのない眼鏡をかけ、色素の薄い長髪を後ろで一本の三つ編みにして垂らし、相貌にも言葉遣いにも温柔敦厚おんじゅうとんこうな性質がよく表れる。


「冬至といえば南瓜かぼちゃや柚風呂が有名だね。心身を整えて春を迎える。冬至の日を越えればまた昼の時間が少しずつ増えるが、冬至冬中冬始とうじふゆなかふゆはじめと言ってね、寒さはこれからが本番なんだ」


 パチ、パチ、パチ。火鉢とそろばんの音が弾ける和室で、雀は文机の上に置かれた鍵盤ハーモニカサイズのそろばんに集中している。その真向いには冬至が座り、寺子屋の先生然として、そろばんに映し出された下界の景色を珠を弾くことによって変えていく。


「初候は乃東生なつかれくさしょうず、夏に枯れた乃東だいとうがまた芽を出す頃。すべてが枯れた中から希望を見いだす昔の人の感性が光るね。対になるのは夏季・夏至げしの初候、乃東枯なつかれくさかるる。……聞いたよ、夏の宮で大変な思いをしたんだって?」

「はい……まあちょっと……」


 乃東枯、愛称は〈かるる〉。彼女の趣味はフリルひらひらの着物を作っては誰かを着せ替え人形にすることだった。思い出すだけで雀は苦虫を噛み潰したような顔になる。

 少し離れた席で珠を弾いて下界の乃東の芽を出していた乃東生は、いたたまれない気持ちになってそろばんを脇に置き、頭を下げた。


「その節は姉がご迷惑を……」

「ああ、いえいえ、しょうさんが謝ることではないですよ」

「ワタクシがその場にいれば、少しは姉を止めることもできたでしょうに……」

「いえいえ、いいんですよ、お気になさらず……」


 しょうは中年の小男で、どんな相手にも常に礼儀正しく謙虚に振る舞う。それが行き過ぎると相手によっては気遣い合戦になることがあり、雀とは毎回そうなったので、そのたびに冬至が小型のそろばんをチャカチャカ振って終わらせた。


「うまい逃げ方を覚えるのもひとつの勉強だね。さ、次に行くよ。次候は麋角解さわしかのつのおつる、ヘラジカの角が落ちる頃――なんだけど、ヘラジカは日本にはいない種類なんだ。この辺は中国の暦の名残だね。角も体もとにかく立派で、体躯が二メートルもある世界最大のシカなんだよ。さわしかに頼んで後で変化へんげを見せてもらうといい」


 麋は今は外出中だ。人の姿の時はまるで白ネギでシカを司る暦にはとうてい見えず、しゃべれば口調まで奇妙奇天烈な男であるが、判断力と決定力に優れるので、天地視書てんちししょを開き珠を弾くたびにシカの角を落とすところはそれは見事なものである。


「末候は雪下出麦ゆきわたりてむぎのびる、すべてが閉ざされたように感じる冬でも、一部の草木は芽を出し春を待っている。麦もそのひとつだね。……雪下手麦はちょうど元日の頃だ。大晦日から三が日くらいまで暦全員参加の新年の宴があるから、雀くんも楽しみにしているといい。雪下ゆきわたりはあれで酒豪だから、他との激しい飲み比べは見物だよ」


 雪下も席を外していたが、噂をすればなんとやら、壁際に設置された大型バスほどもある特大そろばんの珠の隙間から、雪虫のような白髪の子どもがにゅるんと飛び出した。雪下はふわふわの頭にかかる粉雪を小さな手でぺしぺし払って、


「麋から連絡をもらいまして、下界から戻ってきました。冬の宮の入り口に夏さまがいらっしゃってます。麋が一人で押し止めていますがたぶんもう――」


 ガタガタ、バタン! タイミングぴったりに障子が開き、麋が倒れ込んできた。


「あづい! ああもう、夏さまは『雀を出せ』と、それしか、、言いません。冬の宮との境界で光り狂ってます。俺では無理です。られるのも覚悟でしか、、たなく帰還しました。しか、、らばこれはもう、冬至さまに出ていただくしか、、ないと……!」


 冬至が夏に気に入られていることは有名な話である。冬至と言えば冬の只中、真夏の正反対に位置する暦だ。それを快く思わなかった夏は当初、冬至に頻繁にちょっかいをかけた。夏の宮主催の競闘遊戯会――今でいう運動会――にしつこく誘い、冬至がそれを断り続けると、夏は冬至を夏の宮に連れ去り軟禁、話を聞いて現場に急行した冬と対峙し、あわや夏が消えるか冬が消えるかという段までいって、四季と同等の力を持つ雑節ざっせつ土用どようがその場を収め事なきを得た。


  今となっては笑い話だ。その後夏と冬至は時をかけて友情を育み、今ではお互いに良き話し相手となったわけだが、未だに当時を根に持つ冬が事あるごとに二人のあいだを引き裂いて――と、そう思い込んでいるのは夏だけで、冬至は迷惑千万この上ない夏から逃れるために持ち前の影の薄さをいかんなく発揮し、ついには透明になる能力を身につけた。百年は前の話である。


「そうだね……僕が夏さまの気をひけば、雀くんを冬さまのもとへ逃がせるか……」

「そう言いながら消えかかってますよ、冬至さま」


 雪下が指摘した。


 麋に付き添われ、冬至は背をまるめ半透明になりながら戸口を出て行った。BGMに子牛が売られていくあの歌が流れるような後ろ姿に、雀は心底申し訳なく思った。


「おれのために、すみません……」

「いいんだよ」


 雪下はつま先立ちで雀の頭をぽんぽん叩いた。幼い見た目でも職人らしく硬い手をしていた。


「どんな結果になろうと、それは君だけの責任ではないよ。冬さまが君を匿うと決めたからには、ぼくらは従う。冬の宮は個人主義者ばかりだけれど、不思議と結束力もある。忍耐強く、一度味方になれば裏切らない。君の芯が強ければ強いほど、ぼくらは君に力を貸すよ」


 宮全体が猛吹雪に唸り声を上げている。冬の宮の主は頑として夏を迎え入れず、冬至は晴れやかな笑顔で生還した。


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