50、寒露――秋の宮会議



 畳の上に天板の広い茶褐色のアンティークテーブルが三脚並び、いちばん上座に秋が腰かけ、秋分しゅうぶんは残る上座の一席に向かう。雀は他の三名に連れられて下座の端に着席した。


「秋さま、なんだって昼の前にやるんです」


 秋分の右隣に座るガリガリに痩せた中年男がため息を吐いた。「腹が減ったなあ」


寒露かんろ、テキパキ終わらせればいいだけのことよ。ねえ、霜降そうこう?」


 秋分がはす向かいの女性に話しかける。二十四節気・霜降は丸眼鏡の奥で目を細めた。眼鏡のレンズが分厚いために、瞳が異様に小さく見える。色味の薄い唇が動き何か返事をしたようだったが、聞こえなかった。


「秋分の言うとおりだ。さて、今後の流れはどこも万全に整えられておるかの」


 さっそく秋が問うと、まず秋分が答えた。


「昨年とは比べものにならないくらいうまくいっておりますよ。ちょっとした長雨はありましたけど、今年は春も夏もひどい豪雨が続くことはなかったので作物もおしなべて順調に育ちましたし、山の獣たちも頻繁に人里に下りることはないのではないかと。ああ、虫は多いですね。虫坏むしふさがちょっと甘やかしまして。任期に入ればどんどん虫じまい、、、してくれることでしょう」


 水始すいしが勝ち誇った顔をして、もぞもぞ尻を動かした。どうやら向かいの虫坏に足でちょっかいをかけているらしい。虫坏は目を血走らせたが、何もやり返さなかった。


「水始、状況は?」


 秋分が振ると、水始は姿勢を正して得意げに答えた。


「人々は例年どおり田の落し水を行っています。気になるのは台風ですね。これまでは小型が多かったので、そろそろ大きいのが来るんじゃないかって、ひやひやしてます。今来られるのがいちばんいやなんですよねぇ」

大雨たいうが例年よりずっと涙を堪えられたんだから、それぐらい甘んじて受け入れようじゃないか」


 二十四節気・寒露はそう言うと、ちらと雀に視線を投げた。


「夏の宮での彼の活躍は聞いた。秋分、収声しゅうせいの不調はもう試したのか」

「まだよ。とりあえず一回、見せはしたわ。発ったら、見事に弟を振り切ってくれちゃって」

「昔のようにやっているのですが……面目ないです」


 収声が情けなく嘆息した。それを対面から笑い飛ばしたのは寒露の初候、鴻雁来こうがんきたる


「だぁいじょうぶよ、収声さん! あたし、こんなに希望に満ち満ちてるのはここ十年ではじめてだよ! 雀くんがいれば、みんなつらい思いをしなくてすむんだもん。ねっ?」


 灰色のベリーショートに細い眉、元気はつらつとしたこの少女と雀はすでに親交がある。おおとりの妹であるかりはよく春の宮に遊びに来ていた。


「ああ、うん……そうみたいだけど」


 雀は曖昧に笑った。


「なにさ、煮え切らないなあ。男ならシャキッとしなよ。うちの兄ちゃんみたいにさ」

「いや、鴻さんより雁ちゃんのほうがもっと男らしいような……」

「あたしのどこが男だって?」

「これこれ、二人とも。秋さまの御前ですよ」


 雁の隣、色香漂う大人の女性にたしなめられると、二人はそろって口をつぐんだ。


 雀はこの女性とも面識がある。寒露の次候・菊花開きくのはなひらくは、春季の牡丹華ぼたんはなさくと仲が良く、春の宮の廊下で出会うこともしばしばあった。垂れ目で眉は太く唇は厚く、ごく薄い金の猫っ毛をゆるくお団子にして結い上げ、うなじにかかる後れ毛がなんとも色っぽい。着物は菊晴れの青に大輪の白菊を刺繍したもので、パッと目を引く華やかさがある。春季の牡丹と秋季の菊、百花の王がそろって春の宮の庭を歩けば、立春りっしゅんなどはそれを花見と称して、濡れ縁に弁当を広げた日もあった。


「はいはい、うちはそんな感じで。お次どうぞ」


 秋分がしめくくると、寒露が返事の代わりに腹を鳴らして引き継いだ。


「コオロギをはじめとした秋虫が少ないですね。例年より多くトカゲやカエルに食われているようです。ヒエラルキーに支障が出るほどではありませんが、そろそろ冬眠してもらわないと。腹が減る気持ちはよくわかりますけれども」


 虫坏が「ぐう」と唸った。水始が嬉々としてつま先で小突き回す。


「耳が痛いねえ、虫坏くん、耳が――いったあい! 耳が痛い!」


 虫坏に耳をつままれ部屋の外に引きずられて行く水始を、誰も助けようとはしなかった。


 す、と挙手したのは寒露の末候・蟋蟀在戸きりぎりすとにありである。彼は魅力あふれる声で提言した。


「秋虫には捕食者に重々気をつけるよう触れを出しておきますよ。それからこれはいつものことですが、温もりを求めて人の家に上がり込もうとする子がいるから、それもなるべくやめさせないと。戸の前で鳴くだけでも危ないんですよ。いかんせん現代人は虫嫌いでして」

「秋虫の鳴き声は風流でよい。ギリス、よくよく頼んだぞ」

「承知しました。秋さまにそう言っていただけて光栄ですよ」


 ギリスは左右が黒と黄のオッドアイで、スタイリッシュな銀縁眼鏡をかけている。黒いトンボ玉の一本かんざしでまとめ上げた茶髪に赤と紫のメッシュを入れてお洒落を楽しみ、物腰やわらかで趣味はギター。ただでさえモテそうなのだが、雀が雁から聞いた話によれば、その上彼は働き者なのだとか。なんでもイソップ童話で涙し、これを作った人々にもの申したいそうで、率先して仕事を頑張っている――ということだったが、〈蟋蟀在戸〉の〈きりぎりす〉はコオロギ、もしくは秋虫の総称である。ギリス曰く、「これは風評被害との闘いなんだ!」――何も言わず応援しよう、と雀は思った。


 秋はひげを下になでつけながら寒露に問うた。


「鳥はどうした、渡り鳥は?」

「今年の夏は温風がうまいこと動けたので、こちらにいた渡り鳥は例年より早めに移動しています。雁の合図は問題なかったのですが、海の向こうからやってくる冬鳥たちの移動が遅れているようです。昨年と比べてずいぶん気温が違いましたからね。地上じゃ、ほとんど冷夏だ、なんて言われたみたいですよ。とんでもない、ここ数年が暑すぎたんです。欲を言えば、大雨があとほんの少し抑えられればよかったんですが。近年を鑑みれば、じゅうぶん合格ラインでしょう」

「地上はてんてこ舞いじゃな。無理もない。これだけ気象の変化がめまぐるしければ、ついていけぬ種もあろう」


 次に秋は終始無言の女へ話を振った。


「霜降よ、お主は準備に余念がなかろう?」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る