41、大暑(後編)――地上へ
「いやあ、今年は遅かったな。でも、ま、ここまで来たならもう終わったも同然だ。気楽にいこうじゃないか」
大暑の職場は大暑の自室を兼ねている。二階建ての木造家屋で、庭に面した畳の客間には、杉の
「雀くん、外を見てみなよ。うちの暦たちが
大暑に言われて縁側に出たが、履物がない。玄関に戻り、外壁と生垣の狭い通路を通って庭に入る。丸太の柵に近づくと、大暑の家が他より少し高い位置にあることに気づく。終わりの見えないひまわり畑が視界いっぱいを占め、その畑の手前、庭からすぐ下の所に、水の張られた五十メートルプールがゼリーのように揺れている。
プールの上にはつる棚が設置され、等間隔にガラスの風鈴が吊るされている。
プールサイドにいる三人の女性がこちらを見、まず
「来たのね。降りていらっしゃいな。ちょうどあたくしたちも、あちらに探しに行くところよ」
「早く行こうよ。なんとなく場所がわかっただけで、まだ見つかったわけじゃないんだもん。もし見つからなかったら、あたし、あたし……きっと悲しくって泣いちゃう……」
「ねえ、わたくし最近はあなたの泣き声を聞くだけで、パン生地を調理台に叩きつけたい衝動に駆られますの。先日それで台に穴を開けたの、もうお忘れ?」
「これ、
大暑と暑子は夫婦である。桐花はそれを間近に見てきたために結婚というものに憧れを抱き、暑子はそんな桐花の強い希望で、一昔前の花嫁修業に付き合っていた。
遠回りするのが億劫だったので、
「ちょっと、つばきさん!」
雀は右往左往して、家の中へと引っ込んだ。大暑にひと声かけるためだろう。雀はよく気が回るので、多少放任でも問題ない。
玄鳥至はプールサイドで人型を取ると暑子の隣に立った。
「あら、だめじゃない、雀くんを置いてきちゃったの?」
「夏さまから何も言われていないが、雀も連れて行くのか」
「つばきの判断に任せる、そうおっしゃっていたわ」
「雀だけを行かせなかったら、後から嫌味を言われそうだな」
横から桐花がしなだれかかってきて、そっと――見た目によらず握力は強い――玄鳥至の左手を取った。
「わたくしと行動を共にしませんこと? 一人で雀くんのお守りをするより楽なはずよ」
「いや、いい」
「遠慮しないで。夫婦になる練習よ」
「他の者としてくれ」
玄鳥至がなんとか左手を取り返したところで、雀と大暑がプールサイドに現れた。
「やあやあ、お待たせ。それじゃあ始めようか。暑子、お願い」
暑子がプールに向かって天地視書を唱えると、すべての風鈴が呼応するように短冊を揺らした。ガラス面に下界が映る。
雀が玄鳥至の袖を引いてささやいた。
「小さいですね。てっきりプールに映るのかと……」
「いい線いってるぞ」
カッ! 風鈴の中から直下に光線が発射され、プールに突き刺さって水蒸気が立ち上った。危険極まりない音と熱は、さながら怪獣映画のようだ。直視すれば目がやられるので、固く瞑って終わるのを待つ。
やがて光熱と水蒸気が収まると、半分ほどに減った水面には天地視書が開かれ、風鈴はもとのとおり涼やかな音色を奏でた。――雀の顔は引きつっていた。
「繋ぎなさい」
暑子に命じられ、水面に波紋が起こった。全体がオーロラのような光を放つ。
「それじゃ、つばき」
大暑が太鼓腹をつぶして窮屈そうに屈伸する。
「雀くんのことは頼んだよ。場所はさっき教えた辺りだ」
大暑は水泳のジャンプスタートの構えをとると、
「ほっ」
選手のように美しいフォームで宙に飛び出し、腹からプールに落っこちた。派手な水飛沫が大波となってプールサイドを襲う。どこから出したか女三人は傘を広げてそれを防ぎ、玄鳥至と雀は頭からびしょ濡れになった。波打つ水面に大暑の姿はすでにない。
続いて大雨、暑子が躊躇なく飛び込み、執拗に
「――というわけで、天地視書に入る」
「先に言ってくださいよ! おれも入って大丈夫なんですか?」
「地上に降りるだけだから」
「どういうことですか? 人のように歩き回れるんですか?」
「幽霊みたいなものだ。建物もすり抜けられるし、水にも風にも乗れる」
「人には見えない?」
「もちろんだ。そうしようと思えばできなくもないが、今回はしない」
雀はなみなみと揺れる水を前に二の足を踏んだが、玄鳥至に腕を取られてあきらめた。
「行くぞ。いち、にの、さん――」
どぼん、玄鳥至は無意識にもがく雀の腕を跡がつきそうなほど握りしめ、
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