46、曼珠沙華(その2)
右手には木の根が複雑に絡み合う神聖な森、左下に
「あそこ」
谷底を指差す。
「
川幅は一車線くらいか。流れが速い。時折岩にぶつかりながら、灯りのともった灯篭が流されていく。見ているうちにフッと火が消え、灯篭自体も消え失せた。
「あれは……?」
「
「さっきの話だけれど」
と、秋分は切り出す。
「どうして冷たくするのか、本人に直接聞けばいいんじゃないの?」
「それができればどんなに楽か……」
「どうして言えないの? わたしなら言うわ。相手が
雀はむっと顔をしかめた。
「嫌われているかもしれないと思う相手に真正面から聞ける人なんて、ほとんどいないと思いますけど」
「嫌われてる? そうなの? 嫌われるようなことをしたの?」
「知りませんよ!」
かっとなった拍子に回廊が途切れた。「あっ」
三つ目の門は鉄でできていて、ところどころ錆が見えた。
「右手に石段、前方には回廊。さあ、あなたはどちらを選ぶ?」
雀は顎を上げ、迷わず前を指差した。
「きっとまたおれが望んだから現れたんでしょう。でもおれは、あえて回廊を選びます」
「ブッブー」
秋分はおちゃらけて言った。
「今度は違うわ。わたしが石段を望んだのよ。だって怒っている者と長々話をしていたくないんだもの。石段を行きましょう」
頭に血を上らせている雀を置いて、秋分はどんどん段を上っていく。雀はむしゃくしゃしたが、ここで置いて行かれるのも困る。不承々々、後に続いた。
蛇行し幅もまばらな石段をずいぶん長いこと上り続けた。山に入ってしばらく行くと、根の絡み合う木々から直立不動の杉の木立に変わり、地面は宝石のような苔に覆われるようになった。吸う息は湿った緑が香ばしく、はじめこそ怒りが
――なんだこれ。おれが悪いのか? 怒ってる奴と話したくないから石段を行くって、それこそ秋分さまだって怒っているから、おれと口を利きたくないんじゃないのか。ずっと無言でいやな空気にして、おれに反省させたいとか、きっとそういう目論見なんだろう。おれがただついて行くことしかできないことをわかっていてこんなことをするなんて、それってすごく性格が悪くないか?
「怒ると疲れない?」
秋分がだしぬけに言った。先ほどと変わらぬ様子である。――それが余計、癪に障った。
「まだ着かないんですか」
「怒っているうちは着かないかもね」
「疲れたんです。それでイライラしてるんです」
「それはかわいそうに。なぜ休みたいと言わないの?」
「はあ?」
雀は立ち止まった。秋分が数段先で振り返る。――笑っている。
「怒りって、だいたい己で募らせていくものなのよね。そうなる前に言えばいいのに」
「この状況で言えるとでも?」
「そう思うわ」
「言ったら言ったで、わがままな奴だ、面倒な奴だと思うでしょう」
「どうして?」
秋分は心底不思議そうだった。
「正直に言ってくれてありがとう、って思うわ。あなた、なんで頭をフル回転させて周りに都合のいい子でいようとしているの?」
雀の目の前が真っ赤に染まった。声が震える。
「ふつう、他人に迷惑をかけたり、いやな気持ちにさせるのは……」
「いけないって? まさか。相手を気遣うことと自分を押し殺すことは別物よ」
「この状況は、言ってはいけない時だと思います」
「どうして? わたしが怒るから? でも、わたしは滅多なことでは怒らないのよ」
「そんなの、わからないじゃないですか。現に秋分さまは、さっきからずっと怒っているでしょう。無言でおれのことを連れ回して」
「わたしはあなたに霊山の空気をたくさん吸ってほしかっただけよ。……ほら、言葉にしなければ相手には伝わらないのよ。わたしが何も言わなかったから、あなたは怒りを溜め込んでいった。それでもあなたは自分の感情を内に溜めておこうと思う?」
雀は閉口した。口で勝てる気がしなかった。
「あなたは波風立てたくないだけ。そのほうが楽だもの。でもそれってほんとうに楽なのかしら」
怒りを通り越したのだろうか、鼻がつんと痛んで目頭が熱くなった。雀は急いで顔を背ける。――道端に曼珠沙華が咲いている。先ほどまであっただろうか?
「わたしと話すとイライラする、そう思っているでしょう」
「……正直に話すことをお好みなら、ええ、そうですね」
秋分はくつくつと喉を鳴らした。
「ねえ、見て」
顔を上げるのはいやだったが、雀はまばたきして雫を散らしてから、挑戦的な表情をつくって勢いよく顔を上げ、はっと息をのんだ。
「これは、いったい……」
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