48、秋分――雷、落ちる



「だからあ、さっさとあの虫やらヘビやらをなんとかしろって言ってんの!」

「だからまだ早えっつってんだろうが! 干からび野郎は頭ん中までカラッカラかよ!」

「野郎じゃありませんー。今日の私は女ですぅー」

「面倒くせえ、日ごとに性別を変えんじゃねえ!」

「そういう仕様なんだからしょうがないでしょー!」

「まあまあ、お二人さん。お客さまもいることだしさあ……」

「うるさい、黙ってて!」

「うるせえ、黙ってろ!」


 ゴチーン、大男が突き飛ばされて柱に頭を打ちつけた。押さえた指の下から漫画のようなたんこぶが膨らんだ。


 雀は秋分しゅうぶんを見た。秋分は顔ごとそらした。


「皆まで言わないで」

「リーダーですよね」

「無理。メンバーを見てよ。か弱いわたしには無理」

「体は男ですよね」

「なんてことを言うの! わたしは女の子よ!」

「百歩譲って〈子〉ではないですね」

「ねえ、毒を吐きたくないんじゃなかったの? なんで辛辣になってるの?」


 今度は雀が目をそらした。


「おれに自分で気づかせるために……おれのためを思って、秋分さまが導いてくれたのはわかるんですけど……ちょっと話を聞いてもらいたかっただけなのを、ああいう、無理やり自分と向き合わせるみたいにされたのは……まあ、むかつきはしたかなって」

「根に持ってたのね! それはたしかに、ごめんね!」


 雀は改めて秋分の部屋をぐるりと見回す。広さは体育館何個分だろう。高い天井は黄金色、それを支える列柱は白く、奥の奥まで林立している。まるで大聖堂のような厳かな空間にこだまする幼稚な口喧嘩は、今や言語の皮を脱いで掴み合い待ったなし。壁の下のほうは曼珠沙華まんじゅしゃげ畑が描かれているが、汚い言葉と音が反響するたび花弁が小刻みに震えるようで――それがこちらを嘲笑しているようで――雀も乾いた笑いが出た。


「秋分さま、秋分さま」


 大男が情けなく這いずってきた。


「まずいですよ。兄者の雷が落ちそうです」


 秋分と雀は言われたほうを見やる。声も図体も破格の男、春分の次候・雷乃発声かみなりすなわちこえをはっすが、仁王立ちで問題児二人に鋭い眼光を放っている。雀のよく知る温和で楽しげな発ではなく、全身にビリビリと微弱な電気を纏っているようで、とても声などかけられる雰囲気ではない。


「あなたが止めればいいでしょう。それがあなたの役目なんだから」

「できますかどうか……」

「とにかくやってみなさいよ」


 そう言うと、秋分は雀を連れてその場を離れ、石柱の陰に身を隠した。


「秋分さま? 急にどう――」

「いいからじっとしてなさい。怖い物見たさで顔を出すんじゃないわよ」


「あっ! 兄者!」


 たんこぶでさらなる上背を得た巨漢、雷乃収声かみなりすなわちこえをおさむがどすどすと床を揺らしながら飛び出していった。


「だめだめ、ストップ――」


 ぱっと視界が真っ白に塗りつぶされて、バリバリと派手に何かが裂けるような音が耳をつんざき、石造りの建物全体が揺れるほどの怒りが解き放たれた。


「いい加減にせんか、馬鹿たれどもが! 水始すいし虫坏むしふさ! 秋分さまをお手伝い申し上げるどころか足を引っ張るとは、七十二候として恥ずかしいと思わんのか!」


 発の怒声だけがわんわんと反響し、問題の二人からの返事がない。雀は秋分に目で許可を取り、柱からそろそろと顔を出した――いない。いるのは巨漢二人のみ。周囲の壁や柱には傷ひとつないが、床はところどころ黒ずんで焦げ臭い。――まさか、二人は。


 焦って視線を彷徨わせると、二本の石柱の陰に投げ出された生足が見えた。


「あ、あの、あの、あれ……」

「大丈夫。わたしたちは死にやしないから」


 即座に秋分が壁に咲く曼珠沙華に向かって早口に天地視書てんちししょを唱えると、たちまち絵の花の赤が消え、どこかの暗い田園風景が映し出される。


収声しゅうせい

「はい、なんでございましょう、秋分さま」


 人の好い相貌に玉のような汗を浮かべて、収声は秋分の傍らに跪いた。


「雷、地上に落ちちゃったみたいよ。一箇所だけ」

「なんと!」


 収声はむっちりとした指で頭を抱えた。


「面目次第もございません……。自分でもどうなっているのやら……」

「大事にはなっていないようだから、少しのあいだ様子を見ていなさい」

「はい……」


 収声は小山のように背をまるめ、ずんぐりむっくりした両手で汗を拭った。


「よう、雀。驚かせてしまったな。収声、だめだったか。ドンマイだ!」


 発は大口を開け、がっはっは、と体を揺らした。


 毎年、夏の終わり頃から、発は少々ピリピリし始めるという。発が怒れば雷神がそれを拾い上げ、地上に雷が落ちる。それを止めるのが弟である収声の務めであったが、この大男は昔、自身よりさらに巨体の亥神いのかみによってはね飛ばされた。以来不調の収声が雷を止めやすいよう、この時期は発もここに滞在しているということだったが、むしろいないほうがよいのではないか、と雀は思った。


 遠くの柱の裏から女が出てきた。胡桃色くるみいろのボサボサ頭を手ぐしで梳かし、ところどころ焦げて着崩れたくちなし、、、、色の着物を整えようとして、形良い乳房が見え隠れする。女は耳まで染めて目を泳がせる雀のことなど気にも留めず、そのままの格好でまっすぐこちらへやってきた。


「秋分さまぁ、こうなる前に止めてくださいよ」

「あなたたちが自分から止まればいいのよ、このスカポンタン!」

「だって虫坏が虫をしまってくれないんですもん。早くしないとまた大事な稲が食べられちゃう。秋さまからお小言をちょうだいするのは私なんですよぉ」

「オレばっかり悪く言うんじゃねえ」


 もう一方の柱の陰から剣呑な声がした。出てきた目つきの悪い男――蟄虫坏戸むしかくれてとをふさぐは雷をまともにくらったのか、腰に着物の残骸を残しただけの無残な姿だが、筋骨隆々の体躯にはそれが様になっている。春季のおおとりがスポーツマンなら、虫坏は戦士であろう。虫坏といえば、かの有名な〈虫啓むしひらヘビの丸呑み事件〉で蛇神へびがみを心底震え上がらせた、軍神いくさがみのような男である。こちらも身だしなみ云々は気にならぬようで、鍛え抜かれた体を惜しげもなく晒したまま、水始――水始涸みずはじめてかるるの隣に立って瞳孔をかっぴらいた。


「ギリギリまで生を謳歌させてやりてえと思うのが、親心ってもんだろうが」

「そのせいで稲が食われるんだっつーの」

「それもまた命の営みなんだよ」

「だったらあんたが秋さまに叱られなさいよ」


 秋分は呆れ顔で片頬に手をあてた。


「ねえ、あなたたち……そのやり取り、毎年やってて飽きないの?」

「飽きません」


 二人息ピッタリの返事をもらい、秋分は頬にあてた手を額にすべらせた。


「もういいわ。とりあえずあなたたちは身なりをなんとかなさい。もう会議の時間になっちゃうわよ」


 午前の終わりに、秋分、寒露かんろ霜降そうこうという、秋季後半組のちょっとした会議があるらしい。これでまともな会議ができるのだろうかと雀は苦笑いしたが、まばたきひとつすると水始も虫坏も争いの形跡を微塵も感じさせぬ着物姿で、やはりここは奇天烈な世界だとまた苦笑した。


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