66、小雪――寄木細工
小雪【しょうせつ】(十一月二十二日~十二月六日頃)
ここは春の宮。本日雀は小雪の初候・虹蔵不見【にじかくれてみえず】と共に忍装束に着替え、春季・
午前のうちは何事もなかったが、昼休憩後すぐにそれは起こった。三大姐さんの一人・
大きな庭石の裏で息をひそめていた雀は弾かれるように隣を見た。先輩忍者は即座に動いた。宙に飛び出し、持っていた吹き矢でフッ! と吹く。虹始は硬直してばったりと倒れ、そのまま意識を失った。たまたまそこを通りかかった
「
と、おおらかに笑いながら去って行った。
小雪の仕事場へ戻ると、虹蔵は仕事道具を並べて雀に見せた。
「まきびし、縄……さっき使ったのはこれ、吹き矢。虹を出そうとする兄者をなんとしてでも止めるのがオレの仕事だ」
「忍者みたいでかっこいいですね」
雀にしてみれば見たままのことを言っただけだが、それを聞いた虹蔵はぴたりと動きを止めるとにわかに赤面し、下ろしていた布を口もとまで引き上げたかと思いきや――、
「えっ? ……虹蔵さん!」
疾風の如く逃げ去った。あわてて後を追いかける雀の姿は、その後冬の宮中で目撃されたと言う。
小雪六日目、次候・朔風払葉【きたかぜこのはをはらう】の任期になって、雀は
「寄木細工がうちの天地視書になる。制作方法は二種類だ。木を寄せ集めて模様を作り、かんなで薄く削ったものを木製品に貼る〈ヅク貼り〉、同じく木を寄せて種板を作り、それをろくろで成形する〈ムク作り〉。これは〈ヅク貼り〉のほうだよ」
小箱は手のひらサイズで、すべての面が異なる幾何学模様になっている。なめらかで、どこにも歪みや隙間がない。小雪の者は皆これを一人で作り上げる。
「冬の宮で作られた工芸品のお客のほとんどは八百万の神々だ。寄木細工は人気だよ。盆、文箱、文机、重箱、書籍箪笥、飾り棚、洋風
冬の宮には四季の中で最も多くの両性体が在籍している。その中でも殊に朔風は異質である。どちらの性も持っていないのだ。そのためか朔風の作品はどれも性別を感じさせない。誰の手に渡ってもどこに飾っても他の邪魔をしない。つまり個性の主張がほとんどない。面白みには欠けるかもしれないが、誰にも好ましく思われるのが特徴だった。
「開けてみな。じゃないと天地視書を開けないんだよ」
雀は箱をひっくり返し、蓋と覚しき部分を手に落とそうとした。落ちない。軽く振ってみた――落ちない。手の上のそれをしげしげと眺める。
「これ、どこから開けるんですか?」
「さあ、どこだろう。秘密箱だからね。順番があるんだよ」
雀は挑戦意欲を掻き立てられて、箱をためつすがめつしながら押したり引いたりしてみたが、三分、いや二分と経たずに降参した。朔風は雀に箱を持たせたまま、ひとつひとつ指示を出した。
「側面を少しだけ横に、そう、次にその上を。それからもう一度横の部分を……」
仕掛けは十回に及んだ。それが至極巧妙で、雀は感心しきりであった。素直な反応は作り手を喜ばせ、別室で作業していた小雪も笑いながら部屋から出てきた。
「なんだか新鮮だねえ、こういう反応はさ。あたいのも見てほしくなっちゃったよ」
小雪は四十過ぎの細マッチョで、細面の顎の先の黒ひげを濡らした筆先のように尖らせている。リップピアスが光る唇はほんのり色づいてセクシーだ。趣味はヨガとジム通い。ひととおりの武術に手を出し、小雪の肉体美への探求心はとどまるところを知らない。
そんな小雪の秘密箱は靴屋の箱くらいの大きさがあった。雀はすぐに音を上げた。聞けば仕掛けは五十回を超えるとのことで、そりゃ無理だ、と雀は木屑が散る床に手足を投げ出してケラケラ笑った。
「うるさいんだけど」
水を差したのは末候・橘始黄【たちばなはじめてきばむ】である。
「いやだね、見とれているね。私は美しいから仕方のないことだけど。……ところでね、カラスの子が鳴くような声で騒ぎ散らかさないでもらいたいよね。私の作業場とは薄壁一枚隔てただけだってことをお忘れなく。お陰さまで下品な笑い声がまる聞こえでね、近所迷惑というものを考えるんだね。こちとら繊細な作業をしているんだから」
声もたいそう美妙なのだが、朔風と小雪は生レモンを直に吸ったような顔になっている。
橘の視線が雀の手もとに落ちた。雀は直感的に身を引いたが、そんなことで止まる橘ではない。
「おや、それは小雪さまの大作だろう。どれどれ……ふうん、こんなに仕掛けを作ったって使えるもんですか。いったいどなたにお譲りするおつもりなんだか」
小雪はこめかみをひくつかせて橘から箱をひったくり、棍棒のように掴んでバッシバッシと己の手のひらに打ちつけた。
「ははははは、地獄の閻魔大王がご所望なんだよ。あたいたちには想像もつかないほどの機密情報を抱えていらっしゃるからねえ。それにしても、あんたの作ったあれはなんだい? 先日完成したばかりのあれのことだよ。ハート型ひとつだけならまだかわいいものを、あんなに積み上げちゃってどう使うのさ。軽便さがまるでないわね。使用者のことを考えてこそプロの職人というものだろう」
「そのお言葉、そっくりそのままお返ししますよ、小雪さま。だいたいね、五十も仕掛けがあるなんて、どんなにか見られたくない物を入れるんでしょうね。ああ、言わなくてけっこうですよ、想像はつきますからね。おお、いやだいやだ。使用者がそれを何に使うかは勝手ですけどね、職人であり芸術家たるもの、いつまでも正統派を気取って似たような物を作り続けるようじゃいけませんよ。創造性を鍛えなきゃいけないんですよ。パターンが似てちゃあ慣れた者なら開けられるんだから、秘密箱が聞いて呆れる――」
「それはわたしにも喧嘩を売っているんだよね?」
朔風の声が急に木枯らしのようにかさついた。橘が嬉々として食いついた。
「おやまあ、新味に欠ける自覚があるのかい?」
「欠けてるかどうか、その口に突っ込んでやるからとくと味わえ」
木枯らしが
雀まですっぱい顔をしていると、さっと隣に来て肩を抱く者がある。――虹蔵だ。
助け出された雀は残りの時間の多くを虹蔵と過ごし、常に背後に庇われながら、下界に寒風を吹かせたり、橘の実に色をつけたりする小雪チーム本来の仕事を手伝った。時折橘にちょっかいを出されても虹蔵がいればひどいことにはならず、小雪唯一の男性体である虹蔵はチームの抑止力になっているようだった。
最終日、虹蔵はぼそぼそ言った。
「仲が悪いんだよ、うちは……。だからなるべく顔を合わせないよう、各自個室で作業してるんだ。全員プライドが高くてさ……。だがそう悪い事ではないだろう、それだけ自作品に誇りを持っているということなんだから。橘がすぐに突っかかるのも他作品に対する嫉妬からだし、他の二人が受けて立つのもそこから気づきを得るからだ。仲が悪いと言っても、仕事が滞りなく進んでいれば必要以上に馴れ合う必要もない。誰かに困ったことがあればそれとなく……ほんとうにそれとなく、手伝ったりするし……。そういうチームもあるんだよ」
「そういうのも仲が良いと言うんだと思います」
雀の言葉に虹蔵は目を見開いて、案の定照れてその場から逃げ出そうとした。が、雀はそれより早く彼の腕を掴み、にっこり笑んでみせたのだった。
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