【秋】

44、秋の宮へ



立秋【りっしゅう】

 初候しょこう・涼風至【すずかぜいたる】(八月七日~十二日頃)、暑い最中さなかだが、日が暮れれば時折涼しい風が吹く。

 次候じこう・寒蝉鳴【ひぐらしなく】(八月十三日~十七日頃)、日が暮れ気温が下がるとヒグラシが鳴き始める。旧盆の時期。

 末候まっこう・蒙霧升降【ふかききりまとう】(八月十八日~二十二日頃)、朝夕に霧が立ちこめる。


処暑【しょしょ】

 初候・綿柎開【わたのはなしべひらく】(八月二十三日~二十七日頃)、綿の実が弾ける。花のようなので綿花めんかと言う。

 次候・天地始粛【てんちはじめてさむし】(八月二十八日~九月一日頃)、ようやく暑さが鎮まり始める。台風が多い時期。

 末候・禾乃登【こくものすなわちみのる】(九月二日~七日頃)、稲の実りが美しい頃。


白露【はくろ】

 初候・草露白【くさのつゆしろし】(九月八日~十二日頃)、早朝の草に露が降りる。

 次候・鶺鴒鳴【せきれいなく】(九月十三日~十七日頃)、セキレイの鳴き声が聞こえ始める。

 末候・玄鳥去【つばめさる】(九月十八日~二十二日頃)、春に来たツバメが南へと飛び去る。


秋分【しゅうぶん】

 初候・雷乃収声【かみなりすなわちこえをおさむ】(九月二十三日~二十七日頃)、夏に響いていた雷がなりをひそめる。秋のお彼岸。

 次候・蟄虫坏戸【むしかくれてとをふさぐ】(九月二十八日~十月二日頃)、虫たちが土にもぐり冬越えの準備をする。

 末候・水始涸【みずはじめてかるる】(十月三日~七日頃)、田の水が抜かれ稲刈りが始まる頃。


寒露【かんろ】

 初候・鴻雁来【こうがんきたる】(十月八日~十二日頃)、春に去ったかりが来る。

 次候・菊花開【きくのはなひらく】(十月十三日~十七日頃)、春の牡丹ぼたんと並ぶ百花の王・菊が大輪の花を咲かせる。

 末候・蟋蟀在戸【きりぎりすとにあり】(十月十八日~二十二日頃)、これはキリギリスではなくコオロギ。秋虫が家に現れる。


霜降【そうこう】

 初候・霜始降【しもはじめてふる】(十月二十三日~二十七日頃)、寒い土地では霜が降りる頃。

 次候・霎時施【こさめときどきふる】(十月二十八日~十一月一日頃)、秋時雨あきしぐれがパラパラと降る。

 末候・楓蔦黄【もみじつたきばむ】(十一月二日~六日頃)、紅葉で山が彩られる。




 雀はふうと息を吐いて、よれよれの暦入門書を閉じた。

 隣の席を見る。ここ最近はずっと空である。


「勉強っていうのは、真面目に紙面に向き合うだけのことを言うんじゃないんですよ、つばきさん……」




 ***




 九月も二十日を過ぎ、今日は秋の彼岸ひがんの中日である。この日から暦は秋分しゅうぶんに入る。


虹始こうしくん、いるー?」


 幾重もの垂れ布をふわふわと押して明るい男の声がした。虹始がぱっと顔を上げ、清明せいめい春分しゅんぶんにすばやく視線を送る。春分はすでに奥の退路に体を向けていた。


 春分が逃げ出すより早く、入り口の布が風で膨らむようにしてまくれ上がった。

 淡い栗色の長髪がゆるやかな波を打ち、萩の髪飾りについた細かな鈴がチリチリと控えめに鳴る。大輪の萩の花が一面に描かれた女物の着物、赤い袴をはいからさんふうに着こなすこの暦を、二十四節気にじゅうしせっき・秋分という。春分のように女装ではない。体は男、心は女の両性である。秋分はしょっちゅう清明の部屋に遊びに来るので、雀とは早いうちから面識があった。 


 秋分は真っ先に清明を見つけてうっとりしたが、春分の姿が視界に入った途端、丁寧に化粧を施した顔を般若のように変貌させた。


「また! いつもそうやって抜け駆けをして!」

「だから俺は清明に興味はないと、何百年繰り返せばわかるんだお前は!」

「キィー! そんなこと言ったってわたしは騙されませんからね! この泥棒猫!」

「春分よ、興味がないというのもなかなかひどい……」


 清明がわざとらしく嘆くと、秋分は小走りに駆け寄ってその腕にすがった。


「まあ、清明。こんな唐変木とうへんぼくは相手にしなくていいのよ。あなたが寂しいなら、わたしはいつだって駆けつけるからね」

「清明は相手に困ってないぞ」

「お黙り唐変木!」

「秋分さま」


 虹始がまっすぐに両手を差し出した。


「それは羊羹ですね?」


 秋分は、ああそうだったと、右手に提げた――けっこう振り回していた――風呂敷包みを持ち上げた。


「今日はおはぎなの。ほら、今ってお彼岸でしょう?」

「おい、ちょっと待て。お前、仕事はどうした?」


 春分が詰め寄ると、秋分はうるさいうるさいと袖を振った。


「気晴らしよ。清明に会えればわたしはまた頑張れるの」

「今は何時だ? 十時だな。始業から一時間だ。で、今日からお前さんの担当だ。……俺の言いたいことがわかるな?」

「虹始くん、このおはぎ、すっごくおいしいのよ。お豆をじっくりコトコト煮て、塩加減もばっちりなの。今日中にみんなで食べちゃってね」

「ありがとうございます!」

「ひまかよ! 今すぐ帰れ!」


 春分の散らすつばから逃れ、秋分は赤く色づいた唇を尖らせた。


「言われなくても帰りますぅ。――ねえ、雀くん。うちへはいつ来るの?」

「ちょうどそろそろ伺わせようかと思っていたんです」


 奪うようにつばきが答えた。雀は眉根を寄せた。


 ――伺わせる、と言ったのか? 自分は行く気がない?


 秋分は手を叩いて喜んだ。


「素敵! わたし実は雀くんを迎えに来たのよ。良ければわたしが秋の宮を案内するわ」


 一縷いちるの望みをかけ、雀はつばきの単衣の袖に指を伸ばした。


「つばきさん、あの……」

「行ってこい。俺は他にやることがある」


 とりつくしまもないとはこのことか。


 秋分は行き場を失った雀の手を横から奪うと、ねんごろに清明に別れを告げて――春分には一言もなかった――うきうきと出口へ導いた。



 こうして雀は楽しみに待っていた秋の宮巡りを、陰々滅々とした気分で迎えることになった。


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