51、霜降――雑節・彼岸



霜降そうこうよ、お主は準備に余念がなかろう?」



 霜降は瓶底眼鏡をキラリと光らせ、かすかに首を縦に振った――それだけだった。


 皆の視線が霜降には向けられていないことに雀は気づいた。それは彼女の隣、霜降にピタリと椅子を寄せた真っ赤な着物の少女に集まっている。少女が口を開いた。


「チーム霜降は万全の状態です。あたしは環境が整えばいつでも霜を降ろすことができますし、こさめ、、、は涙もろいけど我慢がきくし、もみじは葉を色づけるのを心待ちにしています。――あ、梅子のように筆をなくすなんてヘマはしませんよ。なぜってほら、コートの内側に括りつけてありますから」


 紅葉色もみじいろの頭に黒いベレー帽を被った男が立ち上がり、柿色のロングコートの前をバッと開いた。左右両側に三本ずつ絵筆がかけられ、何かの蔦でぐるぐる巻きにして留められている。霜降の末候・楓蔦黄もみじつたきばむは茶目っ気たっぷりに片目を瞑った。


「落としませんよ、僕は」

「私も適度に泣けると思います。不憫な姉のことを考えると、自然と涙がこみ上げてくるんです」


 上背が百八十近くありそうな娘が、細長い指で目頭を押さえる。次候・霎時施こさめときどきふるはスンと鼻をすすってから、恥ずかしそうに微笑んだ。下がり眉で気が弱そうな顔のつくりは、姉である夏季の暦・大雨時行たいうときどきふるとよく似ているが、姉のほうは百五十センチもないと思われるので、並べば姉妹が逆に見えるだろう。


 赤い着物の少女が応えるようにうなずくと、ホワイトブロンドのボブヘアが顔の周りでキラキラ光る。早朝に降りる霜が朝日に輝くようなその髪色は、この娘が初候・霜始降しもはじめてふるであることを示している。


 その後の質疑応答でも霜降はいっさい口を開かず、すべて霜始降――〈しもる〉と皆に呼ばれていた――がこなしていた。その間、霜降は薄い唇をきゅっと結んで眼鏡越しに進行を見守り、時折顎でかすかに相槌を打つだけだった。



 秋の背後で百年休まずチクタクしていそうな振り子の柱時計が、大儀そうにボーンと一回鳴った。


「ねえ、秋さま。そろそろお開きにしませんか」


 寒露の痩せこけた頬は空腹に耐えかねて土気色になっていた。


「ああ、そうだな。では――」


 ところがそこで、秋のすぐ斜め前に座しながら、いるのかいないのかわからないくらい存在感のなかった麗人が言葉を発した。


「お彼岸は?」


 麗人は女性のようで、男性にも見えた。声もどっちつかずで、両性体なのだろうと推測できる。烏の濡れ羽色の長髪を白菫色しろすみれいろの着物に流し、長い睫毛が物憂げに白磁の頬に影を落とす。――雑節・彼岸ひがん


「それはもちろん、いつもどおりに――」


 秋分は何を今さら、とへらへら笑ったが、向けられた彼岸の目がことのほか怖かったので引っ込めた。「……え、今年はわたしもやれってこと?」


「雀くんのためにも、手伝ってくれてもよいのでは、と思って」

 

 三月に春のお彼岸があったにもかかわらず、雀は彼岸とは初対面であった。


 ――そういえば、なんで春にお会いしなかったんだろう。


「めちゃくちゃ大変だから、いや」


 秋分の返事はにべもない。


「ただ数を数えるだけなのに」

「それが億劫なんだってば。お彼岸を行う人間を数取器でいちいちカウントするなんて、絶対数え間違えるからいや」

春分しゅんぶんにも断られたのに……」

「あいつと気が合うこともあるのね。はじめて知ったわ。不愉快でなおさらいや」


 春のお彼岸の中日は春分の日だ。雀始巣すずめはじめてすくうの任期初日でもあるその日、雀は春分の部屋から閉め出しをくらった。つばき曰く最後の二日だけ行けばいいということだったが、ここでその理由を知ろうとは。


「ねえ、あんたって自虐趣味なの? お彼岸を忘れた人間が年々増えていくのを知って、何が楽しいわけ?」


 彼岸は小鳥も止まれぬなで、、肩をさらに落とした。


「楽しいわけがない。でも天上の神々から言われるんだもの。あの世の人々が、昔に比べてお彼岸に手をあわせてもらえないと嘆いている、って。だから私、『大丈夫、寂しい仲間はこんなにいるよ、なんなら年々増えているよ』って元気づかせようと……」 

「それは元気が出るものなの?」

「慰められはするみたい」


 彼岸は急に前のめりになると長い髪で顔を隠した。


「こうして消えていく。お彼岸という行事も……クククッ」

「あなた、今は数えてなくていいの?」


 秋分は遠慮なしに髪のカーテンをめくった。暗い表情でも美人は美人だった。


社日しゃにち二百十日にひゃくとおか二百二十日にひゃくはつかの三人に任せてきたから」 

「うっわあ、任期明け直後の雑節仲間を片っ端から……」

「なんてことないよ」


 彼岸は遠い目をして言った。「年に二回やってる私に比べれば、なんてことないよ……」


「秋分、彼岸を手伝ってやりなさい」

「はい?」


 秋は何食わぬ顔で言うと、どこからか出したか渋い湯飲みを両手で持ち、熱い茶をうまそうにすすった。


「彼岸がここまで肩を落としておるのだ。同じ暦として、すべからくそうすべきであるとは思わんか」

「肩が下がっているのは生まれつきでは?」


 秋と秋分のあいだに火花が見える。すかさずお菊が秋分の援護に入った。


「秋さま、秋分さまはもう任期に入っておられます。本来なら今だって天地視書と向き合っていなければなりませんのに……」

「通常の業務は三候がおる。彼岸はあと三日で終わるのだ、なんの問題もあるまいよ。雀の案内役を買って出るくらいには余裕があるようだしの」

「問題なら大ありですよ!」


 秋分がバンバンとテーブルを叩いた。


「雀くんにもカウントをさせるおつもりですか? 今日中に秋の宮を全部回る予定だったのに!」

「たしかに案内はせんといかんな」


 秋はひげをしごき、


「他の者を探せばよい。言うておくが、ここにおる者はいかんぞ。任期を終えた者の中から選ぶのだ」


 幸薄そうだった彼岸は今や世界一幸福そうで、周囲にちらちらと小花を飛ばした。秋分はなお食い下がろうと身を乗り出したが、それを止めたのは寒露の馬鹿みたいに大きな腹の虫と、それが消えるやいなやの霜降の怒りの一言だった。


「いいから昼食をとらせろって話ですよ……」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る