67、大雪(前編)――日本刀



 大雪【たいせつ】(十二月七日~十二月二十一日頃)


「冬さまはお前のことをずいぶんと気にかけていらっしゃるな」


 そう言うと、大雪は黒漆の鞘から清水のように澄んだ刀身をすうっと抜いた。軍服姿だが手に持つそれは軍刀ではなく、二尺三寸の細身の日本刀である。

 博物館のガラス越しではない本物だ。発せられる霊気が尋常ではない。それを間近に感じて雀の背筋が冷えた。


 大雪は刀身を立てて眼前にかざし、鏡のように周囲を反射させた。大気にピリッと緊張が走る。


「我は冬季が二十四節気、大雪也。我が望みしものを現せ。《天地視書てんちししょ》」


 派手な演出は何もなかったが、鏡の刀身に波紋ができて下界が映った。


「繋げ」


 下げた刀の先からはばきまで白い光が迸り、大雪は刀と腕が一本になったかのような動きでさっと空間を楕円に切り抜いた。納刀すると、その空間の先に日本庭園が現れた。


 二十四節気で最もまとまりがないと言われる大雪の面々は、お互いに声をかけ合うでもなく一人また一人と円をくぐると、てんでばらばらに動き始めた。

 雀の後から円を抜けた大雪は腰まである黒髪を後ろに払い、女の凛とした声とまなざしを雀に向けた。


「冬さまからの預かり物ではあるが、我は一から十まで教えて歩くのは嫌いでな。時間まで好きに動くがよい。無論我らの仕事を見てもいいが、邪魔立てだけはしてくれるなよ」


 雀はまずはじめに初候・閉塞成冬【そらさむくふゆとなる】のそばへ寄った。皆から冬成ふゆなりと呼ばれるこの暦は、強靱でしなやかな肉体と精神を有し、山犬のような目つきをしていて男のようではあるのだが、両性体と周知されている。されている、というのは、本人が性に頓着しないのと、特に誰も聞かないのとでわかっていないのだ。


「ここはどこでしょうか」


 二股の石灯籠や雪吊りが施された大きな松、それを肉眼で眺めるより写真に収めることに夢中な観光客。彼らに暦の姿は見えていないが、冬成はするりするり彼らを避けながら、ただ周辺を歩き回る。睫毛を伏して仏眼にし、時折何かに耳を澄ませるように小首を傾け、小川を飛び越え、その場にじっと立ち止まる。


 雀の問いは人々の雑談の一部として処理されたらしい。他を当たろう――雀は体の向きを変え、冬成のそばを離れようとした。すると――、


「〈冬〉の語源は〈ゆ〉や〈寒さにふるう〉など諸説あるが、俺は〈ゆ〉だと思っている。根を休めて養う、という意味だ。冬とは、春から秋にかけて動き続けてきた己の体を休ませてやる季節なんだ」


 と、不意に説明したかと思えばまた口を閉ざし、冬成は再び地中に神経を研ぎ澄ませるのだった。


「ありがとうございます」


 雀は小声で礼を言い、他へ向かった。



 次候・熊蟄穴【くまあなにこもる】は庭園の外にいた。


 むっくりとした巨漢は目立つ。周囲の観光客を避けられず、体を透かして通り抜けさせている。土産物屋のそばで何やらそわそわとして、落ち着かない様子が甚(はなは)だ怪しい。彫りの深い五十路いそじの大男が胸に刀を抱いて周囲を左見右見とみこうみする姿は不審者以外の何者でもない。もし人に見えていたならとっくに百十番されていたことだろう。


 雀が近づいて声をかける前に、挙動不審の理由が店から出てきた。


 末候・鱖魚群【さけのうおむらがる】は、金箔の乗った贅沢なソフトクリームを片手にご満悦である。光沢のある紅色の髪を肩まで伸ばし、女児の七五三のような晴れやかな格好は幸福そのもので、見る者をにっこりさせる愛らしさがある――が、川上りする魚を束ねるだけあって内面はかなり強かだということは、すでに雀の耳に入っている。


 幼子がソフトクリームに顔を寄せると、紅鮭色の唇にべったりと白と金がくっついた。憎めないその様子に大男は愁眉を開き――パッと顔を上げて雀を見つけた。


「んんっ! ……さっちゃん、雀くんに見られちゃったよ」


 幼子は口周りに金箔ひげをつけたままきょとんとした後、一瞬目つきを凶悪にしてチッと鋭く舌打ちをかました。それに雀が怯むと、鮭はみるみる目に涙の膜を張り、きゅるんという効果音をバックに上目遣いした。


「お願い。大雪さまには言わないで。ぼく、叱られちゃう」


 ここでうなずかない強さを雀は持ち合わせていなかった。


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