【冬】

63、立冬(その1)――冬の宮へ



 雀は立冬りっとうまで行方知れずとなった。

 はじめはちょっとした騒ぎになったが、「雀は冬の宮の主と共にいる」という春の女神のひと声で瞬く間に収束した。暦とはつくづくのんき者の集まりだ。


 立冬が過ぎ、小雪しょうせつが過ぎ、大雪たいせつが過ぎ、冬至とうじに入り――新正月、元旦。今は二十四節気にじゅうしせっき七十二候しちじゅうにこう雑節ざっせつという暦の面々だけで宴を催している最中である。


 玄鳥至つばめきたるが宴会場の片隅で一人チビチビ酒を舐めていると、そこへ鶺鴒せきれいがやってきた。


「うわあ、寂しい絵面」

「うるさいな」


 やさぐれた様子に鶺鴒はケタケタ笑う。この男にとって今の玄鳥至は新年の祝い酒のつまみにぴったりだった。


「からかいに来ただけなら他を当たってくれ」

「いやいや、まさか。ご依頼の件だよ。いつ話そうかなーと思ってね」

「なら今頼む」

「ここで?」


 鶺鴒はちらと周囲に視線を走らせた。玄鳥至はお猪口で口もとを隠した。


「問題ない。これだけにぎやかなら聞こえやしない」

「ならいいんだけど」


 それを合図に、鶺鴒の背後にいたちいが玄鳥至の向かいにどっかり腰を下ろし、壁に背を預けて目を瞑った。

 鶺鴒はそれに微笑を送り、「はあーあ、酔っちゃったなあ」とわざとらしく千鳥足で玄鳥至の隣に来ると、片腕を枕にして机に半身を寝そべらせた。これなら他の者から顔が見えない。


「雀くんは冬の宮でもうまくやってるよ。もちろん初日から聞きたいよね? それじゃ、まずは立冬から――」




 ***




 立冬【りっとう】(十一月七日~二十一日頃)


 左右を氷の壁に挟まれた冬の宮の道を雀は震えながら歩いた。道はすべり止めでざらざらしていたが、降りしきる粉雪でなめらかに白い。


 今の雀は樺茶色かばちゃいろあわせの着物に萌黄色もえぎいろ裁着袴たっつけばかま、着物と同じ色の外套を羽織り、首に襟巻き足は雪沓ゆきぐつと、寒気に抗う冬の装いだ。が、そこまでしてもここは芯から寒い。

 先導するのは初候の山茶始開つばきはじめてひらくである。深緑に椿絵の振袖姿で雪の上を難なく歩く。


「あれが里への入り口だよ」


 壁が途切れると、分厚い雲と見渡す限りの大雪原が広がっていた。するとその中で一箇所、雀の目に留まった場所がある。こんもり盛り上がっているそれは、モンゴルのゲルみたいなサイズのかまくらだ。大きく口を開け、中から暖かそうな黄色い光があふれ出している。


 雀は喜んだ。かじかんできた手を揉みながらいそいそと中に入る。ぬくもりに安堵した途端、景色が一変した。


 寒々と薄青い空の下、幅広い道の両側に黒塀に囲まれた武家屋敷が整然と立ち並ぶ。

 積もった雪は道端に盛られているが、新たに降ったものが一面を穢れひとつない純白に変えている。初めてここを訪れた者は皆この白と黒のコントラストに目を奪われるが、それは雀も同様で、感嘆が白い息となって消えていった。


「ごめんねー、びっくりしたよね。雪景色こそ冬の宮のおもてなしだから。ここは他宮と違って、場所ごとにお天気が変わるのよ。いつでも冬のすべてを楽しみたいっていう冬さまのご意向でね。じゃ、あらためましてようこそ、冬の宮へ。ここも他に負けないくらい好きになってもらえたらうれしいな!」


 山茶始開はきっぷの良い、よく通る声でハキハキとしゃべる娘である。雀はこういう女子とは緊張せずに話せるので、彼女は最初の案内人として最適であった。


「ええっと、つばきはじめてひらく……って、つばき……さん? あなたもそう呼ばれているんですか?」

「ううん、わたしは〈山茶花さざんか〉だね。山茶花なのに〈つばき〉と読むなんて、ややこしいよねえ」

「そっか、山茶花さん……っくしゅん! ……すみません」


 雀の頬や鼻が赤いのは山茶花の笑顔に見惚れているからではない。先ほどの雪降る道より幾分かましだが、ここで立ち話するには五分ともたない。山茶花は左の黒塀に沿って歩き出した。


「ね、ツバキとサザンカの花って見た目がそっくりなんだけど、違いはわかる?」

「全然わからないですね……」

「だよねー! 葉の形状とかいろいろあるけど、いちばんわかりやすいのは花の散り方。ツバキの花は首からもげてボタッと落ちるけど、サザンカはもげずに花びらが散っていくんだよ。真っ白な雪を彩ってね、すっごく芸術的になるんだよー! ぜひ今度見てみてね!」


 振袖をひらひらさせて山茶花はご機嫌だ。


「わたしね、雀くんとこうしておしゃべりするの、ずーっと楽しみにしていたんだよ! 夏季に蛙始鳴かわずはじめてなくって子がいるでしょ?」

立夏りっかの、すごく親身にいろいろしてくれる……」

「そうそう、おせっかい焼きのかわずちゃん! 仲良しなんだ。あの子から君の話は聞いていたから、早く会いたいなーって思ってた。だって聞いた感じ絶対かわいい……ううん、良い子だろうなって! ほんとうは自分から行ければよかったんだけど……うちは流れ作業だから、タイミングがねー」

「いえ、そんな。お気持ちだけでうれしいです。ありがとうございます」


 武家屋敷は一軒五百坪ほどで、全部でいくつあるのやら、当人たちも見当がつかない。冬季の天地視書てんちししょはどれも伝統工芸品を使用するので、節気ごとに屋敷を持ち、そこで仲間と寝食を共にして、冬以外の季節は朝から晩まで手仕事をする。


 塀の上に突き出た裸の木々は全部桜だ。満開になれば黒に淡い桃色が映え、他宮の暦たちもこぞってそれを見に訪れる。冬季の暦たちはあまり自分から外へ出ることをしないので、そういう時は祭りのような騒ぎになる。


「うちは女しかいないから、雀くんはちょっと居づらいかもしれないけれど、何か思うことがあれば気軽に言ってね。冬季の中でもわりかしまともなチームだからさ。他はくせ者ぞろいなんだもん!」


 あっけらかんと笑う山茶花の声が通りにわんと反響し、前方の屋敷の門から頬のふっくらとした娘がひょこっと顔を覗かせた。


「さんちゃん、声が響いちゃってるよー」


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