68、大雪(後編)――クマさんの話



 そこから雀はくまさけと共に城のある公園や茶屋街を見て回った。やっていることは誰がどう見ても観光だ。二人は自身にまじないをかけて人の前に姿を現し、気の赴くままに買い食いした。雀の目には変わらぬ二人の姿が映っているが、人にはふつうの人間に見えているので注意を引くことはない。


 陽が西に傾いた頃、雀はしびれを切らして熊に言った。


「冬眠前のクマの様子を見に行かれないのですか」


 熊は買ったばかりの水飴を開けているところだった。半透明なそれを割り箸にくるくる巻きつけ、雀に手渡す。雀はこんな物でごまかされないぞという表情で飴を口に含んだが、美味さに少し頬がゆるんだ。


「んん……わしが行ったところですることもなし、彼らはずっと前からわしの合図を感じ取って巣ごもりの準備をしているし、あとは各々好きに眠るだけだよ」


 雀が勢いよく口から飴を引き抜くと、唇が尖った。


「でもクマが人のいる場所によく出るようになって困ってるって、毎年ニュースで見ますよ。あれはなんとかできないんですか」

「うーん、なんとかしてあげたいけどね、里山さとやまがなくなったのをクマさんたちは見ない振りできないよ。敵の縄張りが弱くなっていたら自分の縄張りにするのは自然なことだよ」

「里山って……?」

「ん、クマさんが住むのが奥山、人が住むのが人里、そのあいだにあるのが里山だね。昔は林業が盛んで、人が手を加え管理していた場所があるんだよ。薪をとったりとかね。そこが奥山との境になっていた。そういう所は他より見晴らしがよくなっているからね、クマさんたちは姿を隠せないのがいやで、姿を現さなかったんだ。でも今はそれがない。クマさんたちは元里山に来放題になったんだね。

 それとね、天候の関係で満足に食料を得られない年は、クマさんは奥山から遠出するしかなくなるんだよ。人の住む所には家畜や果樹や農作物や、クマさんにとって魅力的なものがたぁくさんある。行っちゃうよねえ。生きるために、命の危険を冒してでも」


「クマが人に射殺されるのを、あなたはどう……」

「んん、どうも何も。生物っていうのは自分の命を守るために殺し合うでしょう。それは遥か昔から行われていたことだ。わしはどうもしないよ。ただ在るだけだよ」


 同じ言葉を熊は重ねる。


「わしは特別何もしない。わしはただ在るだけでいい。それだけできちんと暦は動く。わしの仕事は暦を動かすことだから」


 それだけでは雀は納得いかない。


「でも暦だって頑張らないと……」

「んー、じゃあ、君は? 雀くんだったらクマさんと人をどういうふうに共生させる?」


 雀は視線をさまよわせながらも懸命に答えを探した。


「……えっと、奥山に果樹を植える、とか。あと林業を再開させて……」

「それを君が一人でするの?」

「いや、一人では……。たくさんの人に手伝ってもらわないと」

「そうだね、無理だね。じゃあそのたくさんの人はどうやって集めるの? どうやって話を聞いてもらう? どうやって賛同してもらう? 報酬を出すのかな? その報酬はどこから来るの?」

「……えっと……」


 夕日が熊の背後に回って、その体躯がより大きく膨れ上がった。今にも雀に覆い被さりそうだ。これは錯覚だとわかっていても、雀の額から冷や汗が噴き出した。本物のクマと遭遇したら、きっと今のように固まって動けなくなるだろう。


 熊がもぞもぞと少し横にずれると、橙色の光が一直線に雀の目を刺した。雀はうっと目をすがめた。


 熊が手を持ち上げた。それは雀の顔に影をつくった。弱められた光に浮かぶ熊の表情は柔和で、黒い瞳が知的に光った。


「うん、わからないよね。この話は果てしなく広げられちゃうからね。だからさ、そんなに頑張ろうとしなくていいんじゃない? 君はただ移り変わる季節を、巡る命を愛していればいいんだよ。暦とはそういうものなんだから」


 雀は反射的に、


「よくないです」


 そして唇を湿らせてからもう一度、


「よくないです」


 熊はまたもぞもぞと体で日差しを遮ったが、もう怖い空気をまとってはいなかった。


「んー、それならいっぱい勉強しなくちゃだね。でも君は本来、ただ在るだけでいいんだよ。これは暦に限った話じゃない。みんな肩に力を入れず、悠々閑々とやっていたほうがうまくいくことも多いと思うよ」


「でもさあ」


 と、隣でなかなか減らないべっこう飴と格闘していた鮭が口を挟んだ。


「頑張ったほうがいい時だってあるよ。熊もさ、たまにはがつんとクマさんたちに言ってほしいな。鮭捕りすぎ! って叱ってよ。今年はどれくらいの数が生き延びられるかなって思ったら、ぼく、すっごく怖いんだから」

「ん、ごめんなあ、さっちゃん。クマさんたちも生きることに必死だから」

「ふんだ。クマは外敵から食料として狙われないからわからないんだあ。――あ!」


 ぎくり、三人同時に硬直した。目線の先には抜き身の刀を下げて仁王立ちする彼らの上司の姿があった。雀は水飴を食べ終えていたので、割り箸一本をそっと袖にしまい込んだ。


「鮭、熊――雀。覚悟はできているんだろうな」

「きゃあ! 大雪さま、どうしてここが――あっ!」


 大雪たいせつの背後には冬成ふゆなりが控えている。冬成はフンと鼻を鳴らした。


「俺の鼻をごまかせると思うな。ソフトクリーム、抹茶、上生菓子、コロッケ、鰻の蒲焼き、べっこう飴、それから――水飴」


 じろりと睨めつけられて、雀はしおしおと割り箸を袖から出した。



 三人は大雪の作業部屋で説教を受けた。だがくどくど長い説教ではなく、簡潔にバシッときつく叱るというもので、反省の色を見せればあっさり終わった。鮭と熊はけろりと即解散したが、大雪はそれに輪を掛けてけろりとしていて、説教などはじめからなかったかのようだった。


 大雪の面々は放任主義で、この期間の雀は自ら考えて行動しなければならなかった。


 彼らの天地視書、日本刀の材料となる玉鋼たまはがね作りは精霊に委託しているので、彼らの刀作りとはまさに刀工のそれであった。玉鋼を炉で熱し、打ち延ばす等の最初の作業は熊がやり、〈鍛錬たんれん〉と呼ばれる大槌小槌で叩く作業から冬成が加わり、鋼を徐々に刀の形に打ち延ばす〈素延すのべ〉等の作業を行う。そこから先は大雪と交代して、刀身に波紋を出す〈焼入やきいれ〉、仕上げに刀身を研磨する〈鍛冶研かじとぎ〉、それからなかご――柄の中に入る部分――にやすりがけをし、目釘穴を開け、最後に銘を刻む。


 鮭はさやを作る〈鞘師さやし〉である。そして大雪と共に柄も担当する。つまり力仕事は熊と冬成、手業は鮭、仕上げに関わる部分を大雪という分担だ。


 どれも雀には難しい。右往左往した末に最後の下げ緒を結ぶところだけやらせてもらった。脇から彼らの仕事ぶりを見ていても邪魔にされることはなく、かといって手を止めて説明してくれるでもなく、雀はただ静かに好きなだけ職人の技を間近で見た。

 無視とは違う不干渉に雀ははじめ「うまく立ち回らなければ」と緊張したが、彼らの程よい距離感を理解してからは、次第に肩の力を抜いて過ごすことができた。


 一人だが独りにはならない。もしかしたら冬の宮は、雀にとって最も過ごしやすい宮かもしれなかった。


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