45、曼珠沙華(その1)



 秋の宮の入り口は大きな寺の門のようだった。左右に黄土色の土塀が伸び、中央には鬼瓦の門が格式高くずんと構える。門扉は開け放たれ、その向こうには回廊と、重たい緑の茂る山が行く手を遮るようにそびえ立つ。


 空は門の真上で切り替わり、春の宮は曇り空、秋の宮は雲は多いが晴れている。便利なことに、宮と宮とのあいだには必ず繋ぎ目があるらしい。春なら夏、秋、冬と。夏なら春、秋、冬と。秋なら――といった具合に、どういう仕組みか、必ず各所に繋ぎ目がある。地図を見てみたかったが、地図などないと前につばきに一蹴された。


 門をくぐる。強い木の香りが肺を満たす。回廊が吸い込まれるようにして山へと伸びている。下は薄灰色うすはいいろの石、欄干と天井は年期の入った木造で、涼しい風が吹き抜ける。気温はまだ高かったが、金木犀の芳香を含んだ風や山の深緑に秋を感じた。


「暑さ寒さも彼岸まで」


 秋分しゅうぶんが歌うように言う。


「昔はそのとおりにできたのだけど、今はなかなかねえ……。今年はうまくいったほうだわ」


 秋分がつと欄干の外を指差した。苔の庭の至る所に、真っ赤な彼岸花が二、三本ずつ寄り添い合って咲いていた。


 雀が何の感想も漏らさないので、秋分は首を傾けた。


曼珠沙華まんじゅしゃげはあまり好きじゃない?」

「……そうですね。なんだか毒々しいというか……」

「お墓のイメージがあるものね」

「そうなんです。どうして墓地にばかり咲くのでしょうか」

「それはね、曼珠沙華に毒があるからよ。あなたが毒々しいと感じるのは、何も間違ってないの」


 秋分が己の胸に右手をあてると、胸と袖のあいだから一輪の曼珠沙華が出現した。


「この花のすべてが毒なのよ。特に球根部分に多く含まれていてね。今は遺体を火葬するけど、昔は土葬だったから、モグラやネズミから守るためにお墓のそばに植えたのよ。田畑の近くに群生しているのもそのためね。大切な作物を食い荒らされては困るから。でも、そうして植えられた曼珠沙華にも食べる方法があるの」

「毒を抜くか、食べても問題ない部分がある?」

「水抜きをするの。球根部分は栄養も豊富なのよ。もちろん危険を伴うから食べないほうがいいに決まっているけど、昔は食糧難に悩まされることが多かったから、救荒作物としての役割もあったのよ」


 良い植物でしょう、そう言って秋分は花を揺らした。ゆらゆら、花が浮かび上がって見えてくる。反り返って輪になった花の赤と、ピンと伸びた茎の緑。このすべてに毒が仕込まれている――。


 魅せられたか、大きな黒い蝶が一匹、ひらひらと花にとまった。蜜に毒はないのだろうか。

 秋分はそれらを愛おしげに袖で囲い、広げた時には花も蝶も消えていた。


 黒い蝶が集まってきた。蝶の群れに誘われ、二人は長い回廊を夢心地に歩いた。


 回廊は山に入り、次第に高度を増していく。秋の終わり頃になればそれは紅葉が見事なのだと秋分は言う。夏の宮と違い、どんなに歩いても疲れなかった。


「霊山だからね。吸い取ってくれるのよ。ありがたいわね」


 これも霊山の影響だろうか、雀はそのうち頭がぼんやりしてきて、最近のつばきの様子が脳裏にちらついて消えなくなった。


 つばきは梅子の筆騒動以来、雀に対して距離を置くようになった。彼は朝からいない日もあれば、就業中に姿を眩ますこともあり、雀は教育係と離ればなれの日々を送った。そのくせ雀が一人で夏の宮へ行こうとすれば、どこからかつばきが現れて、大して重要でもない用を言いつける。もしくは必ず誰か付き添いをつける。夏が雀を呼び出すことは多く、つばきは苛立ちを隠しきれていなかったが、聞いてもわけを話そうとはしなかった。


 雀は困惑した。つばきだけが雀の現状に難色を示していたのだ。


 夏以降、雀は春の宮でも夏の宮でも引っ張りだこで、虫啓むしひらと桃を探して引き剥がしたり、また熱が上がりそうな素振りを見せる温風あつかぜを落ち着かせたり、大泣きする大雨たいうをなだめたりして、そのたびに暦たちから感謝され、もてなしを受けた。雀は皆の役に立てることがうれしかったが、不機嫌さが滲むつばきの顔を見ると心がしぼんだ。いちばん褒めてほしい者に褒められないのはつらかった。


 秋季に入れば秋の宮の案内がある。その時にちゃんと話ができれば――。雀は期待した。が、蓋を開けてみれば、今この場につばきはいない。


 ――おれが人だから……おそらくまだ生きている人だから、つばきさんはおれの世話がいやになったのだろうか。他の誰かをそばにつけるのは、春さまとお約束した手前、放置もできないってことなんだろうか。いや、違う。みんなが認めてくれるのにつばきさんだけがそうじゃないってことは、おれは無意識にあの人に嫌われるような真似をしたんじゃないか?


 回廊が途切れて、ふたつ目の門の前に出た。人二人並んで通れるくらいで、木造である。そこもすでに開かれていて、前方には回廊の続きと、脇には右手の山中に消えていく古い石段があった。


「どちらに行くと思う?」


 秋分の問いに、わかりません、と雀は答えた。


「わからないはずがないわ。石段が現れたのだもの」


 秋分は目を細めた。


「わたしと二人でお話ししながら歩きたいなら、この先には回廊だけだった。わたしはそれを望んでいたからね。でも石段が現れた。あなたは早く目的地に着きたいのね」


 雀は恥じ入って顔を赤くした。


「秋分さまとお話ししたくないわけじゃないんです。すみません……」

「何をそんなに気にしているの?」


 雀は素直に白状した。この世界の不思議にはもうずいぶん慣れていた。


「つばきさんが、最近冷たいんです」


 秋分は笑わず、うん、と相槌を打った。雀は続けた。


「仕事中はもちろん、昼や仕事終わりに食事に誘っても断られるようになりました。会話だって素っ気ないし、無視こそされてはいないけど、前ほど親密ではなくて」

「わたしから見れば、それが本来のつばきなんだけどね。むしろよくやっていたと思うわよ。彼はもともと誰かの面倒を見るなんて柄じゃないのよ。弟にすら淡泊なものだもの」

「弟さん――玄鳥去つばめさるは、ちょうど昨日までが任期でしたね」


 玄鳥去は二十四節気・白露はくろの末候である。おおよそ九月十八日から二十二日頃にあたる。名だけはよく聞くが、雀は一度も会ったことがなかった。


「今日、お会いできるといいんですけど。前からお話ししてみたくって。あんまり兄弟仲が良くないとは噂に聞きますが……」

「それはどうかしらねえ」

「違うんですか? でもお互いの宮を行き来しないですよね」

「それは自分の目で見て判断しなさいな。――回廊へ向かってもよろしい?」


 今度は雀もそれを望んだ。


 石段はいつの間にか消えていた。


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