36、小暑(その1)――七夕伝説



 道すがら小暑しょうしょについて問うと、雀は暦入門書の内容をすらすら暗唱し始めた。


「小暑【しょうしょ】。七月七日から二十二日頃までの節気で、人々が思う〈夏らしくなってくる頃〉。梅雨が明け、夜空にはこと座やわし座など夏の星座が瞬いて、夏季の終わりへと誘います。三候は、初候・温風至【あつかぜいたる】、夏らしい熱い風が吹き始める頃。次候・蓮始開【はすはじめてひらく】、蓮の花が開花する頃。末候・鷹乃学習【たかすなわちがくしゅうす】、タカの子どもたちが飛行や狩りの練習をする頃です」


「余裕だな。では……そうだな、夏至げしの末候・半夏生はんげしょうず、もしくは小暑の初候・温風至あつかぜいたるの頃にある行事といえば?」


 雀はそれにも流れるように答えた。


「七夕です。織女しょくじょ牽牛けんぎゅう――織り姫と彦星の伝説ですね。仕事熱心だった男女が結婚したら遊びほうけるようになって、怒った織女の父親が二人を引き剥がし、一年に一度、七月七日の夜にだけ会うことを許した、という中国のおとぎ話です」


 雀は最後に付け加えた。「ちょっとかわいそうですよね」


「昨日あんなことがあってもそれを言えるのか」

「あ、いや……」


 雀の顔がこわばった。



 昨夜は大変だった。行方知れずになった虫啓むしひらと桃を春季の暦総出で捜索し、食料庫で見つかったと聞いて啓蟄けいちつ菜虫なむしとともに駆けつけてみれば、二人はぴったりと抱き合ったまま、「体が離れなくなった」と、平然とした顔で言ったのだ。


 啓蟄と玄鳥至つばめきたるで引き剥がそうとするもびくともせず、おおとりはつの筋肉組に場所を変わってもらったが、どんなに引っ張っても一ミリの隙間すら見えてこない。それどころか、「痛いからもっと優しく」だの「このままのほうが幸せだから放っておいてくれ」だのと周囲を虚仮こけにしたようなことばかりぬかすので、これは何がなんでも二人の仲を引き裂いて、二度となめた口をきけぬよう個別に監禁してしまえ、と皆が皆血眼になった。


 広い庭に場所を移動し、発が虫啓を、鴻が桃の体を掴み、二人の後ろに春の宮の者たちがずらずら並んで、前の者の胴を掴む。綱引き胴バージョンの完成である。夏が見たら喜びそうだ。


 雀が審判として中心に立ち、虫啓と桃の頭の密着部分に手を差し入れる。



「ようい、始め!」



 合図とともに、皆一斉に腕に力を込めた。一気に後ろに体重をかける――。



「わああ!」



 全員、激しく尻もちをついた。一瞬のことで、呆然とお互いの顔を見合わせた。何が起こった?


「外れたあ!」


 と、頓狂な悲鳴が聞こえた。桃が空いた両手で頬を押さえて嘆き悲しんでいる。それを虫啓が再び抱きしめようとしたので、我に返った発が羽交い締めにした。


 離れたら死ぬとばかりに抵抗する二人を引きずって別々の離宮に閉じ込め、春の沙汰を待つ。深夜一時に叩き起こされた春の女神は、こめかみに怒りの印を貼り付けた笑顔でこうのたまった。



 ――あの二人は、年に一度の任期にしか会えなくしてしまおうかしら――。




「でもやっぱり、一年に一度っていうのはなあ……」


 手遊てすさびに道端の笹の葉をちぎり、雀がぽつりと言った。


「いや、じゅうぶんだ」

「まあまあ。……思えばそっくりですね、織り姫と彦星と、桃さんと虫啓さん。前に菜虫さんから聞きましたけど、以前の虫啓さんはそれなりに仕事ができて、桃さんも今よりほんの少ぅし、ちゃんとしていた、って。ただの同僚で、特別な関係になるようには見えなかったのに、亥神さまにはねられたせいであんなふうになってしまった、って……。自分ではどうしようもないのに引き離されるなんて、苦しいだろうな」

「俺にはわからん」




 ――つばきはわかろうとしないからでしょ。




 まただ。前任の雀始巣すずめはじめてすくう。最近はずいぶん減っていたのに、また見えて、聞こえて――消えた。


 生ぬるい風も頭上で鳴る竹も、朝と違って妙に神経に障る。雀がまだ何か言っているようだが耳に入ってこない。夏に見る亡霊は気持ちのいいものではない。


 小川のほとりに小暑の姿を見つけた時、玄鳥至は我知らず詰めていた息を吐き出した。


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