64、立冬(その2)――扇子



「さんちゃん、声が響いちゃってるよー」

「ごめーん。……雀くん、あの子はうちの次候、地始凍ちはじめてこおるだよ。〈ちはる〉って呼んで」


 門前まで来ると、ちはるは毛先にだけパーマをかけたグレージュのロングヘアーをふんわり広げ、西洋人形のようにカールした睫毛をぱちぱちさせて雀の右腕に飛びついた。


「やーん、入って入って。ちはるが案内してあげる」

「ちょっとぉ、わたしが案内役なんですけどぉ。なんのためのくじ引きだったの?」

「ここまで案内したんだからもういいでしょ。独り占めはよくないよー!」


 ちはるは雀の腕をぐいぐい引いて、玄関には入らずちらほら雑草の見える屋敷の脇道へと連れ込んだ。日当たりの良い縁側とシクラメンの花壇のあいだを通り、作業場としている蔵の前で立ち止まる。蔵は二階建てで、作業は一階で行い、二階は休憩所になっているのだとちはるが教えた。


「ちはるたちは扇子を作ってるんだよ。ほんとうは今の時期は作業しないんだけど、今日は雀くんに実演するために立冬りっとうさまと盞香せんかちゃんが作業中だから、騒ぐと叱られちゃうよ。だからシーッ、ね?」


 蔵の中はランプで明るく開放的で、壁や棚には目にも鮮やかな扇子が龍のうろこのようにびっしりと飾られていた。

 部屋には工房らしく糊や絵の具や紙のにおいが染みついている。そこに線香に似た独特の香りが混じる。お香である。普段かぎ慣れないそれに雀は惹きつけられた。今日は春分しゅんぶんの暦である雀のために桜を使用しており、香りは皆のその日の気分によって変えているのだと山茶花さざんかが説明した。


 女性二人が机に向かい、黙々と扇子の折り目を作ったり、紙のわずかな隙間に機械のような正確さで細い串を差し込んでいく。深く集中しているからか、手に馴染んだ作業だからか、ギャラリーがいてもブレが生ずることはない。


「わたしとちはるは作業の前半を任されているの。和紙と扇骨せんこつを作るところだね。立冬さまと末候の金盞香きんせんかさくは、今やっているような後の工程を担当しているんだよ」

上絵うわえはみんな好きだからそれぞれでやるよ。さんちゃん、とっても上手だよ!」

「派手な絵柄はね。細かいのは苦手なんだ」


 うわえ、、、。雀がつぶやくと、山茶花がすぐに答えてくれた。


「絵を入れる作業のこと。ねえ、雀くんもやろうよ。何を描いてもいいからさ」


 壁に掛けられた扇子はどれも繊細だったりダイナミックだったり、四人の個性がキラキラ光る。雀は自分の画力をわかっていたので、自嘲するような笑みでごまかした。


 あ、そうだ。と、ちはるがぱたぱたと壁に向かっていく。


「雀くんに見せたいものがあるんだよー」


 そう言って手に持ってきたのは丸められた和紙だった。


「これね、清明せいめい天地視書てんちししょに使われてる和紙なんだけど……」

「あっ! 巻物の……!」

「そうそう」ちはるは嬉しそうに頬を染めた。「清明にある大量の巻物はね、清明さまご自身が昔ここで作られて、それを巻物にした物なんだよ」


 そこから山茶花とちはるは雀そっちのけで清明や彼の周りにいる男たちの話に花を咲かせたので、それがたとえ小声であってもさすがに作業者の集中を妨げた。


 トントンと仕上げに扇子を叩く手を止め、道着姿に金髪姫カットの女性がようやく三人に目を向けた。


「ちはる、山茶花。作業中はうるさくしない。何度言えばわかるのですか」

「やん、立冬さま」

「すみません。楽しくなってしまって、つい……」

「まったくよ」


 黒髪を巫女のように垂髪すいはつに結い、黄色い袴に千早ちはやを纏った若い娘、金盞香も作業の手を止め、凝り固まった首と肩をぐりぐり回した。


「あたしは集中力が持続しないから、一度切れたらしばらく戻れないっていうのに」

「ごめぇん、盞香ちゃん」


 ちょうどよかったので、雀は自己紹介の時間をもらった。それが済むと、立冬は快く自節気の紹介をしてくれた。


「山茶始開【つばきはじめてひらく】――山茶花が鮮やかに咲き、地始凍【ちはじめてこおる】――地には霜柱が降り、金盞香【きんせんかさく】――スイセンが花開く。冬のはじまりの合図です。この節気の面白いところは、〈山茶花〉と書いて〈つばき〉と読むところ、〈金盞香〉もキンセンカではなくスイセンを表わすところの二点でしょうか。キンセンカと呼ばれるのはふつう橙色や黄色の春に咲く花のことなのですが、この候ではスイセンのことを指しています。

〈金盞〉とは黄金の坏のこと。花の中心に黄色いラッパ型の副花冠ふくかかんがあることからそう名づけられました。厳しい冬を迎える最初の節気に二種類も花の開花を入れるなんて、粋ですよね」


 そこでちはるが聞き捨てならぬと割って入った。


「ちはるだって地に花を咲かせてますよぉ! 氷という花をね!」

「霜柱ってさ、顔を近づけて見ると小さな氷の宮殿に見えてこない? わたし、いつもじっくり眺めちゃう」


 山茶花がうっとり言うと、盞香がにやりとした。


「あたしはザクザク踏みたくなっちゃうな。先に誰かに踏まれていると、やられたーって思う」

「それわかるぅ。ちはるもねえ、屋敷の花壇の霜柱はよく踏んづけてるよ」

「えっ、自分で? 自分で霜柱を作って自分で踏むの?」


 笑いのツボに入った山茶花に皆がつられた。またしてもわいのわいのと雀そっちのけで盛り上がり、今度は立冬も交ざって止める者がない。立冬の四人は全員が二十歳前後の見た目をしているので、その様子はおしゃべりのやまない女学生そのものである。


 そんな感じで立冬にいるあいだ、雀はしょっちゅう忘れ去られたが、かまい倒されるよりかは気が楽で、一人扇子に絵を描いたり他の作業を覚えたりして楽しく過ごした。


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